「よろしく、おじさん」
「おじさ……」

 たったの二十六年しか生きていない俺だったが、もうおじさんと呼ばれる年になったのか。なんだこのクソガキ。かわいくない。
 今増えているという熟年離婚とやらを両親がしたということについては、俺は特別な感傷はない。もうこの年になったし、そういう未来を予測できないほど盲目でもなかったから、やっとか、程度にしか思わなかった。だが、母が再婚というその切り替えの早さには驚いた。女という生き物は、わりと切り替えがすっきりできる人が多いのだろうか。そういえば、男のほうはなかなか再婚をしないという話を聞いたことがある(でも、母の再婚相手は結局再婚しているということになるからな)。
 また一つ驚いたのがこのクソガキだった。再婚相手の連れ子らしい。つまり、俺の義理の弟、異母兄弟ということになるのだろうか。年齢を聞けば十六歳、高校一年生らしい。なんともかわいくない。
 俺をおじさんと呼ぶならば最低でも小学生でなくてはならない。俺は二十六歳なのだから、十歳しか違わないガキにおじさんと呼ばれて穏やかでいられるだろうか(“おじさん”というほど大人ではないからムリだ)。かわいくないクソガキ以外に表現の仕方を知らないというのがなんとも悲しい。
 そのクソガキだが、顔立ちは幼さが残っているし身長も低い。まだまだ発展途上だ。それでも、この年になればやるこたやってるというものだ。髪は生意気にも明るい色合いだ。今の高校はどうなっているんだ。地毛なのだろうか。肌の色は白く、体の線も細めだ。家に引きこもってガリガリ勉強していそうな外見だ。おまけに顔立ちが妙に整っている。男のクソガキ相手に美人という言葉はもったいないから使わないが。
 口が達者でもやしっ子。いじめられっ子の典型だ。

「おじさんは俺の兄になるのだろう。俺の名前は三成だ。おじさんの名前は」

 絶句していた俺に気付いているのかいないのか知らないが、三成と名乗ったガキはいけしゃあしゃあと自己紹介を始めた。空気が読めないのか。俺がおじさんという発言に気分を悪くしたという空気が。
 なんだか腹が立つ。こんなことでヘソを曲げる俺というのもあまりに大人気なく思うが、まだ若いのだ。俺は。

「名前、知っているぞ。左近だ、お前の名前は左近だ。父さんから聞いている。自分の名前も名乗れない人間なのか?」

 心底かわいげがない。もともと俺は子供が嫌いだ。俺にも子供の頃があったわけだが、その場合、子供の俺も嫌いだ。子供はうるさい。デリカシーもない。汚い。生意気。子供を好きそうな顔をしている、なんて誰かに言われたが、好きそうな顔ってどういう顔なのだろうか。子供を嫌いそうな顔になるにはどうすればいい。
 高校一年生といえば、子供と大人の境目に位置する。だが、自分を大人だ子供だと主張するうちは子供だ。

「いい年した大人がダンマリか。聞いているとは思うが、俺は今日からここで世話になることになっている。父さんとお前の母さんが年甲斐もなく新婚旅行に行くらしいからな。一ヶ月だ。一ヶ月世話になる」
「待て、聞いていない。新婚旅行で一ヶ月だって? その間、お前さんはここに住むってのかい」
「そうだ。聞いていないのか? まあなんにせよ、そうなるのだ。失礼する」

 なんてこったい。
 愛だなんだって意味のわからん言葉をこねくり回して疲労困憊していたってのに、こんなクソガキの世話をしなくちゃならんなんて。
 少し、悪いな。と反省した。直江さんの愛にケチつけるようなマネをして、なんてイヤな人間だったのだろうと。そして俺の出した愛の結論はなんとも強がりだったのだろうと。愛に定義はないのだから形だって様々だ。それこそ、親愛や隣人愛、家族愛、愛憎と多様に。それを身近な例しか見ていないくせに勝手に大多数と決め付けて聞く耳を持たなかった自分の拙さに身悶えする気持ちだった。この気持ちを言葉にすると、なんとも軽々しく聞こえるのだが本当にそうだった。やはり言葉っていうものは信用ならない(けれどそれしか術がない)。
 俺はタイムマシンに乗れないからただ直江さんの再訪を待つばかりであったというのに、やってきたのは母の再婚相手の連れ子。それもかわいくないクソガキ。
 厄年だ。今年は絶対に厄年だ。それか直江さんの呪いだ(でも彼は全てを愛したいと言っていたから違うかもしれない)。

「お前さん、もう高校生だろう。高校生にもなったならば一ヶ月の自炊くらいどうってことないだろう。むしろ、一人暮らしに憧れたりするんじゃないか」
「俺は一人で平気だと言った。けれどお前の母さんが俺を無理やりここまで連れてきたのだ。家の鍵は持っていない」
「信じられねえ……」

 アポ無しじゃないか。こちらの都合などおかまいなしってか。
 ともかく抵抗していたって始まらない。結局、このクソガキは家に帰っても入れないのだ。この寒い時期に放り出すなんてマネ、いくらなんでもできっこない。直江さんがこちらに来ていたとき、使わせておいた部屋がある。そこにいれておけば問題はないだろうが、直江さんがやってきたときにどう説明を……、いや、来るか来ないかもはっきりしない。俺の高圧的な結論に辟易してもう来ないかもしれない。もともと、愛について色々な人間に聞いていると言っていた。それを書に残すとかどうとか。つまり、俺からの意見はもう得たわけだからここに来る理由はない。だから忘れよう。仕事にも差し支える。愛についても、なんだか腹立たしいからもう考えない。
 勝手にリビングに入ったクソガキ――三成さんは重たそうな荷物を放り出して一息ついていた。そして周囲を見渡して、

「汚い部屋だな」

 と、ため息をついた。
 改めて見てみると、直江さんが読んでいた本があちこちに置いてあるし、いろいろ試食したあとがそこらにある。服は一応たたんであるから散らかっているようには見えないが、無秩序にあちらこちらに置いてあるから片付けられていないような印象を与えるだろう。
 彼がやってくるようになる前は、散らかすほど家にいたわけでもないし、なにかをしていたわけでもない。だからコイツの発言は言われなき汚名だ。濡れ衣だ。

「俺が寝泊りできる部屋はあるか?」
「ありますよ。左の」
「あそこか。世話になるな」

 ありがとう、の一言でもあれば心象も変わるのだが、どうにも堅苦しいかわいげのない言葉だ。友達とか、いないんじゃないか。
 直江さんが使っていた左側の部屋を覗いた三成さんは、「なんだこれは!」とヒステリックに叫んでいた。やっぱり、汚かったか。





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