てくてく、という擬音が似合うように歩くそのひと――三成は前方に建物を見つけた。どうやら町のようで、三成は立ち寄ってみようとさらにてくてくと歩いた。
ひとがよく行き交うのか、小綺麗な道であることに納得し手頃な大きさの石を蹴り進む。こつんと小気味よい音がする。
直線の道だったので、一際強く石を蹴り、小走りで追い掛ける。それを何度かくり返しているうちに、町はすぐ目の前に迫ってきていた。
なにげなく空を見上げた三成は、町があってよかったと安心した。灰色の雲が低く立ち込め、太陽を独り占めしている。
石を横に蹴り、町に立ち入った。心の中で、傘が手に入ればいい、と半ば呪文のように反復する。
町に入ってしばらくは民家が立ち並び、特別目を引かれるものはなかったが、どんどんとひとが増え、つられてさまざまな商店が姿を現しはじめる。
三成はしげしげと看板を見つめてはうろうろした。呉服屋や小間物屋はとくに興味を引いた。しかし、彩り豊かな品々を見ているだけで満足であり、買うつもりは端から無かった。
三成は食に頓着が無い。ひとの食べるものを食べずとも生きる上になんら支障は無く、飢餓感を感じないせいか、妙な満腹感に吐き気すら覚えたこともあった。それを踏まえて、三成は人間の食べ物にはまったく手をつけなかった。それよりも、食用とされていないそこらへんに生えている草や、あやしげな木の実などを口にしてみることのほうがずっと楽しく感じたのものだった。
道行く人々は雨の気配にいそいそと建物に入ったり、傘を用意したりしていた。
三成は考えた。
例えば、この道行く人々を全て喰んでしまえばどうなるのだろうか、と。まだそれでも足りないのだろうか、太陽は見えず、洗われない気分を引きずりながら三成は町を歩いて回った。
茶屋でお茶を貰ってみたり、呉服屋で試着させてもらったりと充実とした町を堪能し、満足する。町のせわしい雰囲気がどうにも好きになれなかったが、たまにならいいものだ、とひとりごちる。
「雨、か」
いよいよ雨が降ってきたが、三成は傘を持っているわけでもなく、羽織も持っていない。
好きなように雨に打たせながら、三成はいくぶんか情緒的な気持ちになった。
そのまま道を歩けば、ひとに奇異な視線で見られる。だんだんと人々の好奇の視線を疎ましく思いはじめた三成は、人の少ない路地裏に入っていった。
雨はしだいに強くなり、三成の髪から雫が滴り落ち、着ているものは水を吸って随分と重たくなっていた。それすらも三成は楽しむ材料にした。
空を仰ぎ、口をあけて雨を飲んでみたり、水たまりに写る自分の顔を覗き込む。雨が水たまりを打ちつけるたびに三成の顔は波紋を描き、歪む。水たまりを指でつつき、自分の顔の造形を崩して楽しむ。
路地裏には、三成よりも先に猫がそこを陣取っていた。薄茶色の薄汚い猫で、野良猫であることはすぐに見てとれる。猫は無垢な目で三成を見つめ、動く気配を見せない。猫すらも雨ざらしの三成を不思議な目で見ているように感じられた。
被害妄想もいいところだ、と三成はわらった。
それからじりじりとにじり寄り、猫の顔を覗き込んだ。切れ長の瞳に警戒をにじませ、口元を引きつらせ、ささやかな威嚇をしてみせる。やがて辛抱たまらなくなったのか、猫は鳴き声をあげながら素早く発破をかけ、どこかへ走り去ってしまった。残された三成は引っかかれた手の甲を見て、首をかしげた。
(なぜ、引っ掻かれたんだ)
どうにも三成には他の存在の心情を考えること、つまり想像力が欠如していた。これは他者と共存していく上では致命的である。
なぜ猫に引っ掻かれたのか、三成はあごを撫でながら考えていたがすぐに中断せざるをえなくなった。落ち着きのない乱暴な足音が周囲を支配した。水音混じりのそれはなかなか風情のある音だったが、少し乱暴すぎたため、苛立ちを覚える。
足音はさらに近づき、その主は三成のいる路地裏に滑り込むようにして現れた。
三成はまじまじと現れたそのひと――男を見つめる。思わず見上げてしまうほどの巨体、何を食べているのか突き出た腹、思わず異国の人間かと思ってしまうような浅黒い肌に、奇抜な格好。
(これは俺とも、人間とも別の次元の生き物だ)
眉間に皺を寄せながらそう思った。三成の美意識はともかく他人に対し辛辣である。それを言うだけ、三成の造形は整っているものであるからしかたのないことなのかもしれない。
「お、先客がいたのか」
