豆粒のようなだるまの目を見て、兼続はやはり大笑いした。対して三成は頬をこどものようにふくらませ不機嫌を一面に押し出している。
 机の上に載ったてのひらほどの小さなだるまは、片目は真っ黒に塗りつぶされ、もう片方の目は筆先でつついただけのなんとも均衡の取れていない顔をしている。

 小さな目は、三成の義への考えが反映されていた。三成の結論づけた義は、あまりに儚いものと思えた。永く生きることに疲れ果てていた三成は、その理由を『あまりに永い時を生きすぎた』ということと『ひとの欲にほとほと失望した』こととしていた。であるから、多くのひとを喰み『自分自身の消滅』を願った。しかしどうせなら三成のもっとも嫌った『悪人』を喰んでやろう、と、積極的に三成の正義のなかで『悪人』であるひとたちを喰んできた。なかには例外で、自ら命を絶とうとしていたひとも喰んだ。これは三成のなかでは悪ではない。そもそも三成とて自ら命を絶とうとしているたぐいである。その三成が自害を悪とするほど、三成の『正義』はご都合主義ではなかった。ただ、捨てる命ならば自らに吸収する。命の有効活用だと考える。
 これが三成なりの、無意識の領地にある義であった。それを知覚し、ひとりでこねくり回した結果がだるまの小さな目だ。
 すでに言葉遊びの罠にかかってしまっているのか、半ば疑心暗鬼でその義を問い詰めた。

(悪人と言えど、捨てる命であろうと、それを断つ行為、つまり喰むことは不義と兼続が言っていたではないか。だが、これが以前までの自覚無しの義であった)

 兼続の思考に毒されているともみえなかったが、三成は真剣に兼続流の『不義』と自分の義を比べたてる。

「どうしてまた小さいのだ。もっとどうどうとすればよいではないか」
「いや、もしや、俺の義が不義やもしれぬと」
「自信がないのか」

 三成は黙る。
 考えれば考えるほどに粗が見つかり、正当化しようとはするが矛盾が生じる。意外と深く考えこむたちで、こういった思考の悪循環を繰り返すことにだんだんと疲れてきた。

「俺はひとが好きだった。短い瞬間を生きる独特の美しさに、惚れていたのだ。しかし、ひとは変わった。どこか荒んでいる。略奪、凌辱、力が、恐怖がひとを支配している。昔のように、小さなことであどけなく笑うひとに戻ってほしかった。同時に」大きなため息をつく。「生きることに疲れた。生きる価値もなくなった世界に生き続けることが恐ろしかった。消滅しようと思いたったが、せっかくならば、愛した世界が帰ってくることを願い、力を、恐怖を消してしまおう。そう考えた。だから、悪人を喰んで、こうして死人のように生きてきた」

 まるで今昔の念に囚われたこどものような理論だが、真剣だった。荒療治でもしなければなおらない、と、三成は本当に思っている。

「それは、確かに私が三成に言った不義になるだろう。しかし、それはこの世に対する愛だろうな」
「愛?」
「愛しているのだろう、ひとを、世を。そうでなければ自分の命など賭せまい。しかし、それは過去への愛だ。今を生きるひとを見つめよ。今も昔も、生きるひとは美しい」
「そんなこと、わかっている」
「いいや、わかっていない。昔と今にどれほどの差があるというのだ。ひとの本質というものは変わらない。ただ短い時を生き、笑い、泣き、子を成す。変わらぬよ。いつの世のひとも、生きるために物を盗む選択をし、力のあるものが土地を治める。変わらぬ、変わらぬよ」
「わかって、いる。しかし、たしかに、なにかが違うのだ」
「いいや、変わらぬ。ひとはひとの営みがあって、悠久に変わらず、連鎖していく」

 三成は我慢出来ずに、筆を机にたたき付けた。

「わかっている! たかだか三十年程度の日記蒐集家がなにをわかったようなことをっ、俺が……、俺が過去を美化し、己の死を願う心を正当化しているとでも言うのか! 結局、誰にも、理解など、できぬ。できるはずが、ない。遊戯蒐集家としての生、無へ返すのみだ、生きる、意味など」
「三成っ!」

 感情のままに叫び散らした三成を、咎めるように兼続が声を張り上げる。はたと我に返った三成は気まずげに兼続の顔を見てから、静かに立ち上がった。

「……すまなかった。俺としたことが、感情的になりすぎた。……頭を、冷やしてくる」

 紅梅の羽織を乱暴に掴み、兼続の反応も見ずに障子を開ける。小幅の早足で玄関の履物を雑に引っ掛け、外へ出た。
 外は日差しも緩やかになったころであるのと、蝉の鳴き声でか想像よりも暑くない。紅梅の羽織を肩にかけ、定まらない足のままけもの道を進んでいく。草を踏むたびに小さな虫が飛び上がるが、今はそれを楽しむ余裕が無かった。
 兼続と話していたときの自分はどうかしていた、と、また自虐的な感情を覚えた。
 恥ずかしさや情けなさ、それに伴う苛立ちに石を強く蹴飛ばす。それでも気は晴れず、ただただ鬱積していくばかりだった。解消する術を知らなかった。ただこどものように物に、ひとにあたるばかりで、笑った。小さな笑いから、だんだんと大きいものへなっていく。だるまの目を見た兼続ほど、大笑いして、ぱっと無表情になる。
 木の葉や枝が日よけになり、いくぶんか涼しさを感じる。

