「日記を蒐集しにゆくのか」
「ああ、そうだ」
のっそりと縁側に佇む兼続の隣に並び立ち、三成は兼続の視線を追った。兼続の視線は物干し竿を越え、暮れかけの夕日を終着点としていた。まばゆさに目を覆った三成は、兼続を不思議そうに見た。
兼続の声音は静かで穏やかなものだった。それが三成には奇妙に心地よく感じられる。
「さて、行くかな」
兼続はそれだけ呟くとくるりと踵をかえす。その背中を見た三成はぺたぺたと音を立て追いかけた。
(俺もついてゆこう)
当たり前のように三成が兼続に同行するようになったのは、同居生活を始めてすぐであった。――兼続は定住していない三成にこの家に住まないかと提案し、三成はこれを了承した。――
三成自身、兼続の義というものに興味があり、兼続の義を見せてもらうと豪語した。さらに、自分の義の在り方を見つける。とまで言ったのだ。しかし、何度か兼続に同行したがいまいち兼続の義というものがわかりかねる。いまひとつ、決め手に欠けているのだ。だからこそ、なるべく兼続について回っている。そうすることで決め手に出会えるかもしれない、と考えてのことだった。
ねめるように兼続の背を見ていた三成は、今日はどういった日記を蒐集するのだろうか、と思案を巡らせる。兼続の蒐集した日記を想像することが、楽しくてしかたないのだ。想像力に欠けた三成には難題だったが、ひとを観察する目は優れていて、だんだんとその足りなかった部分が充足されていったようにすら感じていた。
玄関でふたりは履物をはき、がらがらと引き戸を開け外に出た。白い光と蝉の鳴き声が一段と強くなった。
「今日はどこへ」
「さあ、まだ考えておらぬ」
ぶらりと行く先の定まらない足取りの兼続を、三成は小走りで追いかけた。苦笑いを浮かべた兼続は、一度立ち止まり足元の小枝を拾いあげた。
「これが倒れた方向に向かうか」
そう言うなり兼続は小枝を足元へ落とし、小枝が倒れた方向へ体の向きを変えた。
行く先をその時々、さまざまな方法で決めるのが兼続だと三成は数度目かの同行のとき、ようやく覚ったのだ。本日の行く先は、細い砂利道の伸びる山中となっていた。
「兼続、お前の義、やはり俺にはわからない」
足元の石を蹴り歩きながら、三成はふと言った。強く石を蹴りすぎたため、兼続の先を行きながら答えを待つ。
「はは、義というものはひとそれぞれだ。お前はお前の義を信じるのだ」
「俺の義?」
こどもを見守る保護者のような目で三成を見ていた兼続は、やわらかい笑みを浮かべる。三成は足を止め、兼続が自分に追いつくのを待った。
(俺の義、義の在り方。わからぬから兼続についてまわっているというのに)
慣れないことばかりしているせいか、三成の頭は働きすぎて活動を停止しそうなほどになっている。ぐしゃぐしゃと頭をかいても答えは出てこない。
「そうだ。お前の義だ。私の義は日記蒐集家として生きているからこその義だ。種類の違うお前と私の義が必ずしも同じとは限らないだろう」
「たしかにそうだ。しかし俺は俺の義をどうこう言うよりも、まず身近な義を確認したいのだ」
「ふむ。それもありだろうが、わからないのだろう」
兼続にそう言われてしまっては、なにも返答ができない。本当のことだったからだ。
しかし三成は、自分の義をどうという前に、前述通り兼続自身に興味があるのだ。それを本人に言うのは照れくさいものを感じたため、決して口には出さなかったが。
黙ってしまった三成を、笑いながら涼やかに追い越した兼続に向かい、三成は石を蹴った。その石は大きく軌道をずれ、草むらに姿を消してしまったため諦めて兼続の隣に並び立った。
「いや、言葉の上ではおおよそはわかる。つまりお前の義とは、日記を無くしてしまったひとに日記を分け与えるのだろう」
「うむ」
「わからないのはここからだ。その分け与える日記を、別のひとから蒐集することについてだ。それは不義にはならないのか?」
