「待てっ、いったい、なんの真似だ」

 男を追いかけ店を飛び出した三成はまくし立てるように叫んだ。
 一瞬、中流の意外な速度の流れから下流の穏やかな水面へと変わり、またせかせかとひとは歩きはじめる。それでも先のような勢いはなく、揉め事の前兆と言わんばかりにちらちらとふたりを見遣る。しかし次第にひとは入れ代わり、流れは勢いを取り戻していった。
 男と三成の差は想像よりも狭く、大声を出すほどではなかったと少しだけ後悔する。立ち止まり、振り返った男はめんどうくさそうに三成を見て、口を開いた。

「なんの真似もなにも、贈り物ですよ。似合わない人間よりも似合う人間が着るべきだ。それだけのことさ」
「余計なお世話だ」

 口にしてしまってから三成は自分をめちゃくちゃにけなして、罵って、叩きふせたいような、自虐的な気持ちに陥った。
 素直に礼を述べればよかったのだが、まず、まったくの知り合いではない人間に物をもらうという行動がすぐに受け入れられなかった。だから「いいえ、それは悪いです」といった主旨の遠慮の言葉を言おうとした。しかし口をついて出たのはかわいげのない憎まれ口である。三成はひとを怒らせることが上手であった。

「あ、いや、これはそういう意味では……。気を悪くしたのなら、すまない。ともかく、俺が言いたいのは」
「だから、そんな堅苦しく考えちゃだめですよ。たまたま立ち寄った呉服屋に紅梅を着こなす麗人を見つけた。しかしその麗人はどうやら買うつもりではないようだ。せっかく似合っているのになんてもったいない。たったこれだけのことですよ」

 三成は男に説得されているうちに、なんだか本当にそれがよくある出来事のうちのように思えてきて、しまいには納得してしまっていた。しかし実際にはそういう出来事は奇異なことで、裕福な男が遊びで女を口説く手段としてたまに見かけるほどであった。
 さすがの三成もこの男からの贈り物の影に下心があるのではないかと疑った。そうでなければ、三成のなかで説明がつかない。見返りのない単なる損を誰が、なぜ、好き好んでするのか、想像もつかなかった。
 三成があれこれ考えているうちに、男は三成から視線を外し人の流れにひょいと乗って行ってしまった。すぐに追いかけ、男の隣に立ち、男を見上げた。

「しかしだな、俺は無一文だ。なにも礼ができぬ」

 すでに話は終わったと離れていった男を追いかけ、わざわざ礼ができないと言うのも珍しい。まるで礼がしたいと言わんばかりである。しかし三成は完全にその思考に飲まれていた。
 片手は羽織が落ちぬように胸のあたりで合わせ押さえ、もう片方の手はだるまをにぎりしめている。

「礼なんていりませんよ。俺が勝手にしたことですから」
「だが、それは不義というものになるのだろう」

 兼続の口癖がすっかり移ってしまった三成は、気付かずにそう口走った。
 兼続が最も口にする言葉は義よりなにより、不義という言葉だった。三成が雑草を抜けば「雑草といえど生きるものの生を断てば不義であるぞ」と言う。初めに不義を説かれてからというものの、三成は律儀に考え、その行動を自粛していた。雑草を抜いたり、鳥を捕まえようと追い回したり、壁を這う毒虫を殺そうとすること、自らの死を願い、ひとを喰むこと。もっとも、ひとを喰むことは兼続に友となろうと言われ、新しい発見や楽しみができ、死を願わなくなっていたのですでにしていなかったが。
 男は歩みを止め、三成を見つめる。中心から少し外れ、ひとの流れは緩和していた。男になにを要求されるのか、三成は息を飲む。

「不義、ね。おもしろいことを言うひとだ。なら、そのだるまの願掛け、教えてくださいよ」
「だるま?」手のなかのだるまを指差され、三成は首をかしげる。「これは『だるま』というのか。知らなかった。昨日もらったばかりなのだが名前も用途もわからぬ。仮の名前として『義』と名付けられたものだ。兼続…連れの男が用途もわからずに『お前が自分の義を見つけられたのなら、こいつに目を書き入れてやろう』と言ったのだ。それでも片目だけは書いてやった。 願掛け、と言ったな。もしかすると、このだるまの用途は」
「ええ、願掛けです。願いが叶ったら目を書き入れる習慣があるんですよ。しかしまたおもしろい願掛けですな」

