コンコン


とたん、まぬけなノック音に様々な感覚が蘇った(ようだ)。仮定であるのは、ノック音がするまで俺の感覚が死んでいたことを知らなかったからだ。

そこでようやく今の状況がよくわかった。俺はロリコン犬左近の額に銃口を突き付けている。ロリコン犬左近は唇を紫にして固く目を閉じていた。


「左近?」

「…殿」


左近はわなわなと震える唇に無理やり言葉を紡がせ、探るような目で俺を見ている。それから短くなった四肢を叱咤し、立ち上がる。身長は俺の半分ほどしかない。

どうして左近に銃口を突き付けていたのかという疑問よりも、女の、犬耳の、こどもの、左近が目の前にいる事実に寒気とくしゃみが襲ってきた。


「っぶしゅ!こっ、こらっくしゅ、ちかっよる、なっしゅ!」

「よかった、殿なんですね?」

「あっ、たり、まえだっぐしゅい!」


犬の毛アレルギーのせいか、β波とγ波の干渉のせいなのかはっきりしないくしゃみに堪えながら、みっともなく転がるように煩悩の化身左近から離れた。

ちなみに俺はこどもが嫌いだ。別に中身が大人なら平気なのだが。

ともかく煩悩から離れ、二度三度深呼吸をして呼吸を整えた。首の辺りがかゆくなってきたのは、犬の毛アレルギーだろう。


「ともかく左近、どうして俺はお前に銃口を向けていたのだ。お前が小さくなったと思ったらいきなりこれだ。俺は光速度をも越えたか」

「いいえ、いいえ、そうではありません」


幼く舌足らず気味な喋り口調に頭を掻きむしりたくなったが、ここは忍耐だ。

俺が左近に銃を向けるなど普通に考えつかない。理由がない。(いくら女に犬に子どもになっていようが左近なのだから)

そもそも俺のトカレフは万一の可能性で侵入者がやってきたときのためや、どうにもならないときのための自害用らしい(この研究施設はやたらと裏が多いでな。不要な証言をするまえにだ)。

そんなわけでこの銃を手に取ることなどそうそうに無い。なぜそれを左近に。

左近を見ると、逡巡の後、重そうな唇を開いた。



「殿は」



コンコン



「殿、いないのか?」



と、コードネーム義。

そうだ、確かノックの音でこの異様な状況を知ったのだった。ある意味では感謝すべき対象だが、今のタイミングは悪かった。こんないい所で。

まあわざわざ出向いてくるほどの用事なのだ。めんどくさいが返事をして、ドアを開けた。



「なんだ」

「悪いな、ドラマチック本マグロを見なかったか」

「またか。知らん」

「そうか、ならいい。それはそうと傾奇者に持たせた資料に目を通したか?」

「ああ、大方な。ハードルは高いな」

「まず原因究明からだ」



それから二言三言会話を交わし、義は帰っていった。

傾奇者もドラマチック本マグロを探していたな。

ドラマチック本マグロは俺のところへ左近を探しに来たとき以来見ていない。それは左近も同じことだ。差し入れを持ってくるとか言っていたが、来ていないな。

ふむ、皆が見ていないのならここ最近、ドラマチック本マグロはどこかへ出かけているのではないだろうか。


「ドラマチック本マグロ…本当に…」

「なんだ犬女、心当たりでもあるのか?」

「いえ」



ロリコン犬女左近はゆるゆると首を振った。

なんだか自分のわからないことだらけで気持ちが悪い。ドラマチック本マグロは行方不明らしいし、俺は光速度をも越えるし。まあそれはこれからロリコン犬女左近にじっくり聞けるのだから、と自分に言い聞かせる。

壁際に立ちながら、いつの間にかロッカーの上で丸くなっていたロリコン犬女左近を見上げる。本当に獣化しているのだな。研究の余地ありだ。



「さて、話の続きをしてもらおうか」

「ええ。…殿は、本当に女嫌いなのですか?」

「? 当たり前だ。この体質のせいで何度死に掛けたことか。いいか、お前のように女遊びの激しい人間には一生理解できぬかもしれぬが、女は憎悪の対象だ。俺にとって蛆虫以下でしかない。踏みにじることが出来るならいくらでも踏みにじろう。しかし体質的に近寄ることが不可能なのだ。それでも少しだけ女に興味があるのもわからないこともないだろう?だから俺はお前に、胸が出来る薬を与えたのだ。――結果としてお前女になったんだがな」

「これまた…世の女性が泣きますよ」



うるさい。女の、子どもの、人外になにを言われようと痛くもかゆくも無い。俺はお前を男に戻したいだけなのに、なぜこうも的外れなのだ。

しかし、左近が女になったというだけでこうも体が受け付けないとは、皮肉な体質だ。女のこういうところがイヤだ、というレベルではない。女そのものを体が受け付けない。

だが、それでも元は男のはずの左近くらい、平気でもいいではないか。誰でもない、自分の肉体にそう語りかけるがもちろん反応などない。

そもそも、女に触れるどころか近寄ることも不可能な俺が、女の体に興味を示したことからが間違いだったのだ。左近がいればそれでよかったのだ。なぜそれ以上を望んだ、馬鹿か俺は。

俺のワガママで、左近はこんな散々な目に遭っているのかと思うと途端、視線を合わせるのが困難になってきた。



「左近、迷惑をかけた」

「…え、なんですか、いきなり」

「俺のわがままから始まった出来事なのだ、そもそも。俺は男のままの左近が――」

「…殿?」



頭が痛くなった。背景の坩堝、なにかの慟哭、極彩色。

そういえば最近、こんなことが多くなった。ストレスなのだろうか。昔もこんなことがあったような気もするが、思い出せない。思い出す必要は無い。必要なのは、なんだ。何が必要なのだ。俺に必要なものとは、なんだ。


「殿!」


笑い声、これは笑い声なのか。慟哭。わからぬ。考えるのがいやだ。

誰の声だ。誰かが喋っている。体が勝手に動く。視覚がぐるりと回転する。床が近くなったと思ったら、机が目の前に、トカレフ、トカレフがある。誰かの手がそれをとる。


誰の手だ。








知らない手


05/11(upし忘れてました)