ぴん、と指を立てた三成は、兼続の顔をまじまじと見つめる。自分が言ったことに対し、なにか表情を変えるのではないかという期待をこめてだ。兼続が表情を少しでも変えたのなら、自分の言ったことは的を射ているということだ。
しかし兼続は表情をぴくりとも変えず、口を開く。
「ならぬな」
「なぜ」
「ひとというものは忘れる生き物だ。ひとつ、またひとつ、ひとは日々日記を忘れ去ってしまう。その零れ落ちた日記を拾い、必要としている者に与えていることがどういう不義になるというのだ」
「むう」
たくみな反論に三成は唸った。
(たしかに、俺もたくさんのことを忘れた。忘れたということはたいして必要も無かった、他愛のないことなのだろう)
立ち止まり長考を始めた三成を兼続は苦笑いで待っていた。
三成は深く考え込むとどうも他がおろそかになってしまう癖のある男である。兼続も何度、道中三成を待ってひたすらにぼんやりしてきたかわからない。
やがて延々と続く言葉遊びに匙を投げた三成は兼続を促して歩き始めた。
「不義については」
「わからんな。わからんが、理解はした」
「違うのか?」
「言っていることは理解したが、やはりわからん」
唇をとがらせ、拗ねたこどものように言った。どれだけ説かれてもわからない自分にか、それともわからないことを提示してきた兼続にかわからなかったが、ほのかな苛立ちを感じていることは明らかだった。兼続もどうしたらよいのかわからず、持て余しているようだ。
「なにもあせる必要はない。一朝一夕で理解できるほど義は単純ではない」
虫の居所がだんだんと悪くなってきた三成をなだめるように兼続は言った。それに納得していないように、三成は不承不承頷いた。
歩き始めて相当だが、今までふたりは一度もひとにすれ違わなかった。兼続はしきりと太陽の位置を確認する。家を出たときにはすでに暮れかけだったのだからもう太陽は今にも姿を消しそうである。
さすがに引き返そうかとふたりが相談しはじめたときだった。
「む、あれは旅のひと」
兼続は山道の奥から早足で下ってくるひとの姿を視認した。つられてそちらを確認した三成も納得した。大きな荷物を背負い、旅の様相をし、しきりに太陽の位置を確認している。
三成がなにか言う前に旅人はさっさと下り、ふたりと目と鼻の先までやってきた。そこでふたりに気が付いた旅人は小さく会釈する。どうしたらよいのかわからなかった三成はただ棒立ちしている。対して兼続はにこりと笑い、同様に頭を下げる。
「あの」旅人は控えめに声をかける。少し高めの男の声だった。
「なんでしょうか」
「ここから町まで、どれほどになりましょう」
「ああ、そろそろ暗くなりますからな。なんの、すぐですよ。私たちも今から帰るところで」
兼続が流暢に答えるのを、三成は黙って聞いていた。話し相手もおらず、手入れの雑な山道にも飽き、旅人に目を忍ばせる。
(俺の外見年齢よりも若そうだ)
ざっと旅人の容貌を一瞥し、そう感想する。実際、旅人は三成の外見よりも少し幼さが残っている外見だ。少年と言っては若すぎるが、大人と称するには少し早すぎる。その旅人はうなじあたりまでの髪で、毛先がぴょんぴょんと跳ねている。自分の髪と見比べた三成は、自分の頭のてっぺんでひらひらと動く一房の髪が妙に憎く思えた。
「もしよろしかったら、同行させていただけませんか。いやこの辺り、物騒な話をよく聞くもので」
「ああ、もちろんだ」
そこで兼続は旅人に微笑みかけながら、額に手を伸ばした。旅人は驚いたようで硬直し、兼続の手を穴が開かんばかりに見つめている。
旅人の額から、おたまじゃくし程度の淡い光が抜き取られる。おたまじゃくしは兼続の手のひらへと消え、なにごとも無かったように兼続と旅人は歩き始めた。
(義、奥が深い。わからぬ。そもそも俺はなにを考えているのだ? 義の、なにを)
結局、三成の思考はそこにとどまっていた。首をかしげながら先を行く二人を追いかけるが、なかなか明確な答えは出ないようだった。
「申し遅れました、私の名は幸村です。この町に帰ってくるのは久しぶりです」
06/24