昏々と眠り続けていた三成だったが、浮き上がるような感覚と共に、ようやく緩やかに瞼を持ち上げた。
 目を覚まし、まず初めに目に飛び込んだのはひとの顔に見える木目だった。寝起きで思考しない頭は、それを自分が眠るにいたらせた根源だと認識し、三成は思わず食ってかかりそうになるのを抑えた。それは、あれが天井と知覚したからではなく、ここで波風を立てる必要は無いと理性を働かせたからである。
 しかし数秒も立てば流石におかしいと思った三成は体を起こし、天井を見上げすべてを理解し、思い出す。体を起こした際に、掛け布団がめくれ、ようやく疑問を抽出するまで覚醒した。

(ここは、どこだ)

 警戒するように周囲を見回し、三成は立ち上がった。自分の着ているものが普段着ているものとは違い、簡易な寝間着となっていたことにおののいた。
 三成の頭は二つの仮説を弾き出した。ひとつは、三成の脳天を膝で蹴るという偉業を為した女が気を失った三成をここまで連れてきたということ。もうひとつは女は気を失った三成を放置し、偶然通り掛かった誰かが三成をここまで運んできたということ。しかし三成にとっては泥だらけのままでいるよりはずっといい、ということが重要であったから誰がどうしただのはさして頓着すべき点ではなかった。

 そこまで考えてからようやく部屋の様子を観察した。だが六畳程度の殺風景な部屋にすぐに飽きてしまった。なにも、三成の興味をひくものがなかったのだ。六畳の部屋の中心に自分の寝ていた布団があるだけ。と言っても過言ではなかった。
 誰もやってくる気配が無かったので、三成はどうすればいいのかとほとほと困り果てた。着ているものも寝間着では黙って外へ出ることもできない。かといって勝手にうろつくことも憚られた。

 三成の中に妙な憤りが生まれた。
 しかし三成は動揺せず、静かに瞼を下ろし、胸に手をあてた。その憤りは三成が気を失う前に喰んだ巨漢のものだとすぐに悟ったのだ。三成は、おそらく自分の心情に同調しているのだ、と悟った。実際、奇妙な感情だった。憤りの矛先が曖昧なのだ。それでは宥めることも難しい。
 そんな、奇妙な憤りを持て余した三成に声をかけた人間がいた。

「目を覚ましたんだね。ずっと眠っていたから心配したんだよ」

 その声は三成の背中から飛んできた。今、三成は唯一の出入り口の障子に面を向けている。
 いつのまにか現れた人間に三成は心底肝を冷やした。大慌てで振り返ると、開口一番、横柄にこう言った。

「誰だ」

 手負いの獣のような警戒心が滲み出るような声音だった。

 それから三成はいつの間にか背後に存在した人物を見て納得した。そのひとは三成の脳天を膝蹴りした奇想天外な女だったからである。

(この奇抜な女ならば、あまり不思議ではない)

 三成は会って二目しか会ったことのない女についての大まかな認識で納得したのだった。
 女はパッチリとした目をせわしく瞬きさせた。それから整えられた美しい眉を歪め、小さな唇をへの字にした。

「ま、そんな乱暴な口きいて。ひとに名前を聞くときは自分から名乗るんだよ」

 女は小さなこどもに言い聞かせるような、厳しさを含めた言い方をした。圧倒され、三成はいつのまにか小さく名を名乗っていた。

「そうそう。それでいいんだよ。三成だね。わたしの名前はねね。さっきはいきなりぶっちゃって悪かったねえ」
「……」

 気さくに語りかけてくる女――ねねに圧され、黙りこむ。
 三成としては、一刻でも早く着替え、ここを出たかった。このねねそのものがどうという訳ではなく、三成は気ままなひとり旅が好きである。しかしねねは、そばに置いてある盆を三成の真正面に置いた。どうやらねねが運んできた盆のようで、湯気の立つお茶の入った湯飲みと、白い皿に佇むように載せられたまんじゅうがあった。

