外は晴れていた。文字通り雲一つない晴天で、眩しさに目を細めた。
雨の後はこうやって憎たらしいほどに晴れるものだ。そして雨だった日の遅れを取り戻すように人通りも多くなる。三成は変わらない日常に安心するようにため息をつく。
自分が出てきたばかりの背後の建物を仰ぎ、三成はすぐに人の波に乗り、のらりくらりと歩きはじめた。
水たまりにはまらないように、ひょいひょいと飛び越える。そんな麗人を道行く人々は興味深げにちらちらと視線を送っているが、当の三成は素知らぬ顔だった。
三成にとって今のひとの評価というものはそこらへんに転がっている小石となにも変わらなかった。誇張表現になるかもしれないが、三成にしてみれば、今、道を行く人々すら小石と変わらなかった。だからこそ喰むことにも罪悪感を感じない。むしろ、無償で掃き掃除をしたような感覚で駄賃すら欲しいほどに感じている。――これは三成の想像力の欠如に起因しているが、やはりそれを指摘する人間はいなかった――
しかし、三成はひとを喰む基準を自分の中で定めている。だから目に入る人間全てを喰んでいるわけではない。それでも、三成は今までに多くの人間を喰んできた。
ひとの流れの中、三成はひとり立ち止まり、自分の掌を見つめた。ひとの往来の中に佇む三成を、すれ違う人は無遠慮に睨みつけるが、やはり三成は素知らぬ顔で掌を見つめている。
(俺の手は、白い。しかし、まるで血みどろではないか)
柄にもなく感傷に浸った自分を自嘲し、また水たまりを飛び越え歩きはじめた。歩きながら左手を掲げ、中指と薬指をくっつけ、親指の指先と合わせ、手狐を作った。
「こん」
手首をかしげ、三成は狐らしい狐の鳴き声を真似た。
三成は黙って手狐を見る。存外気に入った様子で、何度も手首をかしげさせた。
「もし」
足元も疎かに手狐に熱中していた三成を呼び止める声がした。聞き覚えのある声だったため、立ち止まり、振り返った。
「蒐集家か」
そこに立っていたのは、ねねの家で会った兼続そのひとであった。兼続は人当たりの良い笑みを浮かべ、ひとの流れから浮くように佇んでいる。
三成は兼続が何を思い自分を呼び止めたのか考える。
今まで同類職の者に会うことは何度もあった。三成にとってはいまさら珍しいものでもなんでもなかったので、特別になにかを話そうとは思わなかった。
「ここは人も多い。どうだ、私の家へ来るか」
すぐに断るつもりだった。気ままにふらふらと旅をして、適度にひとを喰んでゆくつもりだった。しかし、意に反して三成は頷いていた。
ふたりは無言で歩き始めた。会って間もない相手に語るべきことが見つけられず、自分の手狐を眺めながら兼続の背中を追いかける。
それから兼続という男にあまり不信感を抱いていない自分を発見し、驚いた。兼続の笑顔には不思議な力が宿っているように思え、三成は滅多に笑みの形にならない自分の顔を触った。
(いやしかし不思議な男だ。あんなにおだやかに笑うことができるなど、今まで会った蒐集家にいただろうか。なぜ、あんな風に笑うことができるのだろう)
三成は兼続に興味を持った。
けもの道のように荒れた砂利道を歩き続け、やがて小さな民家が目に入る。簡易な掘っ建て小屋のような、町のはずれのはずれにぽつんと佇む、小汚い印象を与える家。どうやらそれが兼続の家らしく、兼続はがらがらと音を立て戸を引いた。
土間のように薄汚れた玄関で履物を脱いだ兼続は、笑顔で三成を促す。三成は同じように履物を脱ぎ、兼続に続いた。
「なにもないところだが」
「ああ」
兼続の言葉は謙遜ではないことがすぐにわかった。なんのための家なのか甚だ疑問に感じたが、すぐにおおよその理由を見つけ、口には出さない。
居間に通されるが、兼続が雨戸を開け座布団をはたいている間、三成は所在無く立ちすくむしかなかった。
「何の用だ」
ようやく座布団を勧められ、座ることのできた三成は、数秒と間を置かずに問う。
自分の座布団に座りながら、兼続は気を悪くするそぶりも見せずに喜色満面、といった様子で口を開いた。
「いきなりで悪かった。実は今まで同類職の者に会ったことが無くてな。どこか行く場所でもあったか?」
嬉しそうな兼続だったが、唐突に呼び止めてしまったことを気にしているらしく、眉尻が垂れている。
