ねこの六(らしい)に鼻の頭をかじられた三成さんのために、やっとの思いで薬を見つけ出し、頭に三と一(らしい)を乗せたまま廊下を走る。ようやく部屋に戻ってきたと思い、中を覗き見る。そこで繰り広げられている光景に俺は思わず凍りついてしまった。
三成さんが、コンを、いじめてる。
「吐け、吐け、吐け吐け」
いやいやと首を振っているコンなどお構いなし。淡々と低い声で「吐け」と言い続ける三成さん。これは怖い。
一体俺がちょっとこの場を離れた時間になにがあったというのだ。
よくよく見てみるとテノヒラは少し離れた場所でそれをジッと見守っている。コンのことが心配なのか、それとも別の意図があるのか……。わからない(いや、いくら同居動物とは言えそこまで真剣に考えることか?)。
「み……、三成さん……?」
「殿、なんですか」
「なにをして……」
なにやら怖い答えが返ってきたらどうしよう。そもそも『吐く』ってどっちの意味だ? 三成さんはどういうわけか動物と会話ができるようだし、なにかコンから聞き出したいことがあるのか。それとも文字通り胃の中のものを吐いてほしいのか。
前者ならともかく後者は怖いぞ。どうして吐かせたいんだ。
「変な色のキノコを食べたって言って具合が悪いのです。だから吐かせようと」
……なんだ。少し不安に思ったが普通の理由でよかった。
薬を置き、その場に座ると頭から三と一が飛び降りてコンへ近寄っていく。ばたばたと揺れる尾を目で追いかけ、しとめようと時折手を出している。見かねたテノヒラが二匹を両脇に抱え、襖を開けて隣の部屋へ行ってしまった(いつのまに、襖を開けられるように……)。
未だにコンの口をこじ開けて、喉奥に指を入れようとしている三成さんに少し思いとどまってもらうことにした。
「それって、いつごろ食べたんですかね?」
「……いつごろだ。……昨日の晩だそうです」
「今は昼じゃないですか。もう胃が消化しちまってますよ」
「ならばどうすれば?」
「どんなキノコを食べたかによりますがねえ……、様子見、ですね」
動物の医者なんていないし、人間の薬が毒となりうる可能性もある(試したことはないが)。下手なことをして悪くするよりもゆっくり休ませるしかない。
三成さんは「そうですか」と一言だけ言い、コンを抱えて立ち上がった。一見すると心配などしていないようにも見えるがあれだけ懐いてきていたコンのことを考えると、それは考えにくい。なるほど、これが横柄者と呼ばれる所以、か。
しかし俺の目的を忘れちゃならん。
「ちょっと待った」
「なんですか」
立ち止まり無表情に振り返る。その鼻頭にわざわざ取りに行った薬を指先に乗せ、塗りたくった。体を大きく震わせ、顔をすぐに避けられてしまったが一応塗ることはできた。
「少し赤くなってますよ、鼻」
「……はい」
三成さんはうつむき、コンを抱えたまま部屋を出て行ってしまった。
きっと今日は同じ褥に入れてやるんだろうな。まあ、普段から寝ていると勝手に入りこんでくるらしいが。一から八も、テノヒラも、コンも。この涼やかな季節だというのにいつも身動きもできず、寝苦しい思いをしているらしい。
しかし本当に不思議な人だ。そればかり言っているような気もするが、本当に不思議なんだ。あれほど動物に懐かれる人なんてそうそういない。動物に芸でも教えてあちこち歩き回っていれば生活に困ることもないだろうし、不得手らしい人付き合いだってそれほど深いものはないだろうに。まあ、接客だとか人を呼ぶような演劇はできないだろうな。
そういえば、石田三成を召抱えたと言ったら随分変な顔をされてしまったな。『物好きな男だな』とか『よく、たかだか四百石で召抱えたな』だとか。いきさつを話したらさらに変な顔をされてしまった。
また同時に、好奇な質問も多く聞いた。『どんな顔をしているか』や『噂どおりに横柄か』『年はいくつなんだ』やら。本当に、秘蔵っ子だったようだ。誰も詳しく知らない。ただ上げた業績と横柄さしか伝わっていない。
それらの問いには『彼はキレイ好きな妖精さんでした』と言ったら、変な顔を通り越して呆れた顔をされてしまったな。
さあて、なにをしようかね、と大きく伸びたとき、襖が鋭く開いた。クマが立っている。テノヒラだ。
「……おや、どうかしましたか」
そのつぶらな目を見つめるが、やっぱり何を考えているのかわからない。俺も一度隠居したら会話できるようになるのかね。
テノヒラは短い足で俺の傍にやってきて、俺の肩に触った。なにをされるのか一瞬緊張が背を駆け抜けるが、テノヒラはぽんぽんと二度ほど俺の肩を叩き、障子を開けてどこかへ行ってしまった。
……どういう意思表示だったんだ。
しかし、獣がいる日常にも、わずかに慣れてきたものだった。
11/06