「……ぬ?」

 重たいまぶたを必死に持ち上げようと、眉をつりあげる。それでも三成の目は半目であった。狭い視界で周りを見回す。机に突っ伏す形で寝ていたせいか、首周りや肩、肘が痛い。肩からずり落ちた掛け物を見て、三成はようやく状況を把握した。

「ああ、ようやく起きたのか」

 縁側からひょっこりと顔を出す兼続の声が耳に入ってくる。まだ重いまぶたを懸命に持ち上げ、兼続の姿を視認すると、また机に突っ伏して眠る体勢に入る。
 草履を脱ぎ、あがってきた兼続は苦笑いで三成の隣に座り、わきをくすぐった。

「む……」
「起きろ。いつまで寝ている気だ。自堕落だぞ」
「眠たい」

 しかし三成は起き上がる様子を見せない。兼続はさらに三成のわきを強くくすぐった。身をよじらせ、兼続の手から逃れようとするが、兼続は容赦なかった。しまいには兼続の手をわきと腕でがっちりと挟み込んだが、あまり効果は無かった。

「ふおっ、ばか!」
「ばかとはなんだ。こんなに明るくなるまで寝ていると頭が溶けるぞ」
「溶けてたまるものか」

 兼続の攻撃が止みそうにない、と判断した三成は嫌そうに体を起こし、仏頂面で腕を組む。目の前に置きっぱなしのだるまと目が合い、少し苛立ちが緩和される。
 だるまの目は、片目は真っ黒に塗りつぶし、もう片目は普通の大きさの、なんの変哲もない目だった。しかし併せて見るとやはり不釣合いで、そのあべこべさも魅力のひとつだ、と自分に思い込ませている。

「ほら見てみろ、日があんなに高いぞ」
「知らぬ」

 障子を開け、三成にいかに日が高くなるまで眠っていたのか、ということを伝えたい様子の兼続だったが、三成はそっぽを向いて無視した。寝起きということもあるが、そもそも日差しは目が痛くなるから、という理由であまり好まない。
 しかし無視されようとも、兼続はあまり気に病んでいるそぶりはなく、爽やかに笑いながら、庭ではたはたと揺れる洗濯物を眺める。

「どうしてそんなに機嫌がいいのだ」
「機嫌がいいなど、とんでもない。ただ、珍しくひとが訪ねて来てな。道を訊かれたついでにほんの少しの日記を蒐集したまでだ」
「ああ」

 三成は瞬時に、それでどうして機嫌が良さそうなのか考え、覚った。
 つまり兼続は今日、たまたま頼まれの仕事があった。そこへ偶然、道を尋ねにやってきたひとがいた。これは良い間合いだと兼続は道を教えるついでに、ほんの少し日記を拝借したのだろう。わざわざ日記を探しにうろつく必要もなくなるわけで、さまざまな手間がはぶけたと嬉々としているのだろう。

「なんだ、そのまま寝かせておいてくれればよかったものを」
「いやそうもいかない。私はこの後家を空けるが、三成はここにいるのか?」
「俺が行ってもなにもすることもないしな。ここで留守をしていよう」
「そうだ。それが心配だ。こんなひとも滅多に通らぬような場所だ。なにがあるかわかったものではない」
「なにか、ってなにだ?」
「いやあ、いろいろとあるだろう。強盗やら、物の怪だとか」
「よく言う。俺たちが物の怪そのものではないか」
「それもそうだったか」

 お互いに静かに笑う。
 それも兼続が日の高さを見て、いそいそと着替えはじめたことにより収まった。相変わらず兼続は三成がいようと気にせずに着替える。三成もすっかりと慣れ、今では気にせずに大きく構え、ぼんやりと外を見つめているだけだ。

「行ってくる」
「ああ、行ってこい」
「違うだろう。いってらっしゃい、だろう」
「なぜ俺がそんな、女房みたいなことを」
「ははっ、女房か。昼間まで寝ている体たらくな女房だ」
「さっさと行ってこい」

