「ほら三成、落ちそうだぞ」

 楽しげに声を弾ませた兼続は、三成を追いたてるように急かした。まんまと兼続にはやしたてられた三成は、頭に載せただるまが落ちぬよう全意識をだるまに向けている。足元が危なっかしいそのものであったが、兼続の意識もだるまにばかり向いていた。
 だるまの目は片方だけ黒く塗りつぶされている。
 昨晩、両方とも白目ではなんだか味気ない、とふたりの意気が合致し片目だけに筆をいれた。最初に三成が筆で目を書き入れたが、ちょん、と弱く筆先でつついただけで、まるで『目が点』状態になってしまった。そのすっとぼけただるまの顔に兼続が大笑いしたため、むきになって目の部分ほとんどを塗りつぶした。だんだんと本来のだるまの容貌に近づいているが、ふたりはそれを知る由もなかった。

「兼続、俺がこれをする意味はあるのか?」

 喋る振動でだるまを落とさないよう、三成は慎重に喋る。なんやかんや言いながらもだるまを落とさないことに存外真剣になっているらしく、歩く速さもずいぶんとのったりしている。

「いいや、無いな。だがおもしろいだろう」
「気が気じゃない、っと」
「平気か?」

 頭上のだるまへの意識と、落とさないようにと喋る意識、そして足元への意識がついに崩れ、三成は足元の石につまづいた。だるまは前のめりに飛び、三成の手におさまった。

「む、義を落とすなどならんぞ。義はひとが忘れてはならぬ大切なものだ」
「そう言うならお前がやればいいだろう」
「私はどうにもそういった均衡を保つのが苦手でな。遠慮する」

 兼続に差し出しただるまはまた三成の元へ戻ってくる。少し気に入らなかった様子の三成だったが、だるまのことが意外と気に入ったらしく、また頭の上に載せた。
 しだいにひととすれ違いはじめ、町が近いことが予感された。すれ違うひとは必ずと言っていいほど三成の頭に載っているだるまを見るが、気まずげに視線を逸らした。当の三成と兼続はちっとも気にした様子は無い。

「もうすぐ町か」
「ああ、ひとが多くなってきている。今日は天気もいい。町はさぞ活気にあふれているだろうな」
「ひとごみは嫌いだ」

 兼続の予想に三成は顔をしかめ、ふてぶてしく吐き捨てる。ぐらりとだるまが傾き、慌てて立ち止まり、だるまが落ち着くのを待つ。
 だるまが静止したのを確認し、またふたりは歩き始めた。すれ違うひとはやはり三成の頭をちらちらと見遣っている。片目だけ塗りつぶしてあるだるまを見て、あれこれ想像を働かせているのかもしれない。

「ひとが多くなってきている。ぶつからぬよう気をつけるんだぞ」
「そんなどじを働くものか」
「あ、三成」
「なん、ぶっ」

 兼続の注意は功を奏さなかった。上にばかり向いていた意識が目の前に向いていなかったせいで、三成は前を歩くひとの背中に突撃してしまった。からん、とだるまが地面に落ちるのを見ながら、兼続の注意がもう少し早ければ、と三成は瞬時に心の中で思った。
 三成がぶつかったひとは大柄で、三成が見上げるほどの男だった。
 その男はゆるゆると振り返り、三成を見下ろす。垂れ気味の目と太くりりしい眉、あごの辺りにまで茂るもみあげ、右の頬にある傷が威圧感をただよわせ、三成は息を呑んだ。隣で見ていた兼続は苦笑いを浮かべ、小さく頭を下げる。対して三成はなにを言ったらいいのかわからず、ぽかんと口をあけたままその男を見上げている。

「すま、ない。よそ見をしていた」
「いえ、これからは気をつけてくださいよ。危ないですからね」

 たどたどしく謝り、頭だけかくんと垂れる。男は笑いながら地面に転がっているだるまを拾い、三成に手渡した。硬直した三成は人形のように固まったまま、男の胸の辺りばかり見ている。

「願掛け、ですかな」

 男はだるまを見て、笑顔のまま問いかける。なにを問われたかまでの処理に時間がかかった三成は、しばらく沈黙する。困った男は兼続を見るが、兼続は苦笑いしてこう言っただけだった。

