「なにをどうしてそうなったのかな、お兄さんに話してごらんなさい」
「俺はひとりっ子だ」

 座布団に座って、前かがみに話を聞こうという体勢を作った兼続に、三成はそっけなく言った。
 そのとき、あごについていた砂利に気づき、あわてて掃い落とした。なぜ兼続が言わなかったのか、少し非難がましい視線で兼続を見る。しかし兼続の興味は三成のあごには無かった。

「こんな大きな弟など、大変だな。しかし安心しろ。お前をばかにするような輩は私がとっちめてやろう」
「……」

 すっかり話す意欲が削がれた三成は、唇をとがらせ黙り込んでしまった。机の上でだるまが揺れている。左右でつりあっていない目をみて、どうにもしようがない、苛立ちが湧き上がってきた。
 三成はまだ、絶望の淵から這い上がることができずにいた。自己嫌悪と逃避、自己の糾弾にと、まだ忙しいのだ。

「……いや、冗談だ。すまない」
「ふん」

 苦笑いを浮かべ、ゆるく頭を垂れた兼続に、三成は鼻で返事をした。
 兼続は正座を崩し、本格的に三成と向き合った。自然と緊張が走ったのか、三成は背筋をぴんと伸ばした。

「で」
「いや、俺にもわからぬ。勘違いしないで聞いてほしいのだが。俺は決して、兼続のことが嫌いだ、などと思っているわけではない」
「ああ」

 兼続がうなずいたのを確認して、三成は頭のなかを整理しようとする。しかし頭のなかは、さっきよりもひどく乱雑で、手をつけようとするとまるで反抗する、手負いのけもののようだった。

「俺は、ひとに戻りたい」

 その弱々しい発言に、兼続はあまり驚いた様子も見せずに、そして身じろぎもせずに受け止めた。

「兼続も、たしかに好きだ。しかしまた、左近のことも好きなのだ。左近は人間だ。もうすぐ、死んでしまうのだ。俺は、一緒に生きてみたい、と思う。決して兼続と一緒に生きることが嫌だと言っているわけではない。左近は確かに会ったばかりの人間だが、それでも、なぜか俺は、左近にとてつもない興味を抱いているのだ。ばかだと思うだろう。俺は確かに、ひとには戻れぬというのに」
「……しかし、ひとを愛する心は美しい」
「そうだ、美しいだけだ。美談にしかすぎない。俺はひとを愛する自分に酔っているのか?」
「三成、今、論点を置くのべきはそこか?」
「違うな。確かにそれもあるに違いないが、本当に兼続が聞きたいのはそれではない。俺の義に関してだ。俺の義は、定まってまもなく揺らいでしまった。正直、自分がこんなにもくだらない生き物だとは思わなかった」
「そう言うな」
「いや」三成はかぶりを振った。「まさか自分がこんなに不甲斐ないとは思っていなかった。いままで、深く考えずに、自らの死を願ってひとを喰んできた報いに違いない。俺の義とは、ひとを喰まず、ただただひとを見守ることとしたはずだった。しかし、そもそもそれが間違いだったのだ」
「間違い」
「ああ。義というものは、これにしよう、と言葉を選ぶものではなかった」

 少しの沈黙に支配された。

「俺はふと、思ってしまったのだ。左近を、蒐集家としてしまえば、と。恐ろしかった。俺のなかにまた、別の俺がいるようだった。しかし、左近にこの不毛な生を背負わせたくは無い。けれど、その誘惑はいまだに俺の目前に尾を揺らしている」

 暮れてしまった空を見上げる。四角く切り取られた空は深く、星が輝いていた。夜の冷えた空気が三成を震わせる。
 ひたすらに兼続は三成の言葉に耳を傾けていた。ひとつひとつ吟味するように真剣に聞いている様子に、三成は少しの嬉しさを覚えた。そして同時に、申し訳ないような、劣等めいた感情も覚える。

「左近を遊戯蒐集家などとばかげたものを背負わせたくはない。しかし、左近と共に生きてみたい。だが、俺は不老だ。共に生きるなど、幻想の物語にすぎない」
「お前は、左近がお前を恐れると思っているのか」
「ああ。そして、恐れられることを恐れている。ひどく、弱いな」
「それが感情だ。当然だ」
「兼続、お前は疑問に思ったりしないか?」

