三成はさくさくと生い茂る雑草を踏みしめ、お決まりの羽織を羽織って雑木林のなかを無言で歩いていた。

 今日も兼続は蒐集家としての仕事ということで昼から家を空けている。
 前もって、今日は左近の家を探しに行く、と言ってあるから、家にひとりでいることの変な心配はされないだろう。そう考えていた三成だったが、今度は「暗くなるまえに帰ってこい」だとか「暗くなってしまったら、送ってもらうとするか、それがだめならば私が迎えに行く」などと心配し始めた。そんな便利な連絡手段もないのだから、三成が帰ろうしたときに左近の家に兼続がやってくる、などという良い按配ができるわけもない。それでも兼続は真剣だった。
 兼続の親心のような、近所の子どもを見守るおじさんのような、妙な保護欲に三成はたまに呆れてしまう。
 家の掃除は毎朝兼続がするし、風呂の用意を三成が始めれば、必ず兼続も一緒になって始める。髪に寝癖がついているだとか、羽織にしわがよっているから伸ばしておいた、着物を洗濯するから着替えろ、布団を敷いておいたから今日こそは寝床で寝ろ、体を拭いてやろうか、挙句の果てには着替えまで手伝おうとしてくる。
 下心なんてものはちっとも感じないし、そんなそぶりもまったく見せない。つまり、兼続は極度の世話焼きなのだ。

(そういえば昨日、俺が女房だとかなんだとか言ったが、兼続のほうがよっぽど女房ではないか)

 嬉しくないわけではないが、やはり過剰になると鬱陶しさも感じ始める。それも、今までひとと接することの少なかった三成だ。これほどに世話を焼かれるというのもなんだか気持ちが悪い。生まれたばかりのこどもをあやす母親や、雛に口移しで餌を与える親鳥のようだと感じた。
 そしてすることもなく、家のなかを隅から隅まで見て回ったり、庭に出てみたり、畳の目を数えていたりして数日を過ごしてきた。
 そこでようやく左近の家へ行こうと思い立ったのだ。教えてもらったからとはいえ、明日明後日とすぐに会いに行くのも、なんだか鬱陶しがられそうだと思い押し込めていたのだが、ようやく、そろそろ行ってもいいか、という気持ちになった。
 家を出るときも、忘れ物は無いかだとか、日差しが強いからなるべく日陰を歩けだとか、変なひとに絡まれたらすぐに走れだとか、あまり相手の迷惑になるほど長居するなとか、ともかく覚えきれないほど言い聞かされた。そのひとつひとつにいちいち頷き、律儀に返事をする。そうでもしなければ、兼続はまた最初からそれを、まるで暗唱するように始めるのだ。
 けれど、少々口うるさいとは感じても兼続のことは嫌いではなかったし、もうしばらくはあの家へ厄介になるつもりである。
 初めて自分を友だと公言した男である。義や不義と説いたり、それは愛だと歯の浮くようなことも真顔で言う兼続が、おもしろかった。
 それに、と、三成は何気なしに空を仰ぐ。

 若い青の葉は太陽によって黒い影となり、視界を狭める。

 三成は、兼続も自分と同じような気持ちを抱いているのかもしれない、と考えた。
 三成の生きた二百年という途方もない年数に比べれば、兼続の三十年は短い。しかし、周囲は確かに老いてゆくのに自分ばかり老いずに、その若々しい青年の姿のまま生き続けるということは変わらない。一カ所に定住することもできないし、親しくなったひとともすぐに別れがやってくる。自然と、ひととのつながりというものは希薄になってゆく。兼続のように、自らの義のためにとは言えど、胸には常に、孤独、寂漠、疎外、憤り、が、つたのようにむしり取ってもむしり取っても執拗に絡み付く。ほうっておけば、いつしかその寂念に囚われ、渦を巻きやがて呑まれていく。
 三成がその典型であった。呑まれた三成は、愛していようと世界に介入しようとはしなかった。むしろ、うつろいゆく人々に、時代に嫌悪すら抱き、自らを劇薬とすることで、守ろうとした。それが事実上、――本腰をいれた――初めての介入だ。
 しかし、兼続は違った。もともと三成の愛した世界を知らない兼続は今の人々を愛している。しかも、ひとの根底にある美しさ、儚さ、愛しさを語った。それでも、兼続は特別な友人がいるようではなかった。

(兼続も、侘しさを感じていたのだろう。三十年であろうと、若い姿のままひとり生き続けてきて、これからも延々とひとり生き続けるという、恐ろしさにも)

