「お前は、死ぬのか」
「私の命はあの方と共にあるのです。あの方は死んだ。だから」
「そうか。どうせ捨てる命ならば貰いうけよう」




 細面の麗人がひょこひょこと軽やかに歩いていた。

 そのひとは、あぜ道のように水を吸った泥だらけの足元を気にしながらてっぺんに浮かぶ太陽を仰いだ。眩しさに目の奥が痛み、すぐに俯く。予想通り泥だらけの足をぱっと掃い、どこまで泥が飛ぶか眺めた。たいして飛ばない泥に失望し、そのひとはまた歩きはじめた。

 そのひとの名を三成という。

 三成は目を閉じ、蝉の鳴き声に耳を澄ます。鳴き声はひとつ増えてはひとつ途絶え、落ち着きが無かった。
 夏がやってきて少しばかり経っているが、三成は丁寧にも厚く着込んだままだった。それでも汗の片鱗も見せていない。三成は完全に揺れる空気から浮き出た存在であった。
 蝉の鳴き声に飽き、さして汗などかいていない額を拭うそぶりをして楽しんだ。三成にとっての娯楽は他愛のない、まるでこどものようなものばかりである。
 陽射しを欝陶しく感じた三成は、周りに大きな木を探した。いくつあるか数えては、「どーれーにーしーよーうーかーなっ」と口ずさんだ。見事に抜擢された木に近寄り、木陰に風情を感じ、三成は満足した。
 腰を落とし、履物を脱ぎ捨てる。泥だらけの履物を乱暴に地面にたたき付ける泥落としに少し熱中する。しかし跳ねた泥が目に入り、すぐにやめてしまった。
 履物を放り出したままに、木を見上げた。上から蝉の鳴き声が発生している。蝉がどこにいるのかわからなかったのか、すぐに諦める。やがて蝉の断末魔は途切れる。

「ふん。鳴かぬなら、愛でる価値無しホトトギス」

 不遜に鼻を鳴らし、足を放り出し、だらしない格好で三成は言い捨てた。
 三成が次に目をつけたのは、ちょうど手をついたところに生えるねこじゃらしだった。無遠慮にそれを引き抜き、しげしげと眺めるがそれにも飽きた。
 ねこじゃらしを放り出していた履物に挿し、三成は目をつむった。安穏とした暗闇の中に、花が浮かび上がる。それは薄紫の藤を髪飾りにした、白い少女へと姿を変えた。三成はその少女に見覚えがあった。




「そうか。どうせ捨てる命ならば貰いうけよう」

 あごを撫で、吟味するように少女を見る男――三成。少女は突如の乱入者に身構えた。三成は、どうせちんけな人買いにでも間違えられたのだろう。と、少し気分を悪くする。
 少女は手に持っていた小刀を鞘から抜きかける。先ほど、それで自害しようとしていたように見えたから三成は声をかけた。事実、そうでなければ無駄骨になってしまっていた。そのことを考え、三成は心の底では密かに安堵していた。
 お互いに無言で見つめあい、探り合った。三成は少女の答えなど端から聞くつもりはなかったが、少女がなにか言いかけているように見え、辛抱強く続きを待った。
 三成はこの少女を嫌いではなかった。少女に淡い恋心という陳腐なものを抱いたのではなく、漠然とその少女には好感情があった。少女の言葉を待つ間、三成はそのことについて考えた。
 たしかに、妙な勘違いをされていることは不愉快だった。しかしこの少女は美しい。外見もさることながら、心までもが美しい。三成は心酔するように没頭する。
 ひとりの男を愛し、最後までついてゆこうとする少女を誰が批難できようか。生きることのみが褒められることではないのだ。独自の論理を構築し、三成はひとり納得した。飽くまでもそれは自己満足に過ぎなかったが、三成の思考についてちゃちゃをいれる人間はいなかった。
 まだ考え足りなかったが、少女が小さく身じろぎ、なにかを言うようなそぶりを見せたからすぐに中断した。

「私の、命はあの方と共にあるのです。あなたに差し上げることはなりません。ましてや、そのように醜く生き延びるなど」
「勘違いするな」少女の言葉を遮り、続ける。「お前は間違いなく死ぬ。いや、死ぬという表現は正しくないな」

 その時、虫の鳴き声が妙に耳につくことがどうしようもなく不快に感じた。

「お前という人間が消滅するのだ。醜い死体も残さず。美しい終わり。同時に始まりもなくなる」
「それは、どういう」

 少女には三成の言うことが抽象的すぎたのか、理解できていなかったようだ。三成は面倒に感じ、くわしく一から十まで説明する気にはなれなかった。どうせすぐに消えてしまうのだから、という思考が根底にあったのも手伝い、簡潔に言った。

