「ひぎゃあああ・・・!」
いつもどおり、あっと驚くような新薬の開発を進めていると、けたたましい悲鳴が聞こえてきた。
聞き覚えのない声だったからまた誰かが実験用モルモットでも連れてきて実験でもしていたのかなーなんて思っていた。
さして気にも留めずどういった新薬を開発するか、という根本的な問題を突き詰めていっていたら、乱暴にドアが開いた。
「殿!」
「…ん?」
殿というのはこの研究所でのコードネームみたいなものなんだが、基本的に孤独な研究者の象徴であるかのごとく俺は一人で研究開発を進めているわけだから、俺のことを呼ぶ人間などほとんどいない。いや、他人がいると鬱陶しくてかなわないからなんだが。
だが、ひとりだけ例外がいる。それが左近だ。左近は俺の懐刀というか右腕というか。
ともかくこの研究室に立ち入るのは左近とごく一部しか許していない。
なにが疑問だったかというと、俺のことを呼んだ声が左近の声ではなかったからだ。
「…誰だ、貴様は」
「殿!これは一体どういうことです!」
「質問に答えよ」
俺の研究室に無断で侵入し、ヒステリックにわめき散らすのは背の高い女であった。
まったく聞き覚えの無い声だし、見覚えもない人間だから普通に邪魔だ。
「…左近ですよ」
「普通にうざい」
「な!」
しぶしぶと答えた女は意味のわからないことを言う。だから切り捨てた。
いいか、左近を知らない者のために左近の特徴を説明しよう。
左近というのはまず俺よりも背が高い(その点ではこの女も当てはまる)。そしてたくましいケツアゴ(別になにも入れないし出さないぞ)、草原のようなモミアゲ(残念だがシマウマは走っていない)、頬の傷。長くて男のくせにつやつやの髪の毛(この女もそうだな)、俺なんかよりもずっとむきむきのたくましい筋肉(腕、足)。武骨だが繊細な指先。がに股。おっさん。
これが主な左近の情報だ。あとどう捉えるかは皆の者次第だ。
対して女は背は高いがケツアゴでもないし、モミアゲも無いし、傷はある…、髪も長いけど肩幅なんか俺よりもせまそうだし華奢だし通常サイズくらいの胸があるし。…がに股だが。しかしておっさんでもない。
つまり、どことなく面影はあるがこれは左近ではない。
似ていると言えば似ているが左近は女ではない。
「左近は男だぞ。貴様のようなメスじゃない。消えろ、普通に邪魔だ」
「ちょ…!殿、自分で変な薬飲ませておいてそれはないでしょう。昨日俺に飲ませた黄緑色の液体を覚えておいでですか?嫌がる俺を押さえつけて飲ませたでしょう。まだ俺を左近とお認めになられませんか。ならそのときの会話だって言ってみせましょう。『ちょ、殿なにをするんですか。そんなの左近は飲みたくありません』『ええい!これは男のロマンだ。早々に飲め』『わ、ちょ、わあああ!』…これでもまだお認めになられませんか。とにかく、朝起きたらこんな姿になっていたんです。これは昨日のあの見るからに怪しい液体が原因としか思えないんです。殿が作ったものでしょう、解毒薬も作ってください」
女は俺と左近しか知りえないようなことをスラスラと言ってのけた。
左近がまさか知らない女にペラペラとそんなことを言うとは思えないし、俺も知らない女に言った記憶は無い。
つまりこれは左近なのかもしれない。本当に。
確かに俺は昨日左近に黄緑色の新薬を飲ませた。しかしそれはこんな効果が出る薬ではなかったはずだ。
「…わかった。認めよう。だが、俺は女になる薬を作った記憶はない」
「じゃあどんな薬を作ったというんです」
「胸が出来る薬だ」
「似たようなものじゃないですか!」
「いいや、それは似て異なるものだ。女になるのと、胸が出来る。似ているが本当に違うのだ。女になるということはつまり子どもを産む機能が備わることだ。ほら、体は華奢になり、やわらかいだろう。体毛も薄くなって、声だって高い。本当に女だろう。しかし胸が出来るというのは違うのだ。男の体そのものに胸がボンッとできるのだ。俺は体毛の濃く二の腕や足がとてもたくましくそのダミ声のまま、胸が出来て欲しかったのだ。両性具有になってほしかったのだ。なぜ貴様は女になった!ありえぬ!俺の研究は間違ってなどいなかったはずだ!!」
おかしい。
俺は俺の妄想を具現化しとても楽しむためにあの薬を作ったはずなのになぜ、どこで、なにを、どう間違えたのだ。
「…はあ」
「俺はな!お前に女になって欲しかったわけではない!なぜ女になったのだ!」
「知りませんよ」
左近は予想外にクールに返事を返してきた。
しかし、この俺が間違いをおかすなど…俄かには信じられんな。俺は女には萌えないんだ。あくまでたくましい左近が萌えなのだ。
コンコン
と、自分の萌え理論を脳内構築していたら研究室のドアをノックする音が響いた。
誰だこんな非常時にそんな暢気なノックをするなど。
「殿、誰かいらっしゃいましたよ」
「あいわかった。お前はそこらへんに隠れていろ」
「え、そこらへんって、あ、ちょっと待ってくださいよ」
ガタガタ
左近の止める声も気にせずドアを開けると、そこには久しぶりに見る顔があった。
コードネームは義、らしい。本人自称だ。白装束で変わった帽子を被っている若い男だ。(被っている帽子がイカに見えるとかなんとか)
「どうした」
「いや、奇妙な悲鳴が左近の部屋で聞こえてな。覗いてもいなかったからここへ来たのだが」
「ああ…、ゴキブリが出たとか言っていてな。俺がスリッパで叩き潰したら『なんで潰すんですか!どうせなら外へ逃がしてくださいよ!』と怒って、今は俺の部屋にいる。問題ない」
「そうか、ならよかった。俺の義センサーがビンビンに反応していたのだが…、まあそういうことなら」
「ああ、とっととどこかへ行け」
「いや、どうせならゴキブリに震える左近を…」
「不法侵入は不義だぞ」
「あいわかった。すまない。失礼した」
自称・義は不義という言葉を使えば簡単に引き下がる。とても便利だ。
なんの疑問も口にせず去っていった自称・義を見送り、ドアを閉め室内を見回した。
…左近はどこに隠れたのだ。
「さこーん?」
?
どこに行ったのだ。
「……降りれなくなりました」
「む?」
上から声が聞こえ見上げると、天井の隅に必死でへばりついている左近の姿があった。
とっさにあんなところへ隠れられるなど、筋肉は劣化していないのだろうか。ふむ、研究の余地ありだ。