三成は素っ気なく「無い」と、答えた。その素っ気ない返事でも十分だったのか、兼続は表情を輝かせた。
「それは良かった。改めて自己紹介させてもらう。私の名は兼続。日記蒐集家だ」
「三成。遊戯蒐集家」
兼続は笑みを崩さず、三成に向かい手を差し出した。三成は差し出された兼続の手と顔を見比べ、逡巡するがそろそろと手を持ち上げる。すると兼続はすぐさましっかりと三成の手を握りしめた。驚いた三成は握り返しもせず、ただ握手をしている手を見つめた。その間も、兼続は笑顔のまま三成を見つめている。
握手を解いたふたりはしばらく黙った。
三成は部屋の様子をさりげなさを装い観察するが、私物と思われるものは文字通り何も無かった。ただここは雨風をしのぐためのもの、という印象を与えられるが不思議には思わない。
それから兼続は落ち着かない様子で口を開いた。
「さっき、遊戯蒐集家と言っていたが、それはどういうものなのだ?」
「知らないのか?」三成は驚いていた。兼続は照れくさそうに頭を掻くのを見て、三成はしぶしぶと口を開いた。「遊戯蒐集家は、ひとの人生を喰むものだ。俺が喰めば、そのひとが存在していたということも忘れられてしまう。生きていた足跡すらなくなるのだ。そのひとの存在は、喰んだ俺しか知らないことになる」
兼続はじっくりと聴き入っている様子で、ほんの少し照れくささを覚える。
今まで他人になにかを説明する機会など無く、ましてや自分のことを説明することなど皆無だったせいか、言葉足らずな自分の説明で大丈夫だろうか、と同時に考えた。
三成の説明が終わったのをきっかけに兼続は大きく頷きながら、感嘆の声を漏らした。
「そのような蒐集家がいたのか。知らなかった」
「お前、いつから蒐集家に?」
「三十年前だ」
三成からの質問に兼続は嬉々として答えた。同類職である三成に興味を持ってもらったことが嬉しいのだろう。
三成は妙に初々しい気持ちを覚えた。かつて自分にもあったはずの感情であった。一体、いつからなくしたのだったか。ふと三成は、兼続という男に会ってから妙な感情が胸のあたりで燻っていることに疑念を抱いた。
既視感だ、三成は、はっとした。
(今まで会った蒐集家は、俺のようだった。兼続は、かつて蒐集家と本格的に自覚したばかりの俺のようだ)
胸のつっかえは取れたものの、また妙な懐かしさを持て余し始め、三成は憂鬱に沈む。
「若いな。なら知らなくても無理はない。俺は、二百年、生きている」
「二百年!」
兼続は大袈裟ともとれるほどに驚いてみせた。
蒐集家は不老不死が基本である。兼続が三十年生きてきても青年の姿なのも、三成が二百年生きてきてもその若い容姿であるのも、それが理由だ。飽くまでも基本であるのは、蒐集家にも死が訪れる。矛盾しているが、そうとしか言えないのだ。蒐集家の死は個人が望まねば招かれないことなのだ。蒐集家が死を望まねば、蒐集家は不老不死を維持する。
「ああ、長かった。そして、退屈だ」
「蒐集家は不老不死が定めだからな」
兼続はあごを撫でながら数度頷いた。
足がしびれてきたのか、兼続は足を崩し、あぐらをかきはじめる。三成も同じようにあぐらをかいた。痺れている足を何度かつねったり、爪を立てたりするが全く感覚が無い。
「日記蒐集家か……」
ふくらはぎをつまみながら、三成はぼんやりと呟く。心ここにあらずの様子の三成に、兼続は首を傾げる。三成は考えた。
(蒐集家には数種類か、種類があるという。俺も、全ての蒐集家に会ったわけではない。だが、日記蒐集家のことは聞いたことがある。ひとの日記、つまりひとの記憶を蒐集するのだ。俺はひとそのものを蒐集するが、日記蒐集家は記憶のみを蒐集する。どちらがより残酷なのだろうか。まあ、俺の知ったことではないが)
頭を抱え、畳の目を指先で弄りながら考えこむ三成の姿は、兼続には奇妙に映ったようだ。三成の目の前でぱたぱたと手を振って見せるがまるで反応しない。目を開けたまま眠っているような三成に、兼続は苦笑する。
「こん、こん」
三成の目の前で、兼続は手狐を作り、二度手首をかしげた。三成はがしりと兼続の手狐を掴んだ。
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