「ひとを喰む……、抽象的ですな」
「そうとしか言えぬな。ただ具体的なものを求めるのならば、俺を見ればいい。俺はひとの姿をした、ただの化け物だ。これ以上に無い、具体的で立体的な証明だ」

 左近は三成を見る。三成は視線を肌で感じて、よけいに顔をそらした。

「確かに」手狐を作っていないもう片方の手であごを撫でる。「ひととは思えないですねえ。その造形の整い方」
「……そういう話では」
「いや、そんなもんだ。ひとっていうのは、見た目で決まることが多い。俺なんか、こんな厳つい顔をしてるせいか、最初は怖がられる」

 覚えがあった三成はなにも返さず、黙り込む。左近と初めて会ったとき、常人ではないものを感じ、思わず怖気つきかけた自分を思い出し、その記憶を蹴り飛ばした。そして、左近の言うことはもっともらしいと納得する。

「何某家中」三成はいまだ手狐のまま喋る。「俺が、喰んだ」
「……あんただったんですか。今朝、いきなり死んだと聞かされ驚いたんですよ。しかも、屍はないっていうから」
「体など残らぬ。心も残らぬ。なにひとつ、残らぬ」

 左近はすでに手狐をやめ、畳に手をついて、降り始めた雨を眺めていた。手狐は左近のほうを向いたままに、三成も外を眺めている。

「辛いんですか」
「なにが」
「その生が」

 その問いに驚き、三成はここで初めて左近を見た。精悍な顔立ちは穏やかに三成を見ている。その瞳と視線が合い、三成は蛇に睨まれた蛙のように動けず、左近と見つめあった状態を甘受するしかなかった。

「ようやく見ましたね」
「見ておらぬ」

 我に返った三成はあわてて視線を空へ移し、降りすさぶ雨を目で追った。左近も三成から視線を外し、夏の雨を通して、なにかを見ていた。

「俺は、老いず、死なず……、不老不死なのだ」
「これまた」
「ああ、難儀だ。死ぬことができぬとは何事だろうか。いや、ひとつだけ死ぬ方法がある」
「ひとつ」
「ひとを喰む。ひたすらに、ずっと」

 三成は立ち上がり、縁側に立った。縁先は雨で少し濡れているが、その冷たさが心地よかったのであえてそこに立っていた。

「俺は数え切れないほどのひとを喰んだが、未だにこうしてここに存在している。以前まではひとを喰むことなどなんとも思っていなかった。悪人……といっても小悪党ばかりだが、そやつらを喰みつづけて、この世が良い方向に作用すればよかったと思っていたのだ」
「……もう無理ですよ。世の道は定まった」
「まるで、この世の進む先が悪いとでも言いたげだな」

 背中に語りかけてくる左近を振り返ることもせず、ただ外の畑に向かって語りかけるように喋る。

「良いか悪いかなんて、生きるひとが決めることですよ。ただ、俺はそれを甘受して、なにもしようとしない自分が許せないだけだ」
「だから、家中を?」
「あれは東の重鎮で、俺の主を足蹴にしたんですよ。処刑の何日か前に」
「個人的な感情か」
「それもある……いや、それが大半かもしれない。残りは偶然そういう話が舞い込んできた、ということくらいだ。俺も、ただの人間だ。理性的に生きることのできない、取り残された先の大戦の遺児だ」

 自嘲する左近にかける言葉はなかった。
 三成はだまって思い出す。家中を喰んだときに、亡霊だとか化け物だとか口汚く罵られたことを。左近の話によれば、三成は主にそっくりであるらしい。つまり、家中は左近の主の怨念が地獄の淵から這い出てきたように思えたのだろう。

「失望したか? 義だなんだとか説きながら、俺はいまだ、自分の義を見失ったままだ」
「常に共にある、とお前は言った」
「置いてけぼりをくらったんですよ。あるいは、俺が勝手に先につき進んじまったのかもしれない」
「もう会えないのか」
「わからない。もう二度と、俺は義には会えないかもしれない」

 不思議な擬人法だった。
 義とは一定した速度で進み、ひとと常に共にあるものであり、暴走してしまったひとを追いかけることもしない。ただ、傲慢に、優しく、後ろから追いかけてくる。

「会えぬはずがあるまい。義は逃げぬ。決して現実から逃げぬのだ。会えぬのは、お前が義を見ていないだけだ」
「……だといいんだがな」

 左近の声は笑っていた。
 自分に義を説いたひとたちが、皆、義を見失い、哭声をあげているという事実に三成は思い醒めた。かつての三成も頭を剃るならば心を剃れ、という状態であった。その動揺する三成を、今の三成と同じようにふたりとも見ていたのだろう。逆転した立場になってみると、いかにあの日の自分が拙く、頭でっかちにものを考えていたのかが明瞭に見え、そして何事にも揺るがない自分を確立できた。