 冗談のつもりの軽い気持ちで決めたことが、意外にも的を射ていたことに三成は驚いた。そして兼続の驚く顔が目に浮かぶようだ。良い土産話ができた、と、内心喜んだ。

「で、今、義を探している、と」
「そうだ」
「また妙な話ですねえ。いや、これは俺の持論みたいなもんだからあまりたいしたことじゃねえんだが、義というものはむりやり探すもんでも無いでしょう。いやむしろ、見つけた義というのは張りぼてですな。あなたと常に共にあるものこそが、義じゃないかね」
「常に共にあるもの?」

 男の話の展開に三成はついていけず、おうむ返しするだけだった。まるで言葉遊びであるそれに、どう返そうか熟考する。
 しかし男の話を寸分も理解していないわけではなかった。それは三成自身も頭の隅で考えていたことだった。言葉にすることは簡単であり、すぐに言葉にできてしまえることというものは、どこかに落とし穴がある。それは、言葉を隠れみのにしている自分であったり、単なる虚構、虚栄であったりとさまざまである。
 ほんの少しの間にどっぷりと考えてから、三成は口を開いた。

「常に共にある。それならば、俺が俺になったときから常に共にある義が、ある。しかし言葉にはできぬ。あまり単純とは言い難い。観念的すぎるものだ」
「そういうものですよ。言葉で説明できることなんてごくわずかなんです。俺があなたに羽織を差し上げたことも、そうそう言葉にはしがたい。そうしようと思ったからなんです」

 妙に視界が広がるのを感じた。ようやく、義に対する違和感や、自分の義についての違和感がきれいに取り払われたように思えたのだ。同時に兼続の義に対する違和感がうまれた。
 兼続は明確にその義を口頭で説明したが、それは、この男の言うとおりに張りぼてなのだろうか。それとも、ごくわずかのうちに入るのだろうか。三成は眉間にしわを寄せる。しかし、あまり兼続にいちゃもんをつけるのもいやだったので、後者で納得することにした。

「すまなかった。とてもおもしろかった」
「いえ、そんな」

 頭だけを垂れ、三成は礼を言う。男は笑って会釈し、体の向きを変え、先を行ってしまった。
 佇んだままの三成は、だるまと紅梅の羽織り、男の背中を交互に見る。

(名前、聞いていなかったな)

 しかし、もう会うこともあるまい、と、わざわざ追いかけて聞く気にはならなかった。
 これから兼続と共に悠久のごとく生きているうちに、男も老い、死ぬのだ。頭のどこかでそう認識していたからこそ、あえてひとの男と親しくなろうとは思わなかった。
 いや、それでも昔はたまにひとと親しくなり、彼らが老いるたびに離れ、死んだと風の噂に聞き、律儀に悲しんでいたような気もする。あまりに古い記憶だったためか、曖昧であったが、妙に確信めいたものがあった。

「三成っ」

 定期的な足音と、三成を呼ぶ声がした。聞きなれた声であり、振り返らずともすぐに誰かわかった。

「用事は終わったのか?」
「ああ、ひとりにして悪かった」
「だから言っただろう。俺はひとりでふらつくほうが好きなのだ」

 まいったように眉尻を下げ、「そう言うな」と言う兼続を三成は小さく笑い、二度、兼続の肩をたたいた。いったいどういう合図なのか、示しなのか、兼続はわかりかねたようで三成と自分の肩を何度も見ている。

「そうだ、こいつの名前、わかったぞ。『だるま』だ。『だるま』というのだ」ずい、と兼続にだるまを差し出し、得意気に言う。
「だるま?」
「ああ、そうだ。願掛けにつかうものらしい。片目を書き入れて、願いが叶ったらもう片方の目を書き入れるらしい」
「ほう」

 言葉にはしなかったが、兼続もまさか自分の言ったことが本当にそうだったなんて、と驚いているようだった。
 兼続の様子に満足した三成はだるまの顔を見つめながら、歩き始めた。兼続もそれに倣い、ついてゆく。もう用事は済んだ、と、帰るつもりである。

「ああ、それと、帰ったらもう片目、いれようか」
「ん? 自分の義とやら、みつかったのか?」
「ああ。言葉ではない、俺がそうと生きてきた意味や、感情だ」

 ぽいっ、とだるまを頭上より高く放り投げ、片手で受け止める。

「すまない。少し、わからないが。だが、そういうものもあるだろうな」

 首をかしげ、さえない表情で兼続はそう言い濁した。









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