 しっしっ、と、手を振られ、兼続は笑いながら居間を出た。
 少しすると、がらがらと玄関の戸を引く音が聞こえ、わざわざ縁側から見える庭にやってきた兼続は、だらしなく足を放り出している三成に手を振った。三成はなおざりに手を振り返す。
 完全に人の気配が無くなり、静まった家を見渡した。この家に厄介になりはじめて数日を過ごすが、未だに行ったことの無い部屋もある。そこで三成は、家のなかを探検しようと思い立った。
 まず、いつも三成は居間でしか行動しない。寝るときも居間で、だるまを眺めながらいつのまにか船を漕いでいる。そしてそのままどっぷりと眠るのだ。寝室で寝よ、という兼続の言葉はいつも無視している。そこでまず、寝室を見学することにした。寝室入ったのは、初めてここへ連れてこられたときの一度っきりだった。そのときは興味もなかったし、これといって何も見ていなかったから、次は見るべくして寝室に立ち入るのだ。
 しかし普段家のなかをうろつかないせいか、どこに寝室があるのかもよくわからず廊下で立ち往生した。以前はどこに行ったら、寝室があっただろうか。三成は興味のないことはほとんど覚えない。
 突き当たりを左に曲がり、行き当たった襖を引く。そこは物置部屋らしく、埃や蜘蛛の巣だらけでとてもじゃないが入る気はしなかった。そのまま襖を閉め、三成は引き返す。大した広さの無い家だから、部屋らしき部屋がなかなか見当たらない。それなのに寝室は見つからないというのだから、不思議なものだ。
 そこで一旦居間に戻ってきた三成は、玄関側の障子の反対側に襖があるのを見つけた。押入れかなにかと思って気にしていなかったが、もしかしたらと思い、襖を開ける。すると、居間と同じような畳が敷き詰められた部屋が現れた。隅には几帳面にたたまれた布団がふたつある。
 特に興味を引くものも無く、すぐに襖を閉めた。やがて手持ち無沙汰となった。
 寝室を探すために家を見て回ったが、これといって部屋があるようには見受けられず、まるで水車小屋のようになんの面白みもない家だった。
 居間の机の下にすべりこませてある、たたまれた紅梅の羽織をひっつかみ、三成は縁側に出た。
 日が高く、むわっとした熱気に眉間にしわを刻む。羽織を頭からかけ、眩しい日差しを少しでもさえぎり、庭を見渡した。白く、とても小さい蝶が、おそらく勝手に生えてきたであろう花の周りを飛び回っている。
 家のなかにいたときは気付かなかったが、蝉はずいぶんと必死に鳴いているようだ。とたん、耳をつんざくほどの鳴き声が響き、思わずすくみあがった。
 見れば、縁側の柱に蝉が張り付き、体を震わせている。まじまじと蝉の体を見つめる。横に長い頭、細長いいくつもの黒い足、だえんの形の透けて見える、ところどころ黒く染まった数枚の羽、蜂のような丸みを帯びた体。この体のどこから音が出ているのか、三成にはわからなかった。
 蝉の鳴き声がどんどん弱々しいものになってきたので、三成は興味を別のものへそらした。次は兼続が朝にしたであろう、洗濯物だ。
 草履をはき、三成も届くように改良された物干し竿を眺める。腕を伸ばし、洗濯物に触れてみる。蒸すほどに日が照っているというのにまだ少し湿っている。取り込むのは後にしようと決めた。
 洗濯物を眺めていると、足の甲が妙にむずむずする。なにかと思い俯けば、三成はありの行列のなかに飛び込んでいたらしく、足の上でありが、新たに行列を作っていた。
 しゃがみこみ、ありを覗き込む。突然の影に驚いたのかありは隊列を崩し、少しあちこちを歩き回ったがすぐにまっすぐに戻った。
 指先でありを地面に戻して、庭のなかを歩き回る。なんの種類だかもわからない草花で埋め尽くされている。雑草を抜くくらいしたらどうかとも思ったが、兼続が不義だなんだと言うので、結局どちらもやらない。
 羽織のおかげか、そこまで暑さも感じることもなかったが、屋内へ入るといかに外が暑かったかよく実感できた。
 それから畳の上に寝転がり、羽織を掛け物にして目を閉じた。
 いつ、左近の家に出向かおうか。明日にでも行ってみようか。
 左近と別れてから数日が経っていた。




 すっきりとした、清々しい真っ青な空を見上げた。三成は気持ちよさに腕を伸ばし、深呼吸する。ひんやりとした空気が五臓六腑に染み渡るようで、体中が澄み切ったようだ。
 やわらかな、けれど青々とした緑の草原に飲み込まれるように寝転がっている。隣には左近が同様に寝転がっている。けれど、それを不自然とは感じず日常のひとつとして自然と受け止めている。
 左近となにかを話している。他愛の無い話で、けれどとても楽しそうにしている。
 空を見上げると、くっきりとしない、けれどもそれが美しさを際立てる、虹が橋を架けていた。









06/24