三成さんが俺の家に同居するようになってからというもの、少し俺の生活リズムが狂っている。決して悪い意味ではないのだが、彼は俺が家に帰るころにはなにかしらの夕飯を作っているのだ。もちろん、俺のぶんも。洗濯機を回そうと思って見てみると、中は空っぽで乾燥機が回っている。シャワーを浴びようとしたら風呂が沸いている。
助かるには助かるが、どうにも俺のやることがないような気がする。やるなとは言わない。そのほうが楽だし、同居の代わりにホームヘルパーをしてもらっていると考えればいい。だが、慣れたくない。だから、本音としてはあまり手を出してもらいたくない。
「ははあ、なるほど。女房が欲しくなるんだな」
「女房を?」
「そうじゃ。期間限定の同居なら、そのうちそいつはいなくなるんだろ。その子がいなくなったあと、自分で家事をするのがばからしくなって、家を守る女房が欲しくなるってことじゃろ」
「そうなんでしょうかねえ」
なにが不満なのか、自分でもわからないほど日々沈鬱としたものを抱えている。その内容がひとつだけならば俺もわかりやすくて助かる。けれど、実際には多岐に渡る不明瞭なものだからお手上げだ。
そういった胸のうちをつらつらと吐露したところの、この答えだ。納得はできないが、俺も知らないうちにそういったことを感じている可能性も否めない。
「そういうもんじゃ。家に帰って、暖かい部屋に風呂、メシが用意されていることのありがたさを思い出すんじゃ」
「思い出す?」
「小さいころに、両親に面倒見てもらっとったときのことさ」
「ああ……」
返事を濁らせたが、豊臣さんは特に気にかけなかった。
豊臣さんの話には首をかしげるものがあったが、別の角度から見てみるとそれが的を射ているように思う。俺は鍵っ子だった。そのことが、俺にあの居心地の悪さを感じさせているのかもしれない。引いては、愛についても似たようなことが言えるような気がする。とどのつまり、両親からわかりやすい形の愛というものを提示されなかったから、俺はとりわけ愛というものに懐疑的で、結婚に対して身構えるところがある。そう考えると納得できるものがある。
「なるほどねえ」
「じゃろ? 嫁はいいぞ。なんてったって、こうしてわしが酒を飲んどる間にも、メシの用意をしていてくれている」
そう、俺は豊臣さんと二人で『木ノ下』でちまちまと酒を仰ぎ、つまみに手をのばしている(阿国さんは最近、出雲に帰ったそうだ。いわゆる、寿退社というものだ。それがまた、豊臣さんが俺に結婚がどうこうと言ってくるきっかけになっていることも否めない)。
その間にも、三成さんはなにかを作って、アインシュタインを読みながら俺の帰りを待っているのだろうか。そう考えると、今すぐにでも帰らなくてはならないような、そういった束縛感が芽を吹いた(それを束縛と感じるならば、俺は結婚なんて考えないが吉だろう)。
「……それとも、島は、そういう趣味なんか?」
「冗談じゃない」
「いくらエエ子紹介するったって断るし、女ッ気もない。かと思えや、学生の男の子にうつつを抜かして」
「勘弁してくださいよ」
「聞くところによると、えらいべっぴんさんな顔をしとるって言うし」
「いい加減にしてください」
最初はからかうつもりで言っていたのだろうが、考えるうちに彼の中でそれは信憑性のある仮説になってしまったようだ。彼自身は三成さんを見たことがない(最初は見に行く見に行くと言っていたが、次第に興味は薄れたらしい)。だからこそ、そんな気のない男すらも虜にしてしまうような、とんでもない美少年を想像しているのかもしれない。
からから笑っていたはずが、今は難しい顔で視線を泳がせている。
そういうものを差別するというつもりはないが、自分にその気はないのにそうであると断じられれば気分が悪いものだ。上司であることも棚に上げて、牽制するように低い声で呟けば、さすがにお遊びが過ぎたとばかりに舌を見せた。
「すまんすまん。ジョークジョーク」
「の、割りにはいやに真に迫ったものがありましたが」
「なに。そういうこともあってもおかしくないかもな、とな。ま、島は男も女も関係なく、縁がなさそうじゃ」
「これでも、近寄ってくる女はいますけれど」
「そういう意味ではなくて。家庭っちゅうものが似合わん。周りから隔離されたように浮き出ておる。お前に近寄るのは、空気の読めない人間か、えらく空気の読める人間かのどちらかじゃ」
「解析、ごくろうです」
彼は他人の特徴を捉えるのが得意だ。言われてみればなるほどと思える。確かに、昔から変なヤツばっかり近寄ってくる。それを言った豊臣さん自身は、えらく空気の読める人間のうちに入るだろう。
「流すなって。意外と真剣なんじゃぞ? あたりさわりなく、人付き合いをこなしているような気になっとるだろうが、周りはそうは思っておらん。お前の周りは妙に冷ややかじゃ」
「俺が冷たいってことですか?」
「そういうわけじゃない。むしろ温かみがある。だが、島の周りだけ、ほんの数ミリ、絶対零度のように冷え込んでるんじゃな」
こういう指摘は、おもしろいと思うと同時に、俺にどうしろと言うんだという不満もある。周りの人間から見ると俺はそういう人間であるのか、という認識を知ることができるならば、円滑な人付き合いも望めようが、抽象的な指摘であった場合、どこをどうしろと求められているのかと勘繰ってしまう。この場合、俺の周りにある不思議なヴェールを取り除く努力をしろ、という話なのだろうか。それも冗談じゃない。
そういえば、豊臣さんは酒を飲んでいるが、帰りはどうする気なのだろうか。
12/02