「慶長も元和も、昔の元号だ。慶長は関ヶ原の戦いがあった。元和は江戸時代だ」
「え」

 なんだって、と三成さんと同じように呟くところだった(呟いたところで問題はないが)。
 二人の直江さんは向き合ったまま黙っている。元和元年の直江さんは笑顔で、慶長二十年の直江さんは不審者を見る目つきだ。

「ちょっとまった。じゃあ、あんたらは未来の人間ではないってことか?」
「この時代から見れば、過去にあたる」
「うそだ」

 特殊相対性理論なら不可能な話ではない。あくまでも理論上は。しかし言ってしまえばそれは机上の空論のようなもので、実際に光速で移動する状況なんてものに出会うことなんてない(だから、“特殊”相対性理論というのだ)。現代でもそうなのに、ましてや、江戸時代なんて(浦島太郎じゃあるまいし)。
 俺は彼を未来人だと思い込んでいた。けれど、過去の人間だ。過去の人間が、どうやってタイムマシンを有し、未来へやってくることができるのだ。

「嘘なんかつくものか。私は元和元年、彼は慶長二十年だ」
「じゃ、じゃあ、どうやってここへ、未来へやってきたというのですか」
「どうやって?」

 慶長二十年の直江さんが、ふと俺を見て首をかしげた。それほど馬鹿な質問をしたと思われたのだろうが。だが、当然の疑問ではないか。
 三成さんは目を回して立ったり座ったりを繰り返す。

「どうやってと言われても」
「だって、未来へ来るには光速で移動しなくてはならないんですよ」
「未来へゆくばかりではない。過去にも行ける」
「いったい、誰の理論だ!」

 三成さんは自分が使っている部屋に駆け込んで、なにかを探しはじめた。本が汚くなることも気にせず、ばっさばさと放り出しているらしい。紙がベラベラと音を立てている。
 未来へゆくことができる、という理論はアインシュタインだ。だが、他の理論を俺は知らない。

「ゲーデルか!」
「さあ、そんなものは知らないが」
「ゲーデルの解ならば過去への時間旅行が可能だ。だが、それは不確定要素があまりに多い。宇宙がゆっくり回転しているという仮定の上での話だ」

 なぜ宇宙がゆっくり回転していると過去への時間旅行が可能なのか。少なくとも俺にはさっぱり理解できなかったが、口を挟める雰囲気ではない。
 ゲーデルよりも気になるのが未来にも過去にも時間旅行ができるという事実と、直江さんが二人に増えてしまった理由だ。どうして、なんてことはこの際わからないのでなしだ。

「信じられん。引き出しか、あの引き出しで移動するのだな。おかしいと思ったのだ。引き出しから人が出てくるなんて。すっかり大人である兼続が現代のことをなにも知らないなんて」
「隠していたわけではないんだが、すまない」

 そこはやはり引っかかっていたらしい。しかし、まさか過去の人間だなんて彼は思わなかっただろう(俺もある意味で思わなかった)。

「それで、なぜ、直江さんが二人に? 元和元年のほうの直江さんは、慶長二十年のほうの直江さんに用があったようですが」
「私に用が?……未来の私が、私になんの用で」
「いや、なに。私の日課がなんだったか覚えているか?」
「人々に謎かけをすること、だ」
「その通り。そして、それを実行するために来た。他人に謎かけする機会はあっても、自分に、客観的に謎かけする機会なんて滅多にないだろうからな」
「して、その謎かけとは」

 誰もが息を呑んだ。
 不思議なことに、異様な状況であるというのに彼の謎を心待ちにしているのである。

「『私』は『誰』か。『私』はどこから始まったか。なぜ、時間を移動できるか」
「そんなもの、簡単だ。『私』は『直江兼続』。『私』は永禄三年から始まった。時間を移動できる理由は、きっと義と愛」
「それは正解か?」
「は」

 哲学的で抽象的な質問だった。
 『私』は『誰』と聞かれれば、『私』としか答えようがない。『私』はどこから始まったか、と聞かれれば『私』が生まれた日を考える。一番最後の質問に関しては具体的とも思われ、俺には無縁の話だ。
 その通りに答えた慶長二十年の直江さんは、元和元年の直江さんの問い返しに首をかしげた。

「おかしいではないか。『私』は永禄三年に生まれた。慶長二十年になっても、元和元年になっても、外見は若いままだ。もう、五十を越えているはずなのに」
「五十!」

 どう見たって、どちらの直江さんも二十後半といった容貌である。若作りでは済まされないレベルの食い違いだ。
 慶長二十年の直江さんは、あっ、と叫び、元和元年の直江さんを凝視した。

「そうだ……、確かに、私は若いままだ」
「その通り。それはなぜかな」
「わからない」
「それが謎かけだ。では、私は用も済んだので失礼するとしよう」

 誰もがその場に座ったまま、脱衣所に向かう元和元年の直江さんの背中を見つめていた。





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