その晩、元和元年の直江さんは惜しむ様子もなくにこやかに引き出しに飛び込み、帰ってしまった。元和元年に帰ったのだろうか。
 それから慶長二十年の直江さんは茫然自失と言った様子でソファに座っている。
 俺は三成さんに手をひかれ、三成さんに貸している部屋に引きずり込まれた。

「おい、説明しろ」
「説明って言っても、さっき話した通りです。彼はどうやら過去からやってきた人らしい。定かではないがタイムマシンと仮定するのですが、それを持っているらしい。それでもって、年を取らないらしい」
「信じられん」
「俺も信じられませんでした」

 あのときは夢を見ていたと思い込もうとしたが、そうでないらしいことを知り、意外とあっさりと信じた。その道のりは長かったようにも思えるし、あっという間のようにも思えた(今もまだ夢の中なのではないか、とふと考えた)。
 考えなくてはならないことが、たくさんあるような気がしてあまり話す気分ではない。けれど、俺が考えるべきことは実はほとんどない。どれもこれも、俺ではなく当事者の直江さんが自分で考えることだったからだ。タイムパラドックスの理由も、原因も、すべて、俺に起きた事象ではない。俺が考えたって、結局は他人事のきれいな意見でしかない。ゆえに、直江さんは一人でそれを考えざるをえない。孤独を友として、自らの矜持を吟じなくてはならないのだ。
 傍観者の立場ほど残酷なものはない。

「ともかく、あの兼続と話をしよう」
「何を」
「知れたこと。タイムマシンとやらについてだ。その仕組みが解明できれば、彼のタイムパラドックスを解決するきっかけになるかもしれない」
「ですが、話せますかね」
「やってみねばわかるまい。人間はステロタイプではないのだから」

 そう雄々しく言い放つなり、三成さんは部屋を出てつかつかと直江さんの前に歩み出る。そして、不遜に「話をしよう」と言った。相変わらず、態度が悪い子供だ。
 突然話しかけられた直江さんは、きょとんと三成さんを見上げ、瞠目した。

「三成?」
「なんだ、知っているのか」
「お前は……、ああ、そうか。島殿もいるのだから、当然か」
「なんの話だ」
「こちらの話だ」

 一人納得して目を伏せた直江さんに、三成さんはイライラとしたように手を動かしたり、何度か足踏みを繰り返す。そして、テーブルの椅子を引っ張ってきてソファの前に据え、そこにどかんと腰を下ろした。
 所在無く立っていた俺は、とりあえずテーブルのいつもの席につくことにした。

「タイムマシンとは、一体どのようなものだ」
「たいむましん?」
「お前が、時間を移動するのに利用している術だ」
「……よく私にもわからない。ふと気付いたら移動できるようになっていた」
「移動したいときに、勝手に移動できるのか?」
「多分」
「煮え切らないな」

 少なくとも、近未来的な装置を利用している、というわけではなさそうだ。むしろ、神道だとか仏教だとか、そういう観念的なニオイがする。現代風に言えば、魔法とでも言うのだろうか。もちろん、そんな答えではとてもではないが納得できない。
 いや、どんな答えでも納得できるはずがない。現在よりも文明の進んでいない、過去の世界でタイムマシンなどという前提から問題なのだ。
 三成さんの言及に頭を抱えていた直江さんは、ふと顔をあげて俺をまっすぐに見据えた。その瞬間、俺は言いようのない不安に胸の内が轟く感覚にくずおれた気がした。なにかを聞こうとしている目だ。俺に聞かれても困る。愛がなんだと考えるのにあれほど手こずった俺が、そんな無理難題に快哉な返事ができるわけがない。やる前から諦めるなとは言うが、無謀という言葉もある。

「島殿は、愛についてあれからなにか見解は変わったかな」
「え」
「ほら、とんでもない答えを出していたではないか。なにか変わったことはあるかなと聞いている」
「ええと、変わりましたよ」
「愛? まだそんなことを言っているのか。愛がなんだとわかってこのタイムパラドックスをどうできるという」

 この期に及んで、まだ愛だなんだと頭を悩ませるのか。という三成さんの苛立ちはもっともだと思う。
 けれど直江さんはほんの少しも悪びれる様子などなく、微笑みすら浮かべて背もたれに背を預けた。

「時間はたっぷりある。どうやら私は老いていないからな」
「だから、そこを気にしろという話ではないのか」
「考え始めれば底なし沼同然だ。だから、深みにはまる前にいろいろと話しておこうと」
「そんな、能天気でいいんですかい」
「いい。少なくとも今は」

 彼の脳内がちっともわからない。誰か、他人の脳を単純に解明するソフトかなにかを作ってくれないだろうか。万一俺が彼の状況に陥ったとしたら、このようにそこに居直ることができるだろうか。
 わかりやすすぎる人間というのもつまらないが、わかりにくすぎる人間も困ったものだ。

「まあ、いいとしましょう。愛は、簡単でした」
「ほう、言い切るか」
「どんな感情も愛なんですよ」

 直江さんがいつかに言った『どんな感情も愛に帰結する』という話に似ている。だが、愛に帰る、というよりも愛そのものなのだ。全ての感情は。
 俺の答えに、直江さんはそうかそうか、とそれは嬉しそうに笑い、三成さんは額に青筋を浮かべて頭を抱えてしまった。

「意味がわからぬ。愛も、お前たちもだ」





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