「左近、俺はお前に言いたいことがあったのだ」
「なんですか?」

 座をさますように、三成は話題を切り出した。

「今まで、どれだけのひとの命を奪ったか」
「……さあ、数え切れませんな。なにしろ戦場に身を置いていたものですから」
「ひとは……ひとりだ。ひとりぶんの力しかない」

 左近は三成の言わんとしていることが察せず、探る目で三成の背中を見ている。

「戦乱の世ではそんなこと意識しなかったかもしれぬ。皆、覚悟の上だったのだろう。しかし今はどうだ。泰平の世だ。そのなかでひとの命をうばうということは……とても重くのしかかる」

 雨脚が強くなり、家内がいっそう暗くなる。三成の足はいつの間にかずぶ濡れで、寒さすら感じるほどだった。

「ひとりで立てなくなるほどの命を背負うなど、どちらにとっても不毛ではないだろうか。なぜ、あえて自虐する。ひとの命を奪うということはそのひとを絶つということだけではなく、自分をも攻撃しているのだ。なぜだ。左近、お前は、立てているのか?」
「……わかりませんな」
「ひとの生は美しい。刹那に燃え盛る。お前にその、憎しみに彩られた生を歩むことを、誰も強要していない。お前の主とて、そう望んではいるまい。ただ、自由に生きればいいのではないのか。東の世に囚われず、好きなように、好きなことをして、ひとを殺めずに」
「自由にしてるさ。その結果が」
「自分を偽るのは、楽しいのか?」

 三成は振り返り、左近を見た。左近の表情は固く、困惑を滲ませている。

「お前はいつも自分を偽っているのではないか? 左近、別に俺に本心をさらけ出せだとか、そんなおこがましいことを言っているわけではない。ただ、そうやって自分を偽って、楽しいのか?」

 無垢な眼差しで射抜かれた左近はたちまち言葉を失い、空気を呑む。三成の眼差しや雰囲気には鬼気迫るものがあり、まるでこれが最終宣告だとでも言わんばかりに、間違いを言えば呑まれてしまう幻覚を、左近は見た。

「……楽しいわけ、ない。確かに、俺は東西に囚われた亡者だ。そうすることで自分の義を果たそうとして、結果、義を見失った、ただのまぬけだ」
「ひととの繋がりも、楽しいものだ。ひとがおらねばひとはひとではなくなってしまう。左近、殺めることではなく、触れ合ってみれば、楽しいはずだ」

 自身の体験もすでに遠い過去のもので、確証のない言葉だったが全てのひとを納得させてしまうような、雄々しい言葉だった。
 また三成は空を眺める。重たい雲は去り、少し白い雲が代わりに空を支配している。それでも雨は止まない。

「あんたは」左近が口を開いた。「立てているんですか? 歩けるのですか?」
「知らぬ。まあ、歩いていることに変わりはない」

 今度は三成の声が硬くなる番だった。

「数え切れないほどのひとの生を喰んで、あんたは、ひとりで立てるのか」
「俺は昔からひとりだ」
「あんたは、ひとと触れ合いたいのではないか。けれど怖い。自分の領域にひとが入ってくることが怖い。だから、突き放すように言うし、必要以上に馴れ合えない」
「違う。俺は最初からひとりで、これからもひとりで、ただ生き続けるのみ」

 三成の強がりはなんの効果もなかった。左近は強く確信した声で続ける。

「あんたは、死にたいんだ。だが、それ以上に、生きてひとと触れ合いたい」
「違う」
「自分を偽っているのは、あんたも一緒だ」
「違う、違う、違う、違う違う違う……」

 唇を噛み締め、左近の言葉を否定し続ける。それはもはや言葉ではなく、ただの羅列と成り果てていた。
 左近は立ち上がり、縁側に向かう。足音に三成は驚き、体を硬直させる。

「泣いているのに?」
「泣いていない」

 左近は三成の腕を掴み、体の向きを自分と合わせる。三成は必死に顔をそらし、左近に表情を見られまいとした。

「泣いている」
「泣いていない」
「泣いている」
「泣いていない」
「意地を張ったって、しかたないんですよ。今日は雨も強いし」
「……気障なやつだ」

 自分の力ではどうしようもないことに、自分の無力さに、あまりの不公平さに、それを享受するしかない自分に三成は肩を震わせた。









06/24