 三成は出し抜けに問いかけた。
 明確でない問いかけを受けた兼続は、三成の真意を探ろうとしているのか、訝しそうに三成の表情をうかがっている。

「生きることに対してだよ。なぜ蒐集家はこのような、不当な生を受けなければならない」
「価値観の相違だな。私はこれを好機としている。自らの義を貫き通す、これ以上にないすばらしい生だ」
「お前はそういう道があるからいい。しかし俺はどうだ。お前の言う義は、すべてがあるがままの姿で生を全うするということだ。俺の蒐集はまるまるひとを消滅させてしまうではないか。どう転んでも、お前の言う不義だ」
「ああ、そうだ。しかし私の義を三成に押し付ける形になっていたのなら、申し訳ないと思う。お前はお前の義を全うするのだ」
「その義が霞んでいるというのに?」

 三成は皮肉げに笑う。ただ口角をあげただけで、目じりは寸分も動きを見せない。

「三成、お前の問題を私に押し付けるのはお門違いだろう」
「義を俺に押し付けたのはお前だ」
「押し付けたなど、そんなことは」
「あ、いや、すまない。口がすぎた」

 あわてて訂正するが、すでに出てしまった言葉は取り消せない。三成はまた、自分をもみくちゃにしてやりたいような、自虐的な気持ちに陥る。しかし兼続はそこまで気に障った様子ではないようだった。三成は息をついた。
 売り言葉に買い言葉というように、思わず口をついて出た言葉を、三成は改めて悔いた。

「いいか、三成。お前は内へ内への力が強すぎる。自己を追求することは確かに大切だ。しかし、矛盾などひとであるかぎり、叩けばちりのように後から後から出てくるのだ。もっとその力を、別の方向へ持っていけ。それでは、内向的な、自己満足の域を出ない」
「……ああ、わかった。明日、もう一度左近のもとへ行ってみようと思う」
「そうだ。そこで、自分の本心を見つけてこい。私が見る限り、三成、お前は自分の本心をごてごてに塗りたくって、なにかの色に仕立て上げようとしているように見える……。しかし、いつかはそれもはがれ落ちて、本心が剥き出しになる。白はずっと、白のままだ。何色でうわべを塗ろうとな。素直になれ」
「覚えておく」

 鬱蒼とした思考に嫌気がさした。
 兼続は三成を後押しするように肩を二度三度たたき、隣の寝室へ引っ込んでしまった。取り残された三成はまた、思考の海へ浸かってゆく。

(自分の心に素直に、か。俺はどうしたいのだろうか。自分がわからぬ。ひとと共に生きていきたいなどと言っている俺に、ひとの世界に介入することなく、ひとを見守り続けることができるのだろうか。そもそも、俺はこんなにも孤独に恐怖するやつだったのか。新しい発見だ。どうして今までひとりでも平気だったのだろう。あのときは、自らの消滅が一番の目的であった。仮に、だ。遊戯蒐集家の消滅もまた、誰の記憶にも残らないとしたら、俺がこれからもひとを喰み、消滅したところで兼続の記憶には残らないのだ。左近の記憶にも。俺という存在の完全な消滅だ。だが、それはあまりに、空しいものだ)

 だるまの額をつつき、揺らしてみる。はじめは大雑把に揺れていただるまは、次第に細かく、繊細に左右に揺れ、やがて静止する。同じことをくり返し、三成はため息をついた。

(だるまだ、俺は)

 一段とけたたましい蝉の叫びに、三成は肩を揺らした。弱っている三成を叱咤するような鋭い鳴き声に、背中を押されるような幻想を感じる。同時に、あの蝉は三成がこの家にやってきたころからずっといる蝉で、三成が何度も似たような問答を内でくり返していることを知っていて、三成をあざ笑っているようにも聞こえた。
 木の軋む音を聞きながら縁側に立つ。深く、自分が立っているかどうかすらもわからなくなる闇の中で蝉は鳴いている。よくよく耳を澄ましてみれば、蝉の華やかな声にかき消されがちだが、涼やかで些細な声も混ざっていることに気づく。
 三成は肩にかかっている紅梅の羽織に手を伸ばした。体温にすっかりと暖かくなっていて、それが、兼続の手の暖かさとよく似ていた。

(ひとの、暖かさ。俺の、本心。義、愛)

 居間に引き返した三成は、だるまを抱きかかえ横になり、目を閉じた。

(俺の義は受け売りのものだった。偽物だ。俺の義は、やはり、ひとを――)









06/24