直江さん再訪から一週間が経った。その間、直江さんは引き出しからどこかへ行ってしまったりまた姿を見せたりを繰り返している。
あれからというものの、俺は愛について真剣に考えている。なんともクサいテーマだがいざ取り組むと存外難しい。ひとりであれこれ考えているうちに頭の中がグッチャグチャになるものだから諦めて寝る。ということばかりしている。
『愛したいもの』(飽くまでも希望である)イコール『護りたいもの』。彼が愛したいと言ったのはほとんどすべて。雑草でも、俺でも、見ず知らずの人間も。詳しく聞いてみると水も花も木も光も闇もなんだって愛したいと言っていた。つまり、護りたいと。
納得ができない話ではない。愛というものはどことなくそのような保護欲のような、母性本能じみたものがあるという印象がある。彼が現存する全ての自然や人間を護りたいと考えることもあるいはありうるのかもしれない。なにが納得できないのかわからないが、なにかが引っかかる。さてなにがだろうか。
それがわからないので時間を浪費している。
単純に、『すべてを愛することが可能か?』ということも考えたが、そんなものは俺の尺度で考える話ではない。俺はすべてを愛することはできないだろうが、直江さんならあるいは可能なのかもしれない。これは個人差なので俺の口出す問題ではない。ならばなにが気にかかるのか。
「愛ィ? まーた島はそんなこと考えとんのか」
「やっぱりうちと出雲に帰りおすか?」
ともかくひとりじゃ袋小路もいいところなので、少し相談してみることにした。これは反則か? いや、人間は一人じゃ生きていけないってのが定説だって。
豊臣さんと阿国さんは枝豆をせわしなく食べながら、俺の言葉を待っている。聞きたいことがある、と言って『木ノ下』なんていうしがない居酒屋へ連れてきて出てきた言葉といったら『愛』だ。俺もなんだか間違っているような気がしないでもない。
「いや、出雲はいいのですけれど。愛って言葉を他に置き換えるとしたらどんなもんでしょうかね?」
「別の言葉?」
豊臣さんの口から枝豆が飛び出した。
今日の豊臣さんは酒なんて飲んでいない。前回の失態を女房さんにこっぴどく叱られたかららしい。俺は徒歩で帰れるから今回は酒を飲める。こういうことを話すときはほろ酔いくらいが丁度いい。
「そうじゃのう……。阿国さんはどうかの?」
「せやなあ。うちは、愛は愛。それ以外に思いつかんです」
「ですよねえ」
愛は愛。それが一番シンプルですっきりする答えだ。
それから阿国さんは焼き鳥のナンコツをぽりぽりとかじり始める。豊臣さんに視線を移すと、珍しく眉間に皺をよせて言葉を探しているようだった。けれど枝豆に伸ばす手は止まらない。
この二人に相談したのはそれなりに理由がある。以前に『愛』という話題を出したということというのもあるが、なにより『愛』についてスペシャリストな印象があったからだ。豊臣さんは女好きで恐妻家の愛妻家。阿国さんはしょっちゅう社員の人に「出雲に帰ろう」なんて口説いている。まあ、恋多き人という人選だ。
「わしは、愛っちゅうのはまず自分を愛することから始まるんじゃないかと思うな」
「自分を?」
「そうじゃ。ナルシストとかそういう意味じゃのうてな」
「自分を愛して、どうしはりますん?」
「簡単じゃ。自分を愛せないんじゃ他人なんて愛することなんてできん。そうかと思わんか? 他人を愛するっちゅうんは、むっちゃその子が好きで、守りたいとか、尽くしたいとか考えるもんじゃろ。でもそれも命あっての物種っちゅうように、自分がおらなんだ役に立たん。その子を守りたいんなら、自分が生きなくちゃ始まらん。だから自分を愛することが先決。何事も物騒な世の中じゃしのう」
「なるほど」
「せやったらうちも無意識のうちにそうしとることになるんでしょうか。素敵な殿方を見つけるには美しさを保つことが一番。だから、うちも自分を磨くために日々努力しとります。これも愛なんどすね」
「そうじゃな。阿国さんの美の秘訣は、自分を愛することから始まっとる」
そうか。そういう考え方もあるな。なるほど愛とは赴き深い。
ということは、俺の直江さんの『愛』に対する違和感もこれなのだろうか。愛すべき対象に『自分』が入っていなかった。だが言わなかっただけかもしれない。それならばただの揚げ足取りだ。なにより、この言葉は俺のものではなく、豊臣さんのものだ。
「で、そういう島は?」
「俺、ですか?」
「そや。わしらだけに言わせるなんてずっこいぞ」
枝豆で俺の鼻の頭を指し、豊臣さんはニッと笑う。
この一週間、俺も自分の愛の概念をほったらかしにしていたわけではない。なぜ直江さんがそれを憎しみのようだと表現したのかを考え、また依存とはイコールでは結びつきそうにない、という結論にいたった。
そもそも、愛という言葉の持つ意味から考えた。それから一般に認知されている愛というものも。それによると、愛とは崇高なものであるようだ。俺の主観では、依存はけっして崇高ではない(むしろ好まない)。ともなると俺の数日の結晶が霜のように蒸発してしまったために、今、語るべき言葉を持っていない。けれど他の人間の認識に合わせて自分の考えを捨てたわけではない。そこがなんとも難しく理解しがたいのだが、自分でも依存と愛を結びつけるのは違う、と漠然と感じたのだ。
「愛……ですか。そうですねえ。愛と憎しみは紙一重、ってとこでしょうか」
「となりますと、自分を憎むこともあるいうことですか」
「俺の感覚でいけば、ありえますね」
「なあに若き鬼才のようなことを言っとるんじゃ。自分が嫌いなら、生きるのがしんどくてたまらんじゃろ。嫌いな人間と四六時中一緒にいるんと一緒。そんなことはムリ。人間はムリ」
「それは、人によるってやつでしょうよ。それに、愛と憎しみは、同義語だと思いますよ。俺は」
たちまち変な顔を浮かべた二人は顔を見合わせて、枝豆を口に含んだ。
12/02