無事に豊臣さんを撒いて、家についたのは夜の八時を回ったころだった。
家につくと、直江さんの熱烈な出迎えと三成さんの無言の歓迎が待っている。どうやら、今日も勉強をしていたらしい。テーブルの上にペンやルーズリーフが散らかっていた。
ふと考えると、この生活ももうすぐ終わってしまうといいうことに気が付いた。直江さんは数日だけと言っていたし、三成さんも一ヶ月限定だ。そうと気付くと、今さらながらに物寂しいものを感じる。寂しい、と自覚したときにようやく、自分がやたらに三成さんにそっけなくした理由に得心がいった。なんだかんだと言って、一人に戻った瞬間が怖い。たぶん、それだけなのだ。
夕飯は煮物だった。煮物類は好物なので思わず浮かれてしまったが、そこはたんと抑えた。
「そういえば、プリンを買ってきた」
「プリン?」
「前に、プディングがどうと言っていただろう。プディングはプリンのことだ」
「ほお」
それを知って、直江さんはにわかにはしゃいだようだ。煮物のレンコンをぽりぽりと噛みながら鼻歌を歌いだしそうな勢いである。
見てみると、直江さんはえらく行儀がいい。一口がまるで小さい。食べるのが遅いうえに、量も少ない。三成さんや俺が特別に行儀が悪いわけではないが、直江さんを見ていると少し野暮ったいように思えてしまう。
それから、いつものように適当な雑談を交わしつつ夕飯を食べ終えたのは、九時にも回るところだった。
三成さんは冷蔵庫からプリンを持ってきて、直江さんに差し出す。
「ああ、なるほど。これがプリンだったのか」
「知っていたか?」
「見たことがある。ということは……ふむ」
プリンを眺めるなり、悶々と考え始めてしまった直江さんに首をかしげながら、俺にも差し出されたプリンを受け取った。
直江さんは考えることをやめたのか、ペラ、とプリンの包装を解く。
「つるつるしている!」
「そういうものだ」
もはや、直江さんが知らないということを当たり前のように受け止めている三成さんは事も無げにそう答える。慣れ親しんだ光景だった。
それから直江さんは、奥から湧き出るカラメルに驚き、俺と三成さんを笑わせた(三成さんは口元だけで笑っただけだが)。
「だって、黒いものが……、黒蜜か?」
「カラメルだ」
時代を超えた友情。そういった陳腐な一文が頭をよぎった。
そのとき、俺の部屋のほうからガタガタと妙な音がした。三成さんは気が付かなかったようだが、俺と直江さんは耳ざとく聞きつける。強盗だろうか、という疑問よりも誰かが引き出しから出てきたのか、という疑問が真っ先に浮かぶのがまたおかしい。
「待ち人ですか?」
「うむ。そんなところだ」
誰が出てくるのだろうか。
なにを期待しているのか、俺の知っている人間が出てくるわけもないが妙に胸が高鳴る。
その人は少し苦戦しているのか、しばらくガタガタと音を鳴らしている。ようやく三成さんが異変に気が付いたのか、俺をちらりと見遣った。直江さんの待ち合わせ相手ですよ、といった意味で肩をすくめたが、三成さんは首をかしげるばかりだった(まあ、俺の部屋の引き出しから出てくるなんてまさか思わないだろうし)。
ドアを開けて、その人は姿を見せた。
「島殿、久しぶり、だ……な?」
「……へっ?」
俺も三成さんも、入ってきたその人も目を剥いて呆然とした。そして、プリンを食べている直江さんを一斉に見る。
「わ、私がいる?」
「え、ちょ、わ……、あの」
「兼続が二人いる」
入ってきたその人は、直江さんだった。プリンを食べている直江さんは現代の出で立ちだが、入ってきた直江さんは例の白い兜に時代劇のような格好だ。
座っていると落ち着かないので、意味もなく立ち上がって二人の直江さんを交互に見比べる。同じ顔だ。なにも変わった様子はない。ただ、入ってきた直江さんはひどく狼狽していたが、プリンを食べている直江さんは風のない日の湖のように落ち着いている。
どういうことだ。なにがどうなっている。
彼は双子だったのか。いや、でも入ってきた直江さんは驚いている。だからその可能性はない。じゃあ、どうしてそんなことになるのだ。
「兼続、どういうことだ」
「しっ、知らんぞ」
「お前ではない」
三成さんが『兼続』と呼ぶと、入ってきた直江さんが反応した。つまり、彼も『直江兼続』であるのだ。
プリンを食べていた直江さんは落ち着きはらってテーブルにスプーンとプリンを置き、仰々しいほどにゆっくりと立ち上がり、床に正座した。入ってきた直江さんは、唖然とその様を眺めていたが、我に返って同じように正座した。
まったく同じ顔の人間が向き合っている。鏡のようだった。
「驚かせてすまない。私は元和元年の直江兼続」
「あ、はあ……。取り乱してすまない。私は慶長二十年の直江兼続だが……」
隣で三成さんが、「なんだって」と呟き、冷や汗を流していた。
12/02