「最近、いい表情しとるなあ。島」
「そうですか? おかげさまで」
「心にもないことを言いやがって、こいつ。その大仏みたいなツラもそろそろ般若のごときツラになるんじゃろうがな」
「ああ、決算か」
年末の仕事ほど嫌なものはない。有給使って休んでしまおうかなんて思っても、二十六歳の若造の身でそんな大それたことをする気概もない。
真っ暗なディスプレイに映った自分の顔を睨み、髭を整えている豊臣さんは大きなため息をついて、のろのろと電源を入れた。この人にしては珍しく、やる気がないようだ。いつだって、どんな仕事も嬉々として受け取っているのに。やはり年末は誰だってイヤなのだろう。
「あーあ、島、今日泊めてくれんか?」
「は」
「ちょっと、ほーんのちょっとだで? 一時間ばっかし遊んだだけなのに、ねねがとんでもない剣幕で怒っとるんじゃ。今日家に帰ったら、わしは明日出社できん。それだと、困るじゃろ?」
「いや、俺は格別に困りませんが」
「困る!」
だだっ子のようにじたじたと手を振り回して、豊臣さんはいかに自分がいないかによって俺のこうむる害を熱弁した。だが、それも右から入れて左へ流すだけだ。
俺の家には現在、二人の居候がいる。寝る場所なんて、あとは床くらいしかない。それに自分のまいた種だ。自分で責任を取ってほしい。
「だから、な? な? ねねが落ち着くまで」
「いやですよ。そんなスペースないですって」
「ああ、義理の弟がおるんだったか。大丈夫。わしならソファでもなんででも寝るから」
「ソファでは俺が寝てるんですよ」
「なに? なら、弟が島のベッドで寝ているんか?」
「ちがい……、いや、そうです」
「違う? なんじゃなんじゃ、弟の彼女でもおるんか?」
慌てて取り消したが、豊臣さんは目を輝かせて食いついてきた。妙な野次馬根性をときたま見せるのが、ちょっと俺は苦手だ。
「別に。知り合いがもう一人いるだけで……。わかりましたか。一人で住んでいた部屋に今三人もいるんです。いくらなんでも、四人は」
「あーん、島、お願いじゃ、一生に一度の!」
「イヤです」
この間だって一生に一度のお願い、って言ってねねさんに一緒に頭を下げに行ったではないか。一年くらい前の話だったか。一年に一度、一生に一度のお願いを使う気か。
少しでも甘えを見せると、とことんつけ込まれてしまうのでなるべく無愛想に答えるが、豊臣さんは食いついてくる。
「なあ島、ねねの怖さは知ってるじゃろ? な、な?」
「やですって。そんなにイヤなら、ビジネスホテルかなにかに一泊していけばいいじゃないですか」
「あかん。金を使うと遊んだと勘違いされる」
「潔白なら素直に証明すればいいでしょう」
「その手は何度も使った」
恐妻を迎えてから、女遊びは控えているらしいと聞いていたが、実はそんなことなどなかったようだ。十分遊び歩いているらしい。奥さんもかわいそうに。
これで、家に誰もいなかったなら少し渋って頷いたかもしれない。けれど、現実には義理の弟と未来人がいる。二人は散々に理科を勉強しつくして今や一般相対性理論なるものに食指が動いている(これはアインシュタインが特殊相対性理論に続いて発表した理論で、俺も一度は見てみたがレベルがあまりに違いすぎたため、諦めた)。
そんな奇妙な空間をあまり見られたくない。
「ともかく、今回はだめです」
「ふーん。ほーかほーか。島は、義理の弟とその友人と毎晩毎晩……」
「どうしてそうなりましたか」
「別に。そこまでして連れて行きたくないなら、相応の理由があるんじゃろうなと思っての。なにか問題が?」
「ないと思っているんですか」
「火の無いところに煙はたたず」
「火は豊臣さんでしょう」
俺はそんなそぶりなど見せていない。勝手におもしろがって豊臣さんがそう言っているだけだ。とんでもない。ああ、とんでもない。
身の潔白を証明したさにうっかり、「なら、来て見てみてください」と言いそうになったがそれでは豊臣さんの思うツボなのだ。彼の策略に乗せられてはならない。
「ちえ、これでもダメじゃったか」
「当然です」
「あー……、困ったのう……」
今日のやる気のなさは夫婦喧嘩が原因らしい。犬も食わない。
豊臣さんは、ため息をつきながら俺のデスクを蹴って、カラカラと移動してゆく。たどり着いた先は自分のデスクではなく、タバコをふかしている島津さんのデスクだった。そこでも何度か頼み込んだり、なだめすかしたりしている様子だったが、やがて冴えない表情で別の人のデスクへ移動し……、を何度か繰り返し、戻ってきた。
「はあ……、皆、つれないのう。みんな『家庭があるので』だで? 独身も全滅。あーあ。わしの命運、ここに尽きたり」
「ま、あきらめて、奥さんになにか土産でも買って帰ったらどうです? ボーナス出るでしょう」
「土産か……、なにがええかな?」
「そんなの、奥さんの喜びそうなものでしょう。俺よりも豊臣さんのほうが詳しいでしょうに」
椅子に乗ったまま、クルクルと回転しながら豊臣さんは考え込む。だが、考えが定まる前に気持ち悪くなってしまったらしい。青い顔で大人しく自分のデスクについた。
12/02