昨日、少しだけ三成さんと話したが、どうにも俺は大人気なかったのではないか、と不安に思った。
 近頃は過去を振り返って後悔することが増えた。なんともつまらない人間だと嘆息を禁じえない。しかし、愚直なほどにまっすぐ突き進むほどの勇気もなく、自分が正しいという自信もない。若い頃はそうであったのか、と問われれば、今とあまり変わらない。自分の意見を主張してから、ふと相手の顔色を窺うのだ。そういう自分があまり好きではない。
 三成さんはそこが俺と違う。第一印象が悪いと感じたのはやはり態度の悪さなのだが、同時に、少しくらいはそういった、相手の顔色にも臆さないところが羨ましかったのかもしれない。
 今日も彼は分厚い本を読んでいる。あと少しで読み終わるらしく、残りページは目算二十ページといったところだろうか。どういった内容であれ、あれほど厚みのある本を読みきるということは簡単にはできない。あの本を手に取っただけで、俺は諦める自信がある。

「なにか言いたそうな顔だな」
「そうですか?」
「言いたいことがあるなら言え。そう、ねめつけられると気分が悪い」

 かわいげがない。だが、かわいげがある状態を望んでいるわけでもない。俺にとって、多分、彼は排斥せねばならない存在だからだ(明確な理由なんてないようなものだが)。
 言いたいことがあるように見える、と言われても、特別に言いたいことがあるわけでもなかった。だから気分が悪いと言われても俺の知ったことではない。じろじろ見ていたのは、彼の持っている本が気になっていただけだ。

「その本、なんだろう、と」
「……別に。ただの本だ」
「内容が」
「知る必要はない」
「なら、もうしばらくねめつけさせていただきますよ」

 ブックカバーで表紙は見えない。遠目にちらりと覗いたことがあったが、文字ばかりの本ではないようだ。挿絵のある小説という様子でもなく、なにかを説明するための図解のように思える。推理小説なんかは、たまに間取りなどを図においてくれていることがある。その類だろうか。
 でもそれならそうと言えばいい。推理小説を読むのを恥ずかしがる年でもあるまい。それとも、仲良くする気のない相手にはなにも言いたくない、のだろうか(となると、俺が彼の本に興味を持つのはなぜだろう)。

「忘れればいい」
「なんの本か教えてくれれば、さくっと忘れます」
「……アインシュタインだ」
「は」
「アインシュタインだ」

 恥ずかしげ、と言うよりも不愉快げに彼は答えた。
 アインシュタインと。一時期だけ俺も興味があったから、わずかながらに知っている。この間も、タイムマシンのことでアインシュタインの特殊相対性理論を持ち出した。
 名前が大層だから難しそうな印象があるが、特殊相対性理論自体は中学生までの知識でも十分に理解できる内容だ。ただ、その内容がどうにも受け入れがたいから難しいのだ。

「アインシュタインって、相対性理論とか、なにかでノーベル賞を取ったあの人ですよね」
「そうだ。アルベルト・アインシュタインだ」

 当たり障りのない返事をしたつもりであったが、彼はなにかが不満らしい。しかめっ面で頷き、本をパラパラとめくっている。
 俺は興味の持った特殊相対性理論しか知らない。興味を持った理由は、まず、名前が珍妙だったからだ。相対とは、絶対の反対で、つまり曖昧である、ということになる。ということは、特殊な曖昧理論。ほら、変だ。内容は今となっちゃほとんど覚えていない。『光速に近い速度で移動すればするほど、時間の進みは遅くなる』という不思議な結論くらいしかわからない。
 これに興味を持ったのは高校生のころだった。となると、彼は俺と似たような道を踏んでいるということになる。

「なぜ、そんなものを」
「双子のパラドックスを知っているか」
「ええ。双子のうち片方が光速で移動して、帰ってきたら残っていたもう片方が年を取っているっていう」
「それだ」

 それだ、と言われても。
 これについて俺はあまり詳しくはないが、アインシュタインの特殊相対性理論によると『光速で移動すればするほど、時間の進みが遅くなる』という法則が適用されて、そうならねばならない。という話ではなかったか(パラドックスというのだから、きっとそれは『ありえない』ということなのだろうが)。
 知ったかぶりをしてしまっているような気になり、これ以上言及されないことを祈りながら彼を見ると、視線がぶつかった。彼も俺を見ていたらしい。

「周りは、『賢しげにそんなものを読んで』と俺を笑う」
「俺もそうでしたから。読めばわからないでもないのに、読む前から放り出している」
「そうだ。腹が立つ」

 俺に本のことを言いたがらなかったのは、それが理由のようだった。
 いくら(特殊相対性理論は)中学生までの知識で理解できる範囲とはいえ、難しいものは難しい。光速で移動して、なぜ時間の進みが遅くなるのか、理論は理解できてもそれが理解できないものだ。俺も、とてつもなく苦労した覚えがある。そんなものを読んでいる俺を、周りは鬱陶しいとまではいかなくとも、少なからずそういった煙たく思う気持ちで見ていたに違いない。アインシュタインなんて学生には高嶺の花のようなもので、それに難なく手を伸ばしている存在に、近寄りがたいのかもしれない。
 だが、言ったとおり、読めばわからないでもない。わかりやすく説明している資料なんていくらでもある。つまり、俺に対するそういった視線は、怠慢と悋惜の極みにあるものだった。

「それで、パラドックスのほうは?」
「問題ない」

 はてさて、なにが問題ないのだろうか。浅学が滲み出ていてみっともない。でも、新たに勉強しなおす気概もないので、その話題はそこでやめることにした。
 ほんの少しだけ彼に親しみを覚えてしまったという事実は否定できない。同時に、彼も俺に興味を感じたのか、ぽつぽつと俺に話しかけるようになった。その内容のどれもが、俺には縁のなさそうな、意味不明の言葉の羅列だったことは言うまでもない。





12/02