「おい女」
呼びかけても返事が返ってこない。拗ねているのだろうか。
俺が女に話しかけるなどレアなのだが。もう少し女は自分の置かれた立場を考えるべきだと思うが、違うか。そうか。
生きにくい人間などと昔どこぞの女に言われたような気もするが黙れと思った。
「女、返事」
「それは左近に言っているんでしょうか」
「でなければこの部屋のどこに女がいる」
「左近は女ではありません」
「こらっ、近寄るな!」
俺がなぜ女嫌いなのかは別に置いておこう。近寄ってくる女左近から逃げることで精一杯だ。(女嫌いのどこが悪い)
背は俺よりも高いのだが俺よりも華奢な体になってしまった左近など俺の興味の一片も無い。左近め、俺の断りもなく女になりやがって。
「…そんなに女になった左近がお嫌ですか」
「ああ、解毒薬は今開発中だ。だからお願いだから近寄るな」
「…」
女左近は少し表情を曇らせてその場に落ち着いた。近寄るなとは言ったし、近寄ってはいない。しかし下がりもしない。
なんとも気の利かない。図々しいぞ。これだから女ってのは。(いや元は男のはずなんだが)
「うーむ。左近に飲ませた薬はもう無いからな…、おおよそ…、しかしミスなど」
まさかこんな欠陥が見つかるとも思っていなかったから、解毒薬など作ってもいなかったし、サンプルも残していなかった。俺の研究は完璧のはずだった。(つまり左近を元に戻すことなど考えていなかった)
使用した薬品のおおよその分量なら覚えている。しかしどうしても一つ思い出せない。二十五種使ったのは覚えているのに肝心の最後の一種が思い出せぬ。
原材料が思い出せねば解毒薬など夢のまた夢だ。
とりあえず、二十四種の覚え違いかもしれないということでその情報をもとに解毒薬を一種、作ってみた。
「よし。女、これを飲んでみろ。いいか、テーブルに置くからな。俺がテーブルから離れたら取りに来い」
「…殿、元に戻っても髪の毛梳かしてあげませんから」
「それは戻ってから交渉しようか。さあ飲むがいい」
「そんな笑顔で」
女左近が非難がましい目で見てきたが女に睨まれたところで痛くもかゆくも無い。勝手に睨むがいい。
とにかく戻ってしまえばこっちのものだ。(自分でなにを考えているのかわけがわからなくなったぞ)
「これ洗ってないパンツのニオイがしますけど」
「洗ってないパンツではないから飲める」
「それもそうですね」
と、女左近は納得しつつ一気にその解毒薬を飲み干した。
戻るか戻らないかは知らないが。信れば夢は叶う。とぎゃざーともろー!
…俺は英語が大嫌いだという真実を暴露した。
「……殿」
「いいか、近寄ったら刺すぞ」
「いや、でも殿の責任でしょう」
「いいか、飲んだのはお前だ」
「けれど飲めと言ったのはあなたでしょう」
「今の人類には拒否権があるぞ。いいか、俺は知らんぞ。近寄るなよ」
なんでこうなったのだ。
薬を飲んで数秒間、女左近には何一つ変化は現れなかった。しかしどうだろうか。見る見るうちに左近の胸は膨らんで、いわゆるグラビア級になったのだ。
いいか、俺は巨乳よりも普通の乳がいい。女は嫌いだが普通の乳ならまだいい。巨乳などけしからん!
「とりあえず、服がキツイです」
「知るか。俺は女物の服など持っていないぞ」
コンコン
誰だこのおぞましい非常時にそんな暢気なノックをするけしからんヤツは。(そんなの女に決まっている)
「誰だ」
「殿さん、私です、ドラマチック本マグロです」
「ああ、待て。今行く」
なんだ。女ではなかった。
コードネーム・ドラマチック本マグロ。ここの研究員である男だ。
巨乳女左近を目で追い払って、俺はドアに手をかけた。ドラマチック本マグロは名前こそ奇抜だが俺の大事な友人だ。
ヤツは俺との友情のために生きていると言っている。
俺が死んだらどうするのだとも思うが、俺は死んでやるつもりなどちっとも無い。とにかくドラマチック本マグロは俺の大事な友人で、この研究所に誘い込んだのも俺だ。
「なんだ」
「えっと、義さんに最近、左近さんの姿が見えないというお話を伺っておりまして、心配で探しているのですが」
「ああ、問題ない。俺のところにいる。寝ずの研究をしているのだ」
「そうだったんですか。あまり根詰めすぎないでくださいね。今度差し入れ持ってきます」
「すまんな。出来れば女物の服を頼む」
「はい?」
ドラマチック本マグロを帰し、俺は一息つく。嘘をつくのが心苦しいな。
「……女、どこ行った!」
振り返ると、女左近の姿は部屋に無い。一体どこへ行ったと言うのだ。
部屋にゴキブリがいるという事実はわかっていても、どこにいるかわからないという恐怖感に似ているその奇妙な高揚感。恐ろしい。
また以前のように天井に張り付いているのだろうか。
見上げると、備え付けの電球に無様にぶらさがっている女左近の姿を発見した。
「おい、取れる。貴様のでかい乳のせいで俺の電球を壊す気か」
女左近を見上げて告げる。
「お、落ちる…」
その一言と共に視界は暗転した。