色々変換を試してみて、ようやくヒットした。直江兼続。一応、思い描いていた字と合っていた。
 するとドンピシャリ。関ヶ原の戦いに関連したなんて生易しいものではなく、関ヶ原の戦いの発端を担っている人のようだ。まあ、関ヶ原の戦いを調べるのが本来の目的ではないのでそこは流す程度だ。目的は愛に関しての書籍だが、ないようだ。というよりも、彼の遺した書で有名なものは直江状というもののみらしい。これは、家康に対する挑戦状のようなもので、愛についてなんて語っていない。

「同姓同名の別人かもしれませんけど……」
「考えにくいな。義を愛するとか、愛という字の兜を被っていたと書いてある」
「なら、この直江兼続の名を騙る人かもしれませんが」
「ふむ……」

 ともかく、この直江兼続とこっちの直江さんを同一人物と決め付けるには早計だ。考えられる可能性がありすぎる。

「だが、石田三成と仲が良かったとも」
「だから、三成さんを知っていたと。でも、石田三成が三成さんというわけではなく、同じ名前だってことだけで」
「しかし、あいつは俺を見てそう呼んだ。もしや、俺は石田三成の生まれ変わりかもしれんな」
「またまた、突飛な」
「タイムマシンがあって、不老が存在するのに、なぜ生まれ変わりを否定する理由がある」

 確かに、それもそうかもしれない。
 だが、生まれ変わりといっても、前世と必ずしも関係があるとは限らない。どこで、なにを読んだのかは覚えていないが、どこかの国で臨死体験をした人間の話をぼんやりと覚えている。死者はまず、現世の記憶を忘れるために川かなにかを渡るらしいと。臨死体験にも様々な例があるらしいが、現世(前世)のことを忘れて、また生まれ変わるもののはずだ。名前が一緒になるなんて、どういう因果だ(ありえない話でもないかもしれないが)。

「別に、過去に関連するとも限らないです。未来の三成さんに会ったことがあるだけかもしれませんし」
「それも、そうだが。だが、妙に関連しているから気になるだけだ。俺と同じ名前の人間と兼続は仲が良く、関ヶ原の戦いも協力して」
「気になりますがねえ……。考えすぎなのかもしれませんけれど」
「ふん、どうせ俺は自意識過剰だ」
「そこまで言ってませんよ」

 自然と苦笑いのように口角が上がる。つっけんどんな物言いが腹立つと思っていた自分がいたら、今の俺に驚くかもしれない。けれど、少しの期間に仲良くなった直江さんのために自分がイライラするほど考えている彼を知ると、どうしようもないかわいらしさが見えてしかたがない。
 すっかり尻に敷かれてしまったようで、少しばかり情けない気がするが。

「しかし、石田三成は関ヶ原の戦いの後に処刑されているが、直江兼続は生き残ったようだな。享年六十か。……元和五年。ん? つまり、逆算すれば、元和元年の兼続は五十五歳ではないか。つまり、慶長二十年の兼続は五十四歳」
「本当に五十すぎているんですねえ」
「これが、あの兼続と同一人物だと思うか」
「兜に愛はありませんが、背中には愛がありますし」
「なら別人なのかもしれないか。直江兼続を崇拝する人間が直江兼続を真似ているだけかもしれん」
「んー……、本人に聞くのが一番手っ取り早いのですが」
「嘘を言う可能性も」
「嘘は不義になるからつかないのかも」

 タイムマシンなんてもちろん持ち合わせていない俺たちは、肖像画として残っている直江兼続しか見ることが出来ない。それだけでは、あの直江さんが本人なのかどうかもわからない。
 本人に聞こうにも、触らぬ神に祟りなしとまでは言わないが、ともかく近寄らないほうがいい。

「生まれ変わりはともかくとして、俺が石田三成と似たような容貌をしていたと考えればすごく簡単なのだが」
「なら、三成さんを見て三成さんと呼ぶ理由もわかりますが。それがわかったところでなにかが変わるわけではないのですが……」
「いや、変わるかもしれない」
「どういった風に?」

 ネットとは本当に便利なもので、直江さんの名前が載っているホームページがズラズラと並んでいる。おや、彼が主役でドラマになるらしい。これはぜひ見ておこうか。

「老いをどこかに置いて、自分の本来の姿を忘れてしまった、とさっき言っただろう。つまり、あそこにいる兼続自身は実体ではなく、属性の思念で出来た虚かもしれない」
「それをわかりやすく」
「……幽霊みたいなものだ」

 なぜ理解しなかった、とまるで責めるようにわざとらしくゆっくり言われて、どうにも肩身が狭い思いをした。決して頭が悪いつもりではないが、これは特殊相対性理論のようなものだ。一つ一つかいつまめば難しいことではないのに、全体として集結すると途端に難しく思えてしまう。
 幽霊みたいなものとはいえ、幽霊ではない。つまり、本体の人間があるという状態で、それからふわりと浮き出た存在があの直江さん、ということか。

「それで、若いと?」
「理由もなしに若いわけではない。見れば、直江兼続は義を好み不義を憎む人間だ。豊臣政権の衰退と共に覇権を握ろうとする徳川家康を不義と断じ、直江状という皮肉に満ちた文を送りつけている。そして石田三成と共謀し、関ヶ原の戦いを起こすきっかけになったほどの人間だ」
「そうですけれど、家康が不義になるんですか。お隣の国では、豊臣秀吉こそ悪みたいに言っているじゃないですか。文禄慶長の役で」
「なぜ直江兼続の話でそんな話をする」
「だって、戦争ってお金もかかるし、兵だって必要じゃないですか。朝鮮出兵ってとても兵力を損じたって聞きますよ。何十万単位、までいくかは覚えていませんが。そこで、庶民は豊臣政権を維持しますか? しませんよ。それなら、徳川家康の新しい政権を求めるかもしれない。別に不義でもなんでもない」
「ころころと治める人間が変わることがいいことか? 首相がコロコロ変わっていいのか?」
「だめだめなトップなら変えるだけですよ。でも、一応、議会制民主主義である現代とは制度が違うのでこの話は置いておきます」

 なんだか、口論じみている。
 しかし、三成さんがどうして徳川家康を不義と断じるのか俺にはよくわからない。政治ってのは、その下にいる庶民たちのためにするものではないか。少なくとも、豊臣政権が良かったとは言い切れないのではないか。





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