「それ、着ていただいてるんですね。こんなに暑いっていうのに」
左近の言葉がすぐにわかった三成は、少し気まずい気持ちで紅梅の羽織をひと撫でした。
なんだか左近にもらったものを後生大事にしているようで、妙な意地が顔を見せる。しかしすぐにそれを、もぐら叩きの要領で心の奥に突っ返した。
「しかし汗ひとつかかずにそうも着こなしていただけると、左近も嬉しいかぎりです」
「汗? ああ、そういえば最近暑いな。しかし日光が肌に直接あたるよりも、こういうものを羽織るほうが涼しくは感じないか」
「それもそうですね」
涼しげな顔で、用意された冷えた水を飲む。水がのどを通るのが生々しく感じられた。
「今年の夏は抜きん出て暑いな」
「ああ、井戸水が枯れなきゃいいが」
不思議なことに三成には、左近の心配が浮世絵のようなものに聞こえた。確かに今年は日の照りが酷いし、井戸水の心配は深刻なものになる。
だが、まるで畑に一輪佇む真紅の花とか、人通りの多い道にある寂れた茶屋だとか、今のご時世に牛車に乗るような非現実的なもの、場にそぐわないものを連想させる物言いだった。
実感がちっともない。まさにその一言につきる。
しかし確信もない、ただの考えすぎだと三成はあえて口にしないことにした。
この話題ではとうてい話は膨らまないだろう、三成は視線をわきに滑らせる。虫がわいていそうな畳を越え、縁側にたどり着く。縁側の向こうには荒涼とした畑が広がっていた。
「あれは、畑か?」縁側に立ち、畑を凝視する。「ずいぶん荒れているようだが。畑作はやめたのか?」
左近は立ち上がらず、ちゃぶ台に腕をついて畑を見る。
「いや、俺は最近こっちに来たばっかりなんですよ。ひとりでこれだけ荒れた畑を生き返らせるのは、骨が折れるのでね。……長居するつもりでもないですし」
「最近、というと」
「ひと月」人差し指を立てる。
「なら俺のほうが新参者だな。おれはまだ半月もいない」
「そりゃわかりますよ。あなたみたいなべっぴんさん、俺が気付かないわけないでしょう」
「俺は男だ。べっぴんなはずないだろう」
三成は唇をとがらせ、縁側に座り込んだ。畑を見渡す。
「そうですかい?」
「そうだ。俺は女のように、美しいとかそういうものではない。かっこいいのだ」
三成の発言に左近は吹き出し、大口を開けて笑い出した。なにを笑われているのか三成にはさっぱりわからなかった。ぽかんとして左近を見つめるが、左近はもうしばらく会話することが不可能らしい。
「なにがおかしい」
明らかに自分の発言のせいで笑っているが、自分にはさっぱり理由がわからない。それでも笑い続ける左近に腹が立ってきて、畑を眺め、不遜に言った。
唐突に思い出す。三成の顔をきれいだ、と言った妻のことを。
気難しい性格の三成には、なかなか嫁ができなかった。本人はさして気にしていなかったのだが両親が深く心配していた。ようやく嫁をもらった三成を見届けて安心したのか、両親は続けざまに病で死んだ。
妻は三成の顔が気に入っていたのか、よくそのことを口にした。自分の顔に興味などなかった三成は、妻の言葉の大半を聞き流していた。後に、妻は変わらぬ三成の容姿に恐怖を見せたが。
ようやく笑いがおさまったのか、左近は立ち上がり、三成の隣に腰掛けた。
「いやあ、すみません。あまりにおかしくて。こんなに笑ったのは久しぶりです」
「意味がわからぬ。なにがそんなにおかしい。俺は笑わせるつもりなどなかったぞ」
左近をちらりとも見ずに答える。気を悪くした様子も見せず、左近はまた小さく笑った。
「大真面目に言ってるのがまたおもしろいんですよ」
「変な男だ」
足をふらふらと揺らし、三成は畑を見ている。鳥の高らかな鳴き声が涼しさを運んでくる。心地よかった。
蝉の鳴き声が雑木林を通り抜けたときよりも緩やかになっている。木が少ないからだろうか、と適当な理由を探したが、わからなかった。
「なにか食べますか? ……と言っても、この様です。たいしたものはありませんが」
「いや、平気だ。それに昼時でもないだろう」
