「そもそも、愛ってなんだ。なんなのだ。理解に苦しむ。そんなことを楽しそうに話すお前たちもだ。一歩譲って、なにもないのどかな昼下がりに庭でパラソルを立ててその下でアフタヌーンティーをいただく春ならわかる。それでも、お前たちみたいなおっさんがそんな話をすることを受け入れるのに時間がかかる。それなのに、今は冬だ。立冬も過ぎた。その中で暖かいといえど人工的な暖かさのなかで過去の人間がタイムマシンを利用して現代にいる上に、五十を過ぎているはずの兼続がタイムパラドックスらしきもので若い男のままであるという状況で、なぜ愛なんかについて語るのだ」
「そういえば、この部屋は暖かいな」
「論点が違う!」
三成さんがここまでイライラと言葉を募ったのは、きっと自分の知的探究心を満たすべく尽力しているというのに当の本人は湯気のたつほのかな香りのナンタラという有名で高そうな紅茶の入ったカップを傾けながら出来立ての暖かいクッキーをいただいているような状況だからだろう。少しばかりその心境はわからないでもないが、俺も嬉々としてお茶にクッキーをいただいた身なので口にはしない。
直江さんは的外れなところに目をつけて、ストーブを覗き込む。今にも三成さんが蹴り飛ばしそうだが、さすがに分別したらしい。
「そのタイムマシンの仕組みがわかれば、解決の糸口になるかもしれんのだぞ」
「そんなこと言って、三成は他人事だからそう言うのだよ」
「たとえどれほど親身に相談にのったとしても、結局他人事と言われるのは心外だ。それは不義というやつにはならんのか」
「興味本位であれこれ聞き出すのも不義だぞ」
今、ようやく気付いたが直江さんは少し虫の居所が悪いらしい。三成さんの不機嫌は元より知れたことだったので、二人がケンカなんておっ始めるんじゃないかと懸念する。
どうやら、どちらも気位が高いらしい。
「いいか三成。愛なんか、とは言うが、愛がどれほど大切なものかわからないか」
「わからんな。少なくとも、今の状況で話す理由はない」
「理由? それも愛なのだよ」
「愛、愛、愛と馬鹿の一つ覚えのように。なら、その愛というものはこの状況を解決できるのか」
「さあ、義と愛しだいだ」
つんと顔をそらした直江さんに、三成さんはムキー、という擬音が似合うほどに頭をかきむしった。
「まあ三成さん、あなたが焦ったところでどうしようもない話じゃないですか。直江さんの問題なのですから」
「そうして良い人ぶったことを言って。結局、それは自分から他人事と突き放しているようなものではないか」
「時と場合によりますよ。本人をそっちのけで三成さんが騒いだって無駄なことです。ともかく、今は時間が必要です。一朝一夕で片付く話じゃないんですから」
「うむ。今日は寝たほうがいい」
直江さんの同意に不満で顔を彩った三成さんは、鼻息も荒く部屋に入るなり、荒々しくドアを閉めた。
残された俺は、直江さんが怒っちゃいないかと不安に思いながら、こっそり盗み見る。だが、別段怒っているようではなく、むしろ「しかたない」といった妙な悟りすら垣間見えた。
「三成は本当に、道草を食うことが嫌いのようだ。それだけでは見えないこともあるだろうに」
「まあ、公式に当てはめてブレもなく物事を進めて、完璧な解答を得ることが得意のようですから」
「なんにせよ、それが三成のおもしろいところといえばそうだ」
虫は元の位置に戻ったのか、驚くほど上機嫌だった。なにがそんなに楽しいのか、嬉しいのか、俺にはわからないが、怒っていないのならそれでいい(大事を控えているというのに、余裕がなくては話にならない)。
まだ、ついさっきの出来事なのだ。ほんの一時間前やそこらだ。実感が沸かないのかもしれない。処理しきれていないのかもしれない。なにから手をつけたらいいのかわからないのかもしれない。そこを慮る余裕が、三成さんにもなかったのだろうか。しかしなぜ三成さんがああも怒るのだろう。道草とはいえ、やっぱり自分にはほとんど影響のないものではないか。三成さんからとってみれば、この問題はただの電柱だ。
「しかし、島殿も随分落ち着いたな」
「そうですか?」
「落ち着いた。最初は、なにをこんなにも身動きが取れていないのかよくわからなかった。今は悠々自適に泳いでいるような雰囲気を感じられる」
「そのうち、誰かに釣り上げられるってことですかね」
「深読みをするな」
余裕がなかったのは、自分の信じられない現象を受け止め切れなかったからだ。ちょうど、今の三成さんも同じようなものなのかもしれない。だが、それだけではない。客観的に自分を見る機会が幾度となくあった。三成さんの手厳しい指摘も、随分学ぶところがあった。
自分ではわからないものだが、自分に余裕があるのかもしれない。
ふと、直江さんが絶え間なく手遊びをしていることに気づく。余裕ぶっているだけなのだ。本当は不安にさいなまれて、なにかしら喋り続け、緊張を逃がし続け、煩悶を繰り返している。
どこか、なにかを超越した人格の持ち主と思いがちだったが、彼もまたどこにでもいる平凡な人間だった。
「正直に言うと、こんな難題を置いて行った彼を憎む気持ちばかりだ」
「憎む?」
「そうだ。すべてを愛したいとは言ったが、憎らしい。知らずにいれば幸せであったのではないかと思うから腹立たしい。なぜこんなことになってしまったのか、理不尽な憤りを、少し三成にぶつけてしまった」
「アリなんじゃないすか? 人間なのですから。憎しみを知らない人間なんて、いないはずです」
人を愛することができるのは、小さいころに両親から愛されたからだという。人を憎むには、小さいころに両親に憎まれなくてはならないのか。違う。
憎しみとは、人間にとって最初から己の内にある根本的な感情なのだ。だから、教えられなくても憎むことができる。
12/02