 大きな木に目をつけて、幹に腰掛けた。羽織を頭からすっぽりと被り、ひざを抱え、前のめりに頭を預ける。
 兼続と会う前にも、幾度となくこうして木の幹に腰掛け、ぼんやりとしていたことを思い出す。
 藤の少女を喰んで一晩明けた昼にも、こうして木の幹に腰を掛けた。あの時は、自分のしていることがいかに当然の流れで、また、すべてが良くなると信じていた。しかし兼続と会い、すべてが変わった。義、不義、ひとを喰むことの不義、ひとを喜ばせる義、生を摘み取る不義。鵜呑みにしていた言葉もいざ考えてみるとどうにもそぐわない。
 兼続の言う不義は三成の行ってきたことをすべて否定し、不義とした。

(俺は、どうしたいというのだ。義と不義は表裏一体なのか?)

 深みにはまっていく思考も厭わなかった。むしろ、それを甘受して、さらにその向こうへある結論へと早くたどり着きたいとすら思っている。
 木の葉が日をさえぎり、ただでさえ弱い日が、羽織によってほとんどさえぎられている。赤くそまったひざ小僧を見つめ、息を吹きかける。むわっとした空気がただよい、羽織をめくりあげて新鮮な空気を求めた。

「お、こんにちは」
「……む」

 ひょっこりと顔を出した三成は、目の前でしゃがみこんでいた男を見つけた。三成に紅梅の羽織を贈った、右頬に傷のある男だった。男が近寄ってきているのもわからないほどに熟考していたのか、と、眉を顰める。
 男は口角をあげ、りりしく笑っている。

「寝てたんですか?」
「考えごとだ」
「ああ、そうなんですか。見覚えのある色を被ったひとが小さくなって、身動ぎひとつしないので、どうしたものかと思いましてね」

 三成は注意深く男を観察する。
 男の言葉の裏にある真意がはかりかねたのだ。男が三成をずっとつけてきていたのかもしれなかったし、気が変わっていまさら見返りを求められるとも考えられた。だが男の笑顔の裏には何も読めず、三成は困惑するばかりだった。

「こんなところで、なにをしているのだ」男を探ろうと、質問する。
「なんの、喧騒がわずらわしくなってね。気晴らしに散歩をしていたんですよ。それで、先に言ったとおり、あなたを見つけたのです」

 一日のうちに二度も三度も会うというのも奇妙な縁である。三成がそう思ったように、男もそう思ったのかもしれない。
 ともかく、三成は男に少なからず好印象を感じ始めていた。

「やっぱりあなたにはその色が似合う」
「そ、そうか」
「なにを考えてらっしゃったのです?」

 三成の前に腰を下ろした男は、相変わらず笑顔をたたえたまま問いかけてきた。馴れ馴れしさというよりも、親身なものを感じた三成は男を邪険に扱わないことにした。

「義、だ」気まずいものを感じ、目線をそらした。「俺の観念的な義は、連れの言う不義であることかもしれなかったのだ。それにその義は、もう昔のものだ。今の俺ではない。ならば、今の俺の義とはなんなのだ、と」
「これまた、小難しいことを考えてらっしゃる」

 男は一笑し、三成をしっかりと見据える。目が合ってしまった三成は視線をそらせず、硬直した。

「義、というものをどう定義付けているかはわかりませんけれど。言った通り、共にあるものです。昔のあなたと違うというのならば、変わった理由というものが少なからずあるでしょう。その『変わった理由』の中に、あるかもしれません」
「変わった理由? 理由、明確には存在しないが、連れに会って話をして、もう少し生きよう、と思った。だから俺は、自分を殺すことをやめた」
「あなたがあなたを殺すことが、義であったと?」
「いや、正確にはそうではない。結果としてそうなった」
「……わかりかねますが、自分を殺すということは想像以上に苦しいく、つらく、また、多大な決心があってのことだと思います。けれども、自分自身を真の意味で理解し、愛して差し上げられるのは結局、自分だけなのですよ」

 その瞬間、三成の目には男の顔が能面のように映った。男には確かに微笑みという表情があったが、まるで貼り付けられた面に見えたのだ。

「ああ、いまさらですかな。俺は左近といいます」
「……俺の名は、三成だ」
「三成……さん、ね」









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