三成と左近がいなくなっちまった。しがない開放型病院。警備なんてもんもねえし、いくらでも抜け出すのは可能だった。だが、抜け出すはずがない、と俺たちは慢心していた。

アイツらは幸村の患者で、幸村の、そして俺の友人。幸村自らが寝る間も惜しんでカウンセリングに勉強、研究、とこなしていた。俺はその幸村が無茶しねえようにっていう補佐役みたいなもんだ。実際、幸村は働きすぎだ。

睡眠だって一日数える程度。三成に左近、兼続のカルテ整理にカウンセリング。あちらでなんかの発表が、あそこの病院の研究がと駆けずり回って。

確かに大切な友人で、現実に帰ってきてほしい、昔のように笑いあいたいのはわかる。が、それで幸村までおかしくなっちまったら本末転倒だ。

幸村は過度の働きすぎでいまや燃え尽き症候群。完全な無気力状態で、廃人同然だ。兼続もしかり。(理由は違えど)

兼続の瓦解、三成と左近の行方不明。これが主な原因だろう。

幸村の筆跡を追う。あちこち補足や赤線だらけの、まるでテスト勉強でもしたようなカルテ。昨日まで熱心にこれと睨みあっていた。

兼続の症状は過剰な医師への偏執。三成の症状は女性恐怖症と、それによる自然な防衛反応の交代人格の派生という妄想。左近の症状はなんらかの理由による記憶障害。


(三人に共通した症状は、過去の俺たちの築いてきた関係という一定の記憶の喪失だ。左近については過去に関する一切の記憶を失っている)


おおよその症状とそれぞれの治療提案が記されている。

兼続は俺の担当だったっていうのに、幸村は律儀にも兼続に関してまで考察していたようだ。それでいて自分の担当だった三成や左近の考察もおろそかにしちゃいねえ。これじゃあ、廃人になってもおかしかない。

カルテを机の上に放り出し、大きく背中をそらし伸びをする。

俺たちは、それはそれは仲がよかった。

いつからの仲だったろうか。たしか、高校時代からの仲だった。いつも驚かれるが俺と幸村は同学年で、三成と兼続は二つ上の先輩だった。左近は国語科の教師で、万年赤点の幸村の面倒をよく見ていた。

三成と兼続は入学当初から意気投合し、自然と兼続の中学時代の後輩、幸村と親しくなっていった。俺は一年のとき、幸村と隣同士の席になったことがきっかけで話すようになったんだったな。そういうサイクルで俺達は自然と仲良くなっていった。三成と左近はもともと家がお隣さんで、それは仲睦まじかった。

それで……なんだったかな。忘れちまった。昔のことだ。

仲の良かった俺たちは…、どうしてこうなったんだかな…、それも忘れちまったな。人ってのは忘れる生き物だ。

左近だって、そうやって記憶を失くしたんだ。左近の失った記憶は過去の記憶で、逆行性の健忘。これから覚えていくことはちっとも問題じゃねえが、過去の記憶が無い。それは新しい人格を作り上げることを意味する。今まで積み重ねた経験、記憶というもので人は人格を形成する。その記憶を失ったのだから、きっと違うものになっちまう。

が、予想外にも左近は、どうあっても三成とは切っても切れない縁にあるようだ。三成も左近も、互いがいなくちゃ話にならねえってとこなんだろうかね。ああいうのを、ちゃっちい言葉だが絆、とか言うんだろうな。

人とは、根本的なものは覆せねえ。その良い例だ。ただ、外皮はいくらでも形を変えるもんだ。


自分の作成したカルテに目を通す。左近のことがところせましと書き込んである。

そもそも左近の記憶喪失の原因はなんだったのだろうか。最もわかりやすい例で言うならば、なにかの拍子に受けた外傷であったり、なんらかの心のトラウマ的なものが関与していることもある。

兼続の“医者ごっこ”は非常に精巧だったな、と思い出した。遂げられなかったものの、彼は半分以上は医者の卵だ。素人のお遊びにしちゃできすぎている。



結局、理由もなにも解明する前に、左近は三成と共に姿を消した。


俺は左近に関しては別にかまわない、と思う。


記憶喪失に関しての明確な治療は実質、存在していないはずだ。はずというのも俺はたかだか補佐でそこまでこういった話に詳しくない。

せいぜい催眠治療で記憶の想起を促すとか、その程度のことしか結局は出来ない。それならばこんなところに引きこもるよりも、いろいろなところを見に行って、たくさんのことを知ればいいと思っていた。


幸村の演劇療法には万人には対応しない。これは幸村の落ち度だった。


記憶の無い左近に『左近』という擬似情報を与え、役割を与えた。左近はそれが当然であるかのように行動する。俺はもう正直お手上げだった。

それでも幸村に異議申し立てをすることは、できなかった。

幸村はこの世界を望んだ。

三成が三成として存在し、左近も左近と存在する。兼続は兼続、俺は、俺。ただ、昔のように仲良くしたかったんだ。それは、ほど遠いが。

しかし、過去を望むのならば、当時の役割を与えればよかったろうに。

おそらく幸村は過去ばかりを望むほど愚かではなかったんだろう。未来へ橋を架けるように、ただ戻ってもらいたかったんだろう。だからこそ、身を粉にして働きまわって、この有様だ。



「なあ、幸村。聞こえるか? 五時の音楽だ」


夕日を眺めながら、幸村に話しかける。

ドヴォルザーク「新世界より 第二楽章」、有名な音楽だ。地域によって五時に流れる音楽が違うようだが、俺はずっとこの曲を聴いてきた。

初めにそれを知ったときは驚いた。まるで哀愁を漂うその曲は日本的なものを勝手に感じていたし、そんな外人の曲を夕方に流すなんて信じられなかったからだ。だが、嫌いじゃねえ。

幸村は小さく反応する。声をかければ反応するし、言われた通りのことはする。ただ、無気力だ。五月病なんて話にもならない。



「夕日はいいぞ。さっさと帰ってこい」






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05/23