簡潔に言えば、殿、否――三成の解離性同一性障害は私の研究の成れの果てである。(もちろん三成はそのことをとうに忘れてしまっている)
まあ、本来の解離性同一性障害とは似て異なるものだ。実際の患者と混同するとどちらにも悪いので私は新たな名をつけようと思う。これぞ「不義病」。
三成は慢性的に女性に対する劣等感じみたものを持っていた。それは彼のいわゆる綺麗などと称されるその容貌や、あまりたくましいとは言えない肉体に関係していたのだろう。
三成の女性恐怖症、妄執じみたそれは偏執病に近かった。
かねてよりの友人であった私は常々三成からそういった相談を受けていた。ともかくそういう思考だった三成は当然女性と付き合うなどもってのほかだったし当人もそんなことは考えていなかった。(彼はどちらかといえば同性愛の傾向、あるいはそういった交わりでさえ嫌悪している様子だった)
しかしそういった人格の再編成は非常にリスクを背負う。もし三成の女性嫌悪が緩和されたとて三成が三成でなくなってしまったら、私も立場がない。そこで提案した。三成の女性嫌悪の人格のみを抽出しそれを封じてしまえばよいと。
もちろんそれだって確立された理論ではないしどんなリスクが待っているかはわからなかった。しかし三成も相当切羽詰まっていた。(事実、街も歩けないほどだったのだ)
さてさてそこで実際に研究を重ね、催眠術を施し続けていたらある日、ひょっこりと現れてしまったのが三成の別人格だった。つまり、失敗したのだ。しかも三成本人の女性嫌悪はちっとも緩和されずじまい。(むしろ激化している)
元来解離性同一性障害と呼ばれるそれは交代人格が多く現れるのが常だがケースバイケース。不幸中の幸いとでも言うのか、人為的に作り出してしまったせいか交代人格は一人だけだった。(これが不義病の特徴だ)
しかしその交代人格が、女性に対しべらぼうに攻撃的な性格で、さらに最悪なことに基本人格が失われてしまった。今は基本人格とあまり変わりのない(しかし記憶は別のもの)主人格が日常を過ごしている。
基本人格と主人格は混同されがちだが、違う。基本人格はつまり、俺に対し相談を持ちかけてきた三成。主人格は殿としてこのラボにいる三成のことだ。これは解離性同一性障害と共通している。
ともかく、三成の女性嫌悪は改善されぬまま、(主に女性に対し)凶暴性の高い交代人格まで現れるという最悪の経緯をたどってきている。
現在の研究では、基本人格は交代人格が現れると同時に失われるとされているからそちらの復活は最後の研究として、交代人格と主人格の統合(とでも言えばいいのか)が私の今の仕事である。
この私のラボに三成を連れ、さまざまな療養を試みているのが現在の状況である。
我ながら、頼まれごととはいえ不義を働いた。不義病の不義は私の不義からきている。
「三成、最近なにか隠し事でもしているのか?」
「そう見えるか」
「ああ」
わりとしょっちゅう三成に対しカウンセリングのようなことをしているのだが、最近なぜかあまり姿を見せない。なぜか与えた部屋から出ようとしない。
ちなみに今は交代人格である。喋り口調などはあまり元と変わらない。不義病の特徴だ。人為的に作り出したからだろうか。まあ会話しやすいからいい。そして私が男であるから意外と穏やかである。
「猫が…、紛れ込んだ」
「猫?」
「猫だ。世話に存外熱中してな、部屋から出る気がしないのだ」
「そうか。今度見せてくれ」
アニマルセラピーとも言うしな。まあ良いことだと思う。
なにしろ女嫌いのみならばまだしも、犬嫌い(というかアレルギー)な三成だ。猫なら平気ということは今初めて知ったが、動物を愛する心があるということは、義だ。多分。
「見るか?おったまげるぞ」
「なに、イリオモテヤマネコとかそこいらか」
「もっとすごい」
それだけすごい猫か。ちょっと楽しみになってきたぞ。私は犬も猫も男も女も全部愛しているからな、なんでも来いだ。
「で、だな。カウンセリングの効果は出ているか?」
「出てないな。俺もさっさと消えたいのだ。女のいる世界は鬱陶しいったらありゃしないぞ」
「そうか…」
もしかして私はヤブなのか。
今現在は三成のこの生まれた人格を統合することに専念しているから、女嫌いを治すとか二の次だ。しかしこれがなかなか難しい。そもそも、不義病ってなんだ。死に至る病か。そんなでもないか。
多重人格と一般的に呼ばれるその症状に対する治療法も試してみたが、そもそもあちらはトラウマが元で発症することが多い。三成のそれは私が意図的に作ってしまったそれだ。根本的に違うのだな。(いや、女性恐怖という感情から作ってしまった人間なのである意味では似ているかもしれぬ)
「とりあえず、今日は腹いっぱいイチゴを食べてみよう療法だ」
「それは信用できるのか」
「なにごともやってみなければわからないだろう」
ドン、とドンブリに山ほどに盛ったイチゴを置き、コンデンスミルクを取り出した。眉間に皺を寄せた三成が、しぶしぶとイチゴに手を伸ばす。イチゴが嫌いだという情報は無いから食べられるのだろう。
それから無言で、もそもそとイチゴを食べ続ける三成。そしてやはり無言で、イチゴを食べる三成を見る私。(手にはカルテらしきものが!)よくよく考えてみるとシュールなシーンだと思う。
「食べ終わったぞ」
「なに、もう食べたのか。この食いしん坊め。まだまだあるから安心しろ」
「…」
それからまた、イチゴを三成に差し出した。
そして無言で食べる三成。それを見る私。三成に変化は無い。
「…これも失敗か」
「しょんぼりしてみせても俺は許さないぞ。もうイチゴなど見たくもない」
「なにっ!症状が悪化したのか!」
「…」
不義病患者に同じものを与え続けるとそれが嫌いになる、と。んー、奥が深い。