「まあ、そんなところです」
「そうだ、願掛けだ」

 ようやく返事が見つかった三成は、やや硬い口調で言う。男もまた、兼続のように苦笑いを浮かべ、会釈して先を行った。男もどうやら町へ向かうようだ。
 兼続は黙ってだるまを見下ろすばかりの三成の顔を覗き込み、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。

「もしや、人見知りか?」
「ちっ、ちがう。ただ、妙に気圧されただけだ」

 慌てて弁解するも、兼続はすでにその結論に納得してしまっているのか「ははーん、なるほど、そういうことか」と、ねっとりとした物言いで軽々しく先を行き始めた。三成は弁解しながらも兼続を追いかけるが、兼続はどうやら聞く耳を持っていないようだった。




 笑う兼続を追いかけたり、道端に生える花を眺めたりしているうちに町へとたどり着いた。兼続の予見どおりにひとが多く、大人から老人、こどもが入り乱れていた。
 思わずしかめっ面をしてしまったいたことに気付き、むりやり顔を無表情へ直す。

「俺はこの義について聞いてみたりなどするが、兼続も一緒か?」
「いや、すまないがこの町にひとつ用事があることを思い出した」
「なら別行動だな。ちょうどいい、俺はひとりでふらつくほうが好きだ」
「そう言うでない。用事が済んだら探しに来る」

 三成の肩をたたき、兼続は町の雑踏へ消えていった。

(そういえば、この町で兼続と会ったのだったかな)

 ひとごみに紛れる兼続を見ていた三成は唐突に思い出した。
 今も兼続と三成が初めて会った日のようにからりと晴れている。ひとの流れも同じように多く、ざわざわと話し声がひっきりなしに耳に届く。芋づる式に女――ねねのことを思い出したが、すぐに頭から放り出した。
 さすがにひとも多いので、三成はだるまを手に持ったまま丁度良さそうな店を見て回る。同じようなものを置いてある店を探すが、なかなか見当たらず適当な店に立ち入った。
 店に入ってからようやく気付いたが、そこは呉服屋であった。そこでだるまのことなどすっかり忘れ、展示されている着物に見入りはじめる。柄が無いものがほとんどで、質素であったが深みのある色のものが多く、三成はそれだけで楽しんだ。
 すると三成の熱心な見入り様に大柄な店員は気を良くしたのか、三成に着てみるように促した。

「いや、遠慮する」
「遠慮なんてするもんじゃねえって。木賊(とくさ)色よりも、女っぽいがあんたにゃこっちの紅や紅梅色なんかが似合うと思うがねえ」

 無一文であったのと、特別欲しいとも思ったわけではなかったため辞退したが、店員は豪快に笑い飛ばし、いそいそと赤系統の羽織を取り出し三成に手渡した。違う呉服屋での話だが前にも三成は試着をしたことがある。そのときもこうやって試着をすすめられたのだ。ひとの視線を集める容姿であればこそだろう。
 受け取ってしまったかぎり、そのままつっかえすことが悪いように思え三成はしぶしぶと試着することにした。
 手渡されたのは紅よりも少しだけ明るい、紅梅の羽織であった。
 今着ている着物の上に、手渡された着物にしわをつけないよう、慎重に羽織り、自分の肌の色とそれを見比べる。

「やっぱりそういう、明るい色が似合うよあんたは」
「そうか」

 店員はひとなつこい笑顔を浮かべて三成に言う。
 褒められてどう反応したらよいのかわかりかねた三成は、ぶっきらぼうにそう返すだけだった。しかし店員は自分の予想が当たり気を良くしているのか、あまり三成の返事は頭に入っていないようだった。

「悪いが俺は」

 無一文で、と繋がるはずだった言葉は聞きなれぬ声にかき消された。

「旦那、これ、いくらくらいですかね?」
「んー、いやな、これは結構いいもんだから、どうしたってこれくらいはしちまうんだよ」

 男は三成の羽織っている紅梅の羽織を指差し、店員に尋ねた。店員はそろばんをはじき、突然の乱入者に示す。
 驚いて振り返った三成は、さらにそれを凌駕するほどに驚いた。自分の声をかき消した声の主は、町にやってくる途中でぶつかった右の頬に傷がある男であった。
 男は懐から銭を取り出し、店員に差し出し、そのまま身を翻し外へ出て行った。
 三成は自分が羽織ったままの羽織を見て慌てて男を追いかけた。店員の威勢の良い挨拶が耳に入ってきたが、それよりも男のほうが重要だった。









06/24