立ち上がりかけた左近は、また座りなおす。それもそうだという独り言が耳に届いた。
どういうわけか、三成はこの左近という男に、自分のことを打ち明けたい衝動に駆られた。自分が遊戯蒐集家であるということや、今までにたくさんの遊戯を喰んだということ、そして左近や兼続の話を聞いて、考えて、もうひとは喰まずに、ずっとひとのことを見守っていこうと決めたことも。三成にはそれしか話題が無かった。長く生きたというのに、話題が乏しい。三成の知っていることは、とうてい左近が知らないような昔の話ばかりで、決してかみ合わないだろう。
すぐにそのばかげた思考を振り払った。話したところでなにも起きない。もしかしたら恐れられ、もう二度と顔を合わせることもなくなるかもしれない。しかし、不思議と、左近ならそうと知っても慌てふためかないような気がした。
「三成さんは、どういった職の方で?」
「昔は、百姓だったかな。それからは浮浪の暮らしだ」
「その細腕で畑作を? 想像できませんねえ」
「ずいぶん昔の話だ。お前はどうなのだ。こんな昼間にふらついて」
そんな筋合いはないが、三成は小さな嫌味を言った。さっきほんの少しの落胆を味わったかわいらしい腹いせのようなつもりだった。
「ああ、いやあ、すみません」頭をかく。「まあ俺も似たようなもので……、ふらりとね、浮浪の旅ですよ」
煮え切らない語調に、三成はむず痒くなった。なぜ浮浪の旅をしているのか、なにを謝っているのか、どうして苦笑いを浮かべているのか。そう問い返したかったが、自分も似たようなことを言ったのだ、と言葉を飲み込んだ。
「どちらに行かれましたか?」
「さあ……、近江から美濃、尾張、伊勢、大和、紀伊、山城、播磨……少し遠出もしたかな。信濃、甲斐、上総、ああ、出羽にも行った。次に行くとしたら、備前、美作、最後には薩摩かもしれぬ」
「これまた、全国行脚も達成できそうですなあ。しかしいったいどうやって? どう見たってお若いし、そんな芸当、普通の百姓には」
「時間は湯水のようにある。お前とて、いい年してふらふらしているらしいではないか」
「痛いところをつきますねえ」
のらりくらりとお互いに質問をかわしあう。三成はじれったさに頭をかきむしりたくなった。必死に腕を理性で抑えて、はたと気付く。
(俺は、そんなにこの男のことを知りたいのか)
予想外に左近に興味を持っていることに驚いた。兼続に関してなら、蒐集家同士ということで理由付けられる。しかし、左近にはそんな特別な理由など存在していなかった。ひとりの人間として、深い興味をそそられているのだ。
「しかしあてどもなく流浪しているわりには、随分と金回りがいいようだが」
そう口走ってから、三成はひどく後悔した。紅梅の羽織をゆるく握る。
(またいらぬ憎まれ口をたたいた)
今まで兼続を相手にしていたからなりを潜めていたのだが、やはりついて出る言葉は可愛げのないものだった。左近相手に調子が狂っているのではない、兼続相手に調子が狂っているのだ。
「ははっ、まあ、道すがら用事を頼まれたりするもんですよ」
「そうなのか?」
華奢な体躯の三成とは対称的に、左近は筋骨隆々としたたくましい体躯を持っていた。滲み出る雰囲気も少し常人とはかけ離れている。
初めて左近と会ったときに感じた、胸が圧迫されるような奇妙な威圧感を思い出す。今、目の前にいる左近は最初の心象とは打って変わって、のほほんとした、山のふもとを流れる小川のような穏やかな印象ではあるが。
こういう男を見込んで、用心棒やそういうものを頼む人間でもいるのか、とひとつの予想を立てた。あながち外れていなさそうな自分の想像に三成は満足した。
「ここには、どれほどいる予定なのだ」
「そうですねえ、長くてひと月くらいか……。まあ、短くても次の赤口かその次の赤口くらいまでは」
「赤口? 待て、確か今日は……先負だったから、次の赤口が三日後、その次が……九日後か。六曜などややこしいものを使うな」
「ああ、すみません、つい癖で」
ますます変な男だという思いを強くした。
06/24