「うむ。少し濃い味だったがよい塩梅だった」
「……そうか」

 すっかり現代風の青年となった直江さんは、箸を食器の上に置き三成さんに対して頭を下げた。初めはカップラーメンの出来事を覚えていたのか、警戒するそぶりを見せていたが存外に気に入ったらしい。
 答える言葉も見つからないのか、三成さんはそれだけ言って口を噤んでしまう。けれど直江さんはちっとも意に介さなかったようで、にこにこと笑顔のまま三成さんを眺めている。三成さんの口数が少ないのは今に始まったことではないが、この直江さんの妙な視線に居心地が悪いものを感じているのかもしれない。

「そうだ。寝床どうしましょう。俺のと、予備が一つしかないからもうないんでしたっけね……。今日のところは俺のところで寝て置いてください」
「いや、それは不義になる」
「ふぎ?」

 耳慣れない言葉に三成さんが反応する。すぐに漢字が思い当たらないのか視線が宙をさまよっている。

「義の反対だ」
「ぎ?」

 思い当たる漢字がありすぎて、どれにしたものか悩んでいるらしい。普段使い慣れない言葉だからむりもない。そういった概念なんて、今日絶えて久しいのではないだろうか。

「ふむ……、三成、義、不義がわからないか?」
「どういう字だ」
「どれ、したためてみせよう」

 そういうなり、脱衣所へ向かったかと思うと習字に使う半紙よりもわら半紙に近い紙と、すずり、筆を持ってきた直江さんは、墨をすずりに乗せて首をかしげた。まさか、そこまで時代をさかのぼったことをしているとは思わなかった。いくら、未来に文明が伝わらなかったかもしれないとしても、ペンくらいは残っていてもいいのに。ともなると、彼は未来の懐古趣味でわざとこうしているのかもしれない。そう考えると、一番自然のように思えてきた(ロマンはないが)。
 三成さんも目を剥いている。引き出しから現れた得体の知れぬ男が自分の名前を知っているうえに、今から墨をすろうとしているのだから。

「祐筆は……いない、か。水をもらえれば助かるのだが」
「いや、あの、書くものはあるので、そちらを使ってください」
「なに、それはすまない。用意がいい人間だな」

 電話の横に備え付けてあるペン立てからペンをひとつ取り、直江さんに渡してやる。すると、直江さんは九十度ほども首をかしげてしげしげとペンをながめた。
 彼が未来人で、懐古趣味ならばペンくらい知っているはずだ。それとも、ペンなんてものはすでに時代遅れ、見たこともないというほど未来の文明は進歩しているのだろうか。

「これ、このままペン先をグリグリすれば書けますよ」
「なに?……む、本当だ。これはすごい。それに、墨もたれない」

 直江さんはキャッキャとはしゃぐようにわら半紙にガリガリとペンで文字を書く。その文字は『生江当孫』と書いてあるようにも見えた。が、どうやら達筆すぎる行書のようなので、実際にはなんて書いてあるのかわからない。
 ペンというおもちゃを手に入れた子供のように、寝そべってガリガリと紙に向かってしまった直江さんを尻目に、三成さんは唖然とした表情のまま俺に呟いた。

「お前の知り合いは、何人だ」
「名前からして日本人でしょう」
「名前? そういえば、知らんな」
「直江兼続さんです」

 そういえば、『直江兼続』か。あの『生江当孫』は『直江兼続』を簡略して書いたものなのかもしれない。いや、兼続の『続』の字は『継』かもしれないから、どうだろうか。
 紙に立派な『義』『不義』という字を載せて、直江さんは俺と三成さんにそれを見せた。三成さんはなるほど、と得心したようだった。

「義とは誰の心にもある、守らなければならない存在だ。不義とは、許されざる存在である」
「そうか、兼続。お前は時代劇みたいな人間だ。仁義、とかそういう」
「仁義もまた大切な観念であるな。しかし、昨今は不義にかどわかされる輩も多く、義の心が遠くなってしまったように思える」
「それも、そうだな。そもそも、義という概念そのものが薄れているのかもしれん」

 意外と話がかみ合っているもので、聞いている側はおもしろい。直江さんと三成さんは、そもそも生きる時代が違うのだ。三成さんは現代っ子だが、直江さんは未来っ子だ。話しながら互いに頭に思い浮かべていることは違うのだろう。そのすれ違いがなんとも奥ゆかしい。
 しかし、どう見ても達筆な字だった。筆で書いてもらったら、もっとすばらしい字になるだろう。そう的外れなことを考えているうちに、直江さんは突拍子もないことを言った。

「いや、三成も十分、義に生きた人間だったぞ」
「お前、やっぱり俺を知っているのか。どこで知った」
「あ、いや、なに。気にするな。言葉のあやだ。お前も義に生きる人間になるだろう、だった」

 過去形だった。
 つまり、彼は(現在から見た)未来で三成さんに出会っているということか。あわてて取り繕ったのは、未来では過去に干渉しいたずらに未来を改竄するようなことを厳しく禁止する法律があってとも考えられる(俺はもはや彼を未来から来た人間だと信じて疑わない)。
 三成さんは疑わしげに直江さんを言及しようとしたが、直江さんがすっくと立ち上がり、寝床どうしようかな、とわざとらしく言ったので、はぐらかされるような形になってしまった。





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