視界が明瞭になったとたん、俺はある使命感に追われた。(そこで気づいたのだが、どうにも視界が薄ぼんやりとしていたらしい)左近の解毒薬を作るのだ。どういうわけかそういう意識に強く苛まれ、右も左もわからぬままデスクに向かった。
思い出した。最後の一種の薬品を。これで作れるはずだ。
おおよその理論構築を紙に書き出し、一息つく。まずは薬品をそろえなければならぬな。
そこでようやく部屋を見渡した。
左近がいない。それどころかなんだか荒れに荒れ果てている。もともと片付けは苦手な性分だが、左近がマメに掃除をしてくれているから結構綺麗だったはずだが。薬品棚のガラスは割れているし、ロッカーは倒れている、モップはそこらへんに放り出されて、ソファからは綿が飛び出ている。
おかしいな。
「左近、左近?」
呼びかけてみるが、反応は無い。
とたん、体中に寒気が走った。そして縫い付けられたようにその場から動けなくなった。どこに、いる。
うかつに動けば、女がそこらへんにいるかもしれない。何も変わっていない自分に苦笑いした。(そして苦笑いなんてする自分に嫌気がさす)
自分の命など、そこまで大事にするものではない。左近は女ではない。男だ。左近は獣ではない。人間だ。これは俺の犯した罪である。
倒れているロッカーを転がして扉を上にする。大きなものが中に入っているようで、激しい音が立った。扉に手をかけ、力をこめてこじ開けた。
「左近、ここにいたのか」
俺をちらりとも見ず、頭を抱え膝をまげ、左近はロッカーの中に納まっていた。
「殿は近寄っちゃいけません、左近に近寄ったら」
俺から逃げるように左近は立ち上がり、這うように離れようとする。俺はとっさに左近の腕を掴む。(女であることと、子どもであることのせいか異様に細い)鼻がむずむずするし、掴んだ手のひらはみっともなく震えるし、汗ばむし、今の俺は最高に無様だ。
それでも左近の手は離さない。
「離れるな」
「だめですよ、殿が、生死に、関わるって」
「元は男なんだ」
小さくなった左近を引っ張り寄せ、背中から抱きしめる。体中が震えるし、吐き気もする。頭痛はひどいし、どんどん体中の力が抜けていくような感覚がする。それでも、死とは程遠い。頑張れば、耐えられる。
「薬、次こそは出来るはずなのだ」
そう言って、散々な荒れっぷりの薬品棚へ向かい必要なものを取り出した。後は簡単だ。この薬品をどんどん混ぜていけばいいのだ。分量に注意して。それと半分くらい優しさでもこめておこうか。
もううきうきとエプロンでスキップでもしそうなほど上機嫌で俺はどんどん薬品を三角フラスコへ注ぐ。
「そうだ左近、ちゃんと男に戻ったらぜひとも裸エプロンをしてくれ」
「……は?」
「ごほっ、ごほ、げほ」
左近のマヌケな返事に、俺は咳で返事をした。いまさらさっき女に近寄りすぎた体の反応か。まあいい。子どもならまだ体の反応もマシなのだ。それでも…、喀血はちょっと苦しいな。
そんなこんなで出来上がったのがやっぱり黄緑色の液体。今度こそ当たりだ。これは確証のあることだ。
「よし左近、これだ!できたぞ!」
「殿!やりましたね!」
三角フラスコの口の部分を掴み、部屋の片付けをしていた左近を振り返った。左近はこの部屋に入ってすぐ目の前にあるソファを縫い終えたところだった。
しかしそんなことより左近の体だ。左近さえ元に戻ればいろいろと安心だ。
俺は左近の元へ走り寄った。聞いて驚くがいい。この薬は左近を完全に元へ戻すことの出来る薬だ。男になるし大人になるし人間にもなる。俺、天才だ。なんか今、ドラッグでもやったかのように頭の回転がいいのだ。
「さあ、これを飲むのだ」
と、左近にそれを渡そうとしたそのとき。
「殿さーん!お久しぶりりあんとです!」
左近の背後にあったドアが勝手に開いた。内側へ向かって開けるドアだったことを恨むしかない。そのドアは左近の背中に直撃し、女犬左近は俺へ向かってつんのめってきた。半ば条件反射で俺は逃げた。薬を放り出して。
「うわっ!」
その投げた薬は事の元凶に直撃したらしい。
その後のことはよく覚えていない。