朝。いつぞやかの大寝坊の教訓もあり、目覚ましが何度かなるように設定している。だから致命的な寝坊はほとんどしていない。
今日、目が覚めて足元もおぼつかないままリビングに向かうと、生暖かい。なぜかエアコンがついていたのだ。昨晩、消し忘れたのだろうかと冷や汗をかくがすぐに原因が判明した。
三成さんだ。大層なエンブレムの刺繍されたブレザーをきっちりと合わせ、うっすらとストライプ模様のズボンを穿いて行儀良く椅子に座っている。そして、見た途端に眩暈を覚えそうなほどの分厚い本を開いている。俺の親指ぶんはあるだろう。
時計を見ると、六時をややすぎたくらいだ。どこの高校に通っているかは知らないが、そんなに遠いのだろうか。
「おはようさん」
「……ああ」
本から目を離し、ちらりと俺を見てそっけなくそう頷き、また本に視線を戻す。
まるで、立場が逆転しているようだ。あちらが居候の身だというのに、挨拶もなしに「ああ」の一言とは。親の躾はどうなっているんだ。挨拶ができなかったら張り倒すくらいしろってんだ。あれか。今流行りのモンスターペアレンツか。くそ。
どうにも居心地が悪いので、洗顔に洗面所へ向かった(俺の家なのに)。
歯磨き粉を間違えて出してしまったので洗い流しながら、高校生か、なんて懐かしい思い出を引っ張り出す。
授業が面倒で、気晴らしにトイレに引きこもろうと向かったら顔見知り程度のやつがタバコなんか吸っていて、気まずいなと思って出ようとしたら先生がやってきて、なぜか俺まで停学処分をくらった。親父にこれでもかってくらいにゲンコツくらって母にはやたらに泣かれて。いい思い出だよホントーに。学校でタバコ吸うなんてカッコつけるマネなんかすんなとブチブチ怒ったのもいい思い出ですよホントーに。
気付いたら洗顔剤が取り返しのつかないほど飛び出していて、またむなしさに拍車がかかった。
そういや、高校って弁当だよな。学食があるようなとこなんてほとんどない。弁当……、とはいえ、冷蔵庫には何も入っていないと似たようなものだ。俺が作る義理もないのだが、不憫だ。高校生の子供を置いて新婚旅行だなんて、本当に、ひどい親だ。
リビングに戻ると、先ほどとほとんど変わらない体勢で本を読んでいる三成さんがいる。
「お金ってどれくらい持っていますか?」
「……」
「そんな警戒しなくたって。ガキの財布に手をつけるような人間じゃありませんよ」
「……一万弱くらい」
「そうですか」
ふむ。一ヶ月を一万弱で乗り切れるだろうか。育ち盛りの食べ盛りだ。弁当一個じゃ飽き足らず購買でパンを買っているやつもいた。俺もその例に漏れず、休み時間のたびになにかしら食っていたような気さえする。
義理はないと思ったけれど義理の弟ということなので義理がある。そこらへんに放っておいた財布の中から千円札を取り出して、テーブルの上に置く。今日のところはこれでガマンしてもらおう。
「なんだ、これは」
「昼飯のですよ」
「いらん」
「弁当作る材料もなければ時間もないですし」
「金などいらん。自分で買う」
「一ヶ月ですよ。一万じゃ足りませんて」
「いらんものはいらん。ふざけるな」
怒られてしまった。本当にふてぶてしい。
だが、普通の感覚だとこういうものなのだろうか。俺自身、毎日昼代として千円置かれていた身なので特に違和感はないのだが。それでも、ふざけるな、はないだろう。遠慮はあれど怒る理由にはならない。
三成さんは整った眉をわずらわしげに寄せ、本に視線を戻してしまう。
「いらないったって、食べなきゃ大きくなりませんよ」
「うるさい。冷蔵庫から適当になにか持っていく」
「ないんですよ」
「は」
「だから、なんもないんですよ」
しおりを本に挟み、大股でキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた彼は絶句してその場に立ち尽くす。文字通り、本当になにもないのだ。
それから大きなため息をついて、ぶつぶつとなにかを呟いている。聞き取るに、一日いくらまで使えば足りるか、という計算のようだ。
「一万円として、平日が二十二日。つまり一日四百五十四点五四五四……」
「ま、もらうのがイヤなのでしたら借りたということにすればいいじゃないですか」
「だが、いらない。四百五十四円もあれば、充分だ」
「むーりむりむり。あれだ。千円やるから、夕飯もそれでまかなってください。それでいいでしょう。俺も仕事があるから、夕飯も自分で用意してもらうんですから」
「……」
なおも渋面を作って拒否する様子を見せている。なぜそこまで渋るのかわからない。この年頃といえば、なにかしら金を使うことも多いだろう。無いに越したことなんてないのに。
月一万で、昼と夜をまかなうなんてムリな話だ。一日千円でも不安なくらいだとすら思う。もっと欲しがるくらいの様子を見せてもいい(だが、俺が破産する)。
「いらん。一日四百五十四円。不可能ではない」
「なら、電車賃にあててください」
「電車賃……。そうか、電車か……」
「ですよ。片道いくらかかるんですか?」
「ここからだと、五百二十円はかかる」
「ほら足りないでしょう。一日千円でも足りないくらいだ。ともかく、つべこべ言わずに受け取ってください」
そう強く言えば、不承不承と彼は頷いた。
正直を言うと、一ヶ月も同居生活ができるのか不安ばかりだった。これといい愛といい直江さんといい、胃が重くなるようなことばかり後腐れしている。前者は一ヶ月で解決するが、後者が謎だ。それがまた俺の胃を締め上げるのだった(ああ、だから、考えないと決めたじゃないか)。
12/02