ここのところ、俺は少し機嫌が悪いように見えたらしい。豊臣さんがからかうように告げてきてはじめて知った。心当たりがないわけでもない。ただ、機嫌が悪いと捉えられたということに驚いた。
機嫌が悪いのではなくて、ただ、考えていただけだ。そして自分の拙さに舌打ちをしたり……と、機嫌が悪いでも間違いではないのか。
そして豊臣さんいわく、今日はいつにも増して機嫌が悪そうだという。
「そうですかね」
「おう、そうじゃそうじゃ。愛だなんだって聞いてきたり、機嫌が悪かったり……、島、最近おかしいぞ。そろそろ焦っとんのか?」
「焦る?」
「そろそろいい年なんじゃから、嫁さん探しとんのじゃろ」
そうか、俺もいい年か。二十六はもういい年、オジサンなわけか。若さってなんだろうかな。ああ、むなしい。
なんと言ったらよいのやら、俺はひたすらに倦怠感に貪られている。正直なところ、こうして豊臣さんと話すことだって面倒だ。まるで更年期障害のようだ。
年を取るとこうだ。愛だなんだとひたすらに考え続けて、反動で考えることを後回しに、機械的に作業に準じる。体力が持たないようだ。昔は、常に考え続けていたというのに。
「わしがエエ嫁さん探しちゃろうかね」
「結構ですよ。今、家にクソガキがいるんで」
「なに! それは順序が逆じゃろうが!」
「違います。義理の弟ですよ」
「義理の?」
……と、迂闊だった。こんなことを軽々しく口にするもんじゃない。と今さら自分を戒めたところで後の祭りである。
豊臣さんは興味を持ったのか、回転椅子に乗ったままデスクを蹴飛ばしてこちらにやってきた。
「義理というと、養子かなにかか?」
「いや、親の再婚なんですよ。で、相手の連れ子がね……。これまた可愛くないクソガキで」
「なになに。子供は生意気くらいが可愛げがあるじゃろうに。いくつ?」
「十六です」
少し意外に思ったことは、親の再婚について特になにも触れないというところだった。いくらかは気遣って気まずい空気になるのではとの危惧も無駄に終わった。少なくとも、俺はそれを『助かった』と思う。
それから昨日やってきたばかりの例のクソガキ――三成さんを思い出す。色白で、痩せっぽちで小柄の、顔立ちが整った姿が脳裏に浮かぶ。そして妙に堂々とした声も再現された。生意気くらいが可愛げがあるとはいえ、印象が悪すぎる。突然、義理の弟だと言われ、挨拶もしないしオッサン呼ばわりするし(今日も、俺より先に家を出るらしく、無言のまま家を出て行った)。
「十六かあ。多感な時期じゃのう。難しいぞ、子育ては」
「別に、一時だけですし。それが過ぎたらもう関係ありません」
「そんなに可愛くないんか?」
「ちっとも」
「ふーん。今度見に行くわー」
「は」
冗談じゃない、と断ろうとしたが、豊臣さんは俺のデスクを蹴ってカラカラと自分のデスクまで戻ってしまった。わざわざそちらに向かってまで言う気にもなれず、結局俺は機械と同化したかのように仕事を再開したのだった。
そのおかげか、今日はいやに早く仕事を切り上げることができた。家に着いたのは七時だ。驚くべきは、俺の家の前でポケットに手を突っ込みながら立ち尽くしている三成さんだ。
なぜ、いるのか。瞬時にそう考えたがすぐに悟った。家の鍵、俺、閉めてきた。そして、合鍵を渡していない。そうと気付いたら冷や汗しか浮かばない。今晩は十度を下回るという冷え込みだ。痩せっぽちの彼の外見を思い出して、もう眩暈を覚えるばかりだった。
「早いな。九時十時になると思っていたのに」
「そうだと思ったなら、友達の家なり、コンビニなり、ファミレスなり、どこかへ行っていればいいんですよ! 律儀にこんな寒い場所で待っていないで」
「友人の家は、遠い。電車賃がかかる。コンビニは嫌いだ。ファミレスも嫌いだ。無駄遣いだ」
なんという、倹約執念だ。確かに一ヶ月の生活を思えばそうするしかないのかもしれないけれど(俺に金をもらうのをとても嫌がっていたし)。それでも、コンビニなら暖かいし雑誌の立ち読みでもして暇をつぶせばいいのに。
見ると、朝に読んでいた分厚い本を、部屋の前の廊下にある、うっすらとした電気で読んでいたらしい。まるで苦学生だ。
ともかく雑談は置いて、中に入ろう。たぶん、タイマーが正常に作動していれば多少は暖かい。
鍵を回し、ドアを開けて彼が中に入るのを待つが、入らない。どうやら俺が先に入れということらしい。しかしここでずっと待っていた三成さんだ。多少の違いしかないが、先に入ってもらったほうが気が楽だ。が、彼に足のスネを蹴られてしまったために、俺は先に部屋に入ることになった。気を使っているのかそうでないのか、判断に苦しむ。
リビングに入るとやはりタイマーがきちんと作動していて、少し暖かい。エアコンは足元はそれほど暖まらないけれど、安心して使えるのがいいところだ。
入るなり三成さんはというと、キッチンに一番に向かった。そして冷蔵庫を開けて、なにかごそごそしている。
「あれ、なにか買ってきたんですか」
「そうだ。ろくに食べるものがない」
どうやら、スーパーで惣菜を買ってきたようだ。息苦しさすら感じられるほどの正装(第一ボタンもしている)の学生が、スーパーで買い物というミスキャストぶりを想像すると、どうにも笑えてしまった。
12/02