「なんだ、貴様は」
男の独り言にも取れたが、どうにも自分に対して語りかけているようだ。そう解釈し、無愛想に男に問いかけた。
改めてまじかに男を見上げた三成は、男の横幅の大きさに思わず瞠目した。
三成の十倍以上はあろうか腰周りに、豪快に笑う大きな口、愛嬌のあるつぶらな目。不思議とつりあいが取れているように見え、三成はどういうことかと考える。しかし、やはり三成の美意識では許せなかったようだ。すぐに視界にいれまいと視線をそらした。
「俺は天下の大泥棒、ア、石川五右……」
「泥棒?」
男の台詞を遮り、訝しげに問いかけた。瞬時に三成の頭の中で問答が始まった。
ひとを喰む基準を、三成は自分で定めている。
感情が支配されることから穏やかな人間を喰みたいとも思ってはいるが、やはり自分の気に入らない人間が優先される。自然と粗野な人間や、乱暴な人間が多くなる。その現実に納得できなかったが、どうにも感情が先走るものである。
「……おいおい、人が名乗ってるってのに遮るのは野暮ってもんだろ?」
「そうか、泥棒か。泥棒なのか」
決して会話にはなっていなかったが、三成は一人納得してみせる。しかし男は納得していない様子で三成に食って掛かろうと、一歩踏み出した。その瞬間、三成が右手を差し出し、そして男の姿は跡形も無く消えてしまった。
視界を遮る大きな存在が無くなり、すっきりとした気持ちを覚えた。
「醜い姿で近寄るな」
既にそこには男は存在していなかったが、そう言い捨てた。
男が持っていたと思われる小さな小包がそこに落ちていた。若草色の小包は三成の手に乗るほどの大きさだった。雨に濡れた土に浸ったそれは水を吸った挙句、泥だらけになっていた。壁に軽くたたきつけ泥をはらってから、ふと、中身は一体なんだろうか。と、ささやかな好奇心に突き動かされ結び目を解こうと手をかけた。
そのとき、またも先ほどと同じように水音まじりの乱暴な足音が響いた。その足音は先ほどよりもまだ軽々しさがあったから、次は小柄な人間なのだろう。と、勝手に脳内で人物像を作り上げた。
(今度はスリかなにかで、禿げ上がって下腹部が異様に突き出ている男だ。色白で目はつりあがった狐目、鼻は丸い。口は小さいが前歯がやたら大きい貧相な顔つきだ)
自分の想像に気持ち悪くなり、包みを開けようとする手を止めた。
足音はさらに近づき、唐突に途絶えた。訝しく思い顔を上げ、足音の主を探す。しかし足音のしていた方向には誰もおらず、ただ雨が降りしきっているだけであった。
(自分の想像と実物がどれほど食い違っているか、密かに楽しみにしていたのだが、ここまで来なかったのならそれはしょうがない。しかし、どこへ消えたのだ。路地は一本道だ。左右の建物には窓は無い。突然姿を消すのは難しいはずだ)
三成は気味の悪さを覚え、ため息をついた。
「こらっ、ひと様のものを勝手に見ちゃだめでしょっ」
「っ!」
三成がため息をついたのとほぼ同時に、頭にえもしれぬ衝撃が走った。それがなかなか重たいものが頭にぶつかったようで、三成はしばらく考えることができなかった。泥だらけの地面に突っ伏した三成は、ゆらゆらと揺らめく思考でなにが自分の頭にぶつかったのか、考えた。
地面に伏す三成の視界に、誰か、自分以外の誰かの足が目の前にあることに気づく。妙に細い足首に見るからにやわらかそうなふくらはぎで、すぐに女性であることを悟った。さらに三成は考えた。
(先ほどの足音の主はこの女で、どういう方法かを使い、空中に浮き上がり、俺の頭を膝で蹴ったのだ。全体重をかけて。そして俺は今、ほんの一瞬程度でさまざまなことを考えている。なぜこの女に殴られたか、だとか、この女はどうやって俺よりも高く飛び上がったのだ、だとか。雨が降って、泥だらけの地面に顔から倒れこむなど言語道断だ。水に濡れるのは嫌いではない。しかし泥遊びは川辺のみなら許せることだ。ここはどこだ。川などないではないか。頭が痛い。これは、こぶでも出来るのではないだろうか。頭を冷やすものがあれば……、ああ、雨が降っていた。自然の力、自然の治癒。そろそろ意識がどこか遠くへ行ってしまいそうだ。目が覚めてもここに倒れ伏したままだったならば、俺は、この女を捜すために千里でも歩こう。そして、喰んでくれよう)
刹那的に三成はこう考え、意識を深いところへ落としていった。
「ありゃまあ、気を失ったのかい? 軟弱な子だねえ」
06/22