 空を、黒く染まった鳥が横断する。
 とっくに雑木林を抜け、けもの道のように心許なかった道が砂利道に変わっていた。
 左近の言った通り、まっすぐと道が続いた先に、指先ほどの大きさの家があった。
 兼続の注意に存外時間がかかったことや、考え事をしながらけもの道さながらの雑木林を抜けたせいか、まだ太陽が上りきらないうちに家を出たというのにもう太陽はほんの少し、傾きかけていた。
 自然と羽織をにぎりしめ、軽い足取りで一軒の家を目指す。三成は気付かなかったが、もはや早足に近かった。

(夢にまで出てきたのだ。これは、とことんかまってもらうしかない)

 散々、ひとは変わった、愛すべき価値はなくなったと言っていたが、こうも思い悩んだことが覆されることは案外珍しいことではなかった。男心は秋の空、ということだ。簡単に覆すにしては少し難しいものであるが、三成が左近に興味を持って、こうして会うために早足で家を目指している限り、変わらないことだ。
 それに、左近には愛した世界の面影があった。もはや過去も現在も分けることもないと考えた三成だが、やはりその温もりは愛しかった。
 ようやく拳ほどの大きさになった家を見て、少し歩調を緩める。唐突にひとつの懸念が生まれた。用事が無ければたいていは家にいるとは言っていたが、しかし今日に用事が無いとは限らない。もし今日、たまたま用事があり、いなければまったくの無駄骨となる。もちろん、この気持ちの高ぶりもとことん空回りとなる。
 しかし、すぐに思い直してまた足を速めた。

(なに。いなければまた出直すだけのこと)

 戸を前にして、大きく息を吸い、吐き出した。戸を叩くためにゆるい拳を作り、腕を上げる。こんこん、と湿った音が響いた。
 静寂が走る。

 三成にも、蒐集家として生きる前にひととして生きた時がわずかながらにあった。それは数えて二十三という、普通に生きるひとと比べても、短いものだったが。あえて遊戯蒐集家となったいきさつは避け、その後の話を思い出す。
 まだ遊戯蒐集家となったばかりのころ、三成は蒐集家というものの実感がわかずひとであったときの職にそのまま就いていた。職といっても三成の家は百姓で、ただ畑の様子を見たり、田の水を枯らさないように、と、ひたすらに単調なことの繰り返しであった。もう、隣近所だったかどこであったか、むしろ顔や名前すら覚えていないが、嫁をもらってもいた。そして、子も、いたはずだ。
 蒐集家となって数年の月日が過ぎたある日、農具をしまいいつもどおりに家に戻ると、妻と子がすっかりと姿を消していた。そのとき、数日前に妻に「私はこうして老いてゆくというのに、あなたはなぜ若い姿のままなのか。物の怪に憑かれているのではないか」と、しぶとく食い下がられていたことを思い出した。つまり、妻は三成を恐れ、子と共にどこか、遠くへ去ってしまったのだ。
 そのときの静寂と、ひっそりとした家の様子、薄暗い家のなかの様子が妙に似ていて、やりきれないような、笑いたくなるような、なんともおかしな気持ちを覚えた。

(ばかばかしい。帰るか)

 落胆とも、平静とも、動揺とも言えない気持ちのまま、三成は踵を返した。

「おや、三成さん。いらっしゃったのですか」
「む」

 真正面に立っていた男――左近に、頭の中は花火が弾けたように真っ白になった。
 左近は不思議そうに三成の脇を抜け、がらりと戸を引いた。

「汚いところですが、それでもよかったらどうぞ」
「え」
「あれ、遊びにいらしたのでは?」
「あ、そう、か。失礼する」
「どうぞ」

 左近に促され、玄関に立ち入る。兼続の家と似たようなものでお世辞にも裕福とは言えない、小ぢんまりとして狭い家だった。もっとも、ひとりで住むには十分だが。
 それでも、普段掃除をあまりしていないのか日用品がそこらに乱雑に散らかっている。部屋の隅からは、草が生えている始末だ。これは、掃除をしていないというよりも、放置された空き家に忍び込んだ、といったほうが納得できる。

「……ここは」
「ああ、すみません。最近来たばっかりなもので。これでも片付いたほうなんですよ」
(兼続をここへつれてきて、掃除でもさせてやろうか)

 とっさにそう思った三成だったが、兼続の家も家で、たいして片付いているわけではないと思いなおす。それは、比べればこの左近の家のほうがひどい惨状だが、兼続の家とて決してきれいとは言えない。もちろん、それは長居するつもりの無いという考えの表れであろうが。
 左近に勧められた座布団に座る。しめっているような、妙な違和感で足元がむずがゆくなった。









06/24