「さあさ、せめてものお礼とお詫びだよ」
「お礼?」

 感謝される謂れは無い、と三成は怪訝にねねの表情を探った。悪意のかけらも見えない、やさしい笑顔に毒気を抜かれる思いだった。

「あれはね、すごく大事なものだったんだよ。盗っ人から取り返してくれたんだよね?」
「……」

 三成は何も言わなかった。

 泥棒と聞いてあの巨漢を思い出す。喰んだのは事実ではあったが、ねねの言う『あれ』が残ったのは偶然であり、一歩間違えていれば『あれ』も巨漢と一緒に喰んでいたかもしれなかったからだ。ただの偶然で感謝されるのは筋違い。しかし結果としてそうなったのである。
 黙っている三成をいいように解釈したのかねねはいっそう笑みを深くして茶を勧めた。三成はやはり無言で湯飲みを受け取り、茶をすすった。久しぶりに茶を飲んだせいか、こんな味だったのか、という感想が真っ先に浮かんだ。
 その時、遠くから小さな声で「ごめんください」という男の声が聞こえた。

「あらあら、もうこんな時間なのね。悪いけどちょっと待っててくれるかい」
「ん」

 三成は茶をすすりながら短く頷いた。

 ねねは“普通”に障子を開け、退室した。三成はねねの後ろ姿を見ながら首を傾げた。そしてねねが離れていったのを見計らうと、こっそり障子を開け外の気配を探った。
 障子を開けてすぐに目についたのは、大きな岩の置いてある立派な中庭だった。どうやらこの中庭を囲うように建物が建っているようで、四隅には燭台が備え付けられている。つやつやに光る廊下、いくつかの障子。部屋の数は多いようなのに、この建物はひっそりと静まり返っている。布の擦れる音すら家中に響くように感じるほどであった。
 ひとの通る気配が無いとわかると、三成は物音を立てぬように部屋から這い出る。

 今のうちに服を探してさっさと出るのだ、と、そろそろと立ち上がり、爪先で立ちながら慎重に歩いた。少しでも油断すれば、床がぎしぎしと音を立てることに気付いたからだ。
 障子を開け、部屋に入ろうとした三成は緊張して手を止めた。複数の足音が聞こえたからだ。ねねと男の話し声が聞こえ、慌てて中庭を眺めるふりをした。流石に、勝手に家の中を探っていると思われるのはいやだと思ったのだ。

「あら三成、なにしてるんだい?」
「い、いや、そろそろ帰ろうと思ってな……」

 ねねはきょとんとした表情で三成を見上げた。三成は視線を合わせることなく曖昧に言葉を濁した。それからねねの背後に立っている男に目が行った。
 男は三成よりも背が高く、すらりとした体型であった。華奢具合でいえば三成の方が上であるが、男は背も高いせいか余計に細長く写った。それから三成は男の顔を見る。聡明さを乗せたつぶらな目、すっと通った鼻筋、無駄な肉のついていない頬、少し厚めの唇。整った顔つきであった。
 しかし男の整った顔つきよりも、その纏う雰囲気に目を見張った。それは三成がよく知るものと酷似していた。

 三成は唾を飲んだ。

「お前は、蒐集家か?」
「……その様子だと、貴殿も蒐集家のようだ」

 三成の問いに、男はわずかに目を見開き、微笑みを浮かべた。ねねは不思議そうな顔で二人を見比べる。

「兼続、知り合いなのかい?」
「いや、初めてです。ただ、彼は私と似た職の者のようです」
「まあ、そうなのかい!」ねねは感嘆に声を荒げる。「なら三成、あんたもあの人の記憶を取り戻してくれるのかい?」

 三成に見せた上品な笑みとは違い、こどものように瞳を輝かせ、ねねは三成の手を取った。訳のわからなかった三成は戸惑い、助けを求めるように兼続と呼ばれた男を見上げた。

「ねね殿の夫は記憶を失くしてしまっているらしい」
「記憶を……?」

 兼続とねねを見比べる。それからねねに掴まれた手をほどき、ふたりに背を向けた。

「俺には関係無い。俺は帰りたいのだ」

 顔だけ振り返り、融通の利かない声音でそう言い放った。特別冷たい声音ではなかったが、温かみの無い声音にねねは、はっとして苦笑いを浮かべた。

「そうだったね。いきなり変なこと言って悪かったね。着ていたもの、洗っておいたよ。そこの部屋にあるからね」
「そうか。世話になった」

 ねねの顔を見ることもなく、三成はねねに示された部屋へ立ち入った。部屋に入ってすぐ、几帳面にたたまれた自らの着物を見つけ、素早く着替えた。

(記憶の無い人間のもとに現れた蒐集家、か)

 三成は咀嚼するように先ほど得た情報を頭の中で反芻する。

(俺とは違う蒐集家だ)

 思考を一蹴し、襟を正して部屋を出た。









06/23