「最初から、お前は存在していなかった、のだ」

 断罪のごとく響く三成の声に少女が息を飲んだのを視認し、三成は満足した。一歩少女に近づく。だらりと揺れる手と小刀に、抵抗の意志は見当たらず、さらに一歩踏み出す。体が触れ合うほど近寄った。
 やや嬉しげに見てとれる三成の表情に、また少女は息をのむ。

「あなたは、いったい――」

 少女の声音は引きつっていた。表情にはありありと恐怖が表れており、三成にどうとも言えぬ支配欲が生まれた。

(これから俺が行うことは、これ以上に無い蹂躙、支配なのだ)

 三成はそういった優越感に支配される。

「洒落た人間は、鬼子とも呼んだな」

 薄く笑い、それ以上は歩めぬはずだったが、三成は平然と歩んだ。少女の姿はそこになく、藤だけが取り残されている。三成はわざわざ立ち止まり、置き去りの藤を拾い上げ、どこへとともなく歩き去った。

 足音と虫の鳴き声に風情を感じた。




 じりじりじり、蝉の鳴き声が一段と強まり、はっと起き上がる。

 胸にはどうしようもないほどに焦がれ、今にも泣き出してしまいたいほど張り詰めている。しかし三成に泣くつもりは毛頭なかった。それは三成の感情ではなく、少女のものであり、三成が涙する理由にはならない。そしていちいち感傷的な気分に浸るなどばかのようだ、と自分を諌める。
 ひとを喰むと必ずと言っていいほどそのひとの感情に胸を支配される。うっとうしいものだ。と、三成は眉間を手で押さえ、ひっそりと悪態をつく。ずっとこれを繰り返せば、自分の感情も喰めるものだろうか、という好奇心も同時に現れた。
 それでも、この胸の焦がれはいつもと違うようだということに気づき、首をかしげた。今までに感じたことの無い感情かもしれない、と模索する。
(これは少女の、男を愛する気持ちなのだろうか、だとしたら俺は少女として男を想って焦がれているのか、ばかばかしい。いや、もしかしたら、俺が少女を想っているとでもいうのだろうか)
 一つの仮説にたどり着き、忌々しいと言わんばかりに拳を作った。強く握ったせいか、肉は白く変色したが三成にとってはどうでもいいことだった。むしろ、久しぶりに自分の血を見てみたいとすら思ったほどだった。しかし自虐するほどのことも無く、無意味に血を流すのもばからしいと思い直す。
(大丈夫だ。たとえそうだとしても、少女を知っているのはこの世で俺だけなのだ。それに、俺と少女はもう一つの存在だ)
 自分の幼稚な独占欲に辟易したが、感情ばかりは自分で制御することは難しかった。そのとき、唐突に三成の頭に『食べてしまいたいほど、可愛い』という言葉が浮かんできた。

(俺の行為はそれよりも至高のものだ)

 また優越感に浸った。

(食べたいほど可愛いからと言って、文字通り食むことなど下劣である。所詮肉は糧となるだけで、醜い姿となって排泄されるのだ。俺の行為はそのような肉体的なものではない、精神的なものなのだ)

 拳を解き、三成は満足げに腕を組み頷いた。
 太陽の位置が変わってきたせいか、ゆっくりと木陰が位置を変え、三成の足を日光が照らした。
 それにしても、気障(きざ)なことを言った、といまさら思い出し一人赤面する。意味もなくぶちりと雑草を抜いた。その雑草は三成の手遊びの道具とされ、徐々に原形を失っていく。
 三成の言う『気障な発言』とは、少女に何者かと問われ、返した言葉だった。

『洒落た人間は、鬼子とも呼んだな』

(もうこどもなんて外見ではないのに)

 また雑草が抜かれた。
 三成の姿は麗人と称するだけあって大人のものである。細面の通った鼻筋、陶磁器のように滑らかな肌、射抜くように洗練された鋭い眼光は聡明さも併せ持っていた。そのような三成だからこそ、『鬼子』と呼ぶには少々不釣り合いであった。
 三成はぞんざいに放り出されたままの履物を手に取り、緩い動作で履き、立ち上がった。少しばかり傾いた太陽や、流れる雲を眺めたり、けたたましい蝉の鳴き声を聞いているうちに気分は晴れ、鼻歌混じりに一歩踏み出した。
 次に三成は草の生えたところだけを踏み、また宛の無い道を歩き始めた。















06/21