今日は仕事が早くに上がり、六時頃に自分の家に帰ってこれた。電気はついておらず、まだ三成さんは帰ってきていないらしいということが推測された。そういえば、いつも何時ごろに帰ってきているのだろうか。
 ぼんやりと彼が帰ってきてからのことを考えて、胃が重くなる感覚に悩まされた。話す必要なんてないし、ほうっておいてくれと言ったからほうっておかれるのだろうが、腹に危険物を抱えているような不安が残る。割り切るという思い切りがいかに難しいか、よくわかった。というのも、なぜだか妙に未練があるからなのだが。
 かわいくないクソガキじゃないか。たとえ義理の弟であろうと、こちらがアクションを起こさない限り、これっきりの付き合いではないか。だから、なにを怖がる必要がある。
 怖がる。
 納得はできないが、俺の心境に最も近い言葉がそれだった(納得のできる言葉は存在しないと思うけれど)。
 俺は多分、怖がっている。失望されたように思っているのだ。しょせんお前も大衆と変わらない腐った人間だと思われることが怖い。抜きん出ていなくていい、普通でいいと思いながらも、なにか優れたものが欲しいのだ。たいした努力もせずに。なんの努力もしないで俺は愛されるものをねだっているだけなのだ。そう見透かされてつまらない人間だと思われることが怖い。そして自分を凡庸な人間と、内側に働く本心と外側に働く本心と両方で認めることが怖いのだ。
 生温かいリビングにカバンを放り出して、三成さんがいないことをいいことにパッパッとスーツを放り出し、少し楽な格好でくつろいだ。けれどすぐに寒さを覚え、厚手の服に着替える。
 そろそろストーブをつける時期だな。
 ストーブは今、三成さんが使っている部屋に置いてあったはずだ。悪いが、勝手に入らせてもらうことにした(もともとは俺の家だ)。
 部屋は驚くほど整頓されている。俺の知る彼のイメージによく似合うほど秩序が保たれている。物が多い印象だが、もともと物置に使っていた部屋だったし、ほとんどが俺のものだったから彼自身の私物というものはほとんどないようなものだった。
 そこから、一年ぶりにストーブと再会を果たし、リビングまで引きずっていった。ガス栓につなぎ、恐る恐るスイッチを入れてみる。久しぶりなせいか、付きが悪い。付いたと思ったらニオイがきつかった。
 そうこうしているうちに三成さんが帰ってきたらしい。無言のままリビングに入ってきて、キッチンに直行する。ビニール袋を一つ持っていた。

「おかえりなさい」
「……ん」
「挨拶はできて損はないですよ」
「……ただいま」

 意外と、普通に接している自分がまるで自分から剥離したうわべの存在のようで、薄気味悪さすら感じた。
 彼は気まずさというものを感じていないようだ。言葉少ななのも今に始まったことではないし、挨拶をしないのも前と変わらない。少なくとも、傍目には変わらないように見えた。
 話さないことは珍しくなかった。けれど、話さないと気まずく感じてしまう。なにか話題になることはないか、と探すが、彼と共通の話題はアインシュタインか愛しかなかった。

「特殊相対性理論ですけれど、詳しいんですか?」
「本で得た知識くらいなら」
「なら、タイムマシンって可能だと思います?」
「不可能」

 この理論とタイムマシンがどう関係するかというと、単純な話だ。とどのつまり光速に近い速度で移動すると、時間の進みが遅くなるという話で、光速で移動し続ければ、未来に行くことも可能なのではないか、ということなのだ(移動している人間も元素レベルから時間の進みが遅くなる)。

「お前は信じているのか? そんな、ばかげたことを」
「信じていますよ。もちろん。ただ、未来に行くのみではなくて、過去にもいける通説のタイムマシンですけれどね」

 そもそも、俺が愛だなんだと考え始めたのは直江さんの登場からなのだ。直江さんは時代錯誤な言葉遣いと格好で愛について聞いてきた。
 格好や言葉遣いは古臭いものを感じられるし、特殊相対性理論では未来に進むことしかできない。となると過去からやってきたと考えるのが妥当だが、ありえない。光速で移動する技術もそうだし、光速で移動する際の身体への影響を無にする技術があるわけがない。
 あれか。彼の時代は馬、あるいは牛車で移動するのだろう。あまりに夢のないタイムマシンではないか。

「信じるのは自由だろうが、その年でそんなことを言っているのは少し、見苦しいな」
「俺だって、この間までは信じていませんでしたよ。でも、未来人に会ったんですもの」

 宇宙人の可能性も捨てきれない。が、タイムマシンの実在は確かだ(いや、もしや、現代にやってきた宇宙人の可能性もあるが)。
 キッチンでガタガタと作業する手を止め、彼は不機嫌と言っても差し支えのないほど顔をゆがめて俺を見た。

「お前は、意味がわからん。タイムマシンを信じて、未来人に会ったと言い、愛について苦悩する。さっぱりわからん。できればわかりたくない」

 なかなか手厳しい一言のような気がしたが、俺が彼の立場だったならば同じことを思うだろう。普通、未来人に会ったなんて誰も言わないし、言ったところでSF好きで本の世界の住人になってしまったと揶揄されるのがオチだ。俺だってそうする。
 そのとき、ふと閃くものがあった。
 こんがらがった糸がするするとほどけていく爽快さだ。

「……そうか、これが愛か」
「なんだ、マゾなのか」
「違う。愛って、やっぱり観念的なものですねえ」
「意味がわからん」
「なるほど、定義するとよけいにこんがらがってしまうものだった。総体的に考えれば……、ああ、なんだかすっきりしましたよ」
「どうでもいい」
「直江さん、いらっしゃらないでしょうかね」
「呼べばいいだろう」

 そう簡単には言うけれども、相手は未来人だ。どこにどう連絡すれば来るのかわからない。
 とりあえず、自分の部屋の引き出しを覗き込んで、直江さん、と呼んでみた。





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