夕飯はそうめんでした。兄さんは庭で流しそうめんをしたがったのですが、まだまだ暑くもないし、外が暗くなってしまったからということで小兄さんに却下されてしまいました。
 それにしても得意料理がそうめんとはまた不思議です。茹でるだけではだめなのでしょうか。島さん曰く「そうめんのいろはを知らないなんて、まだまだ子供だな」だそうです。大人になったらそうめんのこともわかるようになるそうです。島さんは小兄さんと仲がいいようなので、きっと小兄さんに気を遣ったのでしょう。そうめんは冷たいし、肉もありません。


『幸村、ねぎはどれくらい入れる?』
『ねぎ……ですか……』
『三成、幸村はまだねぎやわさびは入れないさ』
『ははっ、やっぱり子供ですねえ』
『子供、ですか……』
『左近、あまり幸村をいじめるな』


 ねぎやわさびをめんつゆに入れるなんて、苦くなりそうですし辛くなりそうです。兄さんたちはみんな入れるのですが、私だけ入れません。これが大人と子供の違いというものなのでしょうか。
 思い出したらもやもやしてきました。兄さんたちと同じように、めんつゆにねぎやわさびを入れられる大人になりたいです。

 今、兄さんたちはみんな私の部屋に集まって好き勝手やっています。よく自分の部屋ではなく私の部屋にやってきて、本を読んだり布団に寝転がったりしています。たまに兄さんがベッドの下を覗き込んで不思議そうな顔をしていることがありますが、なにか失くしてしまったのでしょうか。
 今日も兄さんはベッドの下を覗き込み首をかしげます。隣で島さんは楽しそうにニヤニヤと笑っています。一体なにがおかしいのでしょう。


「兼続……、左近まで。いい加減、幸村に固定観念を押し付けるのはやめたらどうだ」
「しかし、おかしいだろう!」
「うーん……、俺が中学生のころなんかは、友達とエロ本回したりしたんですがねえ」
「えっ、エロ本?」
「たまには怒れ。兼続は『年頃の男の子なのに何故ないのだ!』といつもベッドの下を覗き込んでいる」
「そっ、そ、そんなハレンチなものありませんよ! エロ本?……不潔です!」


 いつもなにを探しているのかと思ったら、エロ本! そんなものとんでもありません!
 小学生のころに道端に落ちている週間雑誌のグラビア写真……、あれを思い出しただけでも胸がドキドキしてしかたがありません。それをわかりきっているのに「なにこれー?」と言って、蹴りながら中身を覗き見ていた子もいました。そういうことは大人になってからでいいのに!


「……不潔ですって、兼続さん」
「むう……。ま、高校生までの三成の潔癖を受け継いでいると考えるか……」
「強制するのも抑制するのもよくない。本人の好きにさせてやるのだ」
「しかし間違った知識を持ってしまったら、取り返しのつかないことになってしまったらと考えると心配でな……」
「幸村がそんなヘマをするか」


 心配してくださるのは嬉しいですが、やはり私はまだそういう話はできません。初恋もまだだというのに、エロ本だなんて!(普通はどちらが先なのかわからないのですが)……なんだか顔が赤くなっていそうです。これでは子供と言われてもしかたないです。
 そういえば兄さんたちの初恋はお互いだった、という話は聞きましたが今は恋人などいらっしゃるのでしょうか? もしや、ハッ、ハレンチなことも経験済みなのでは……。


「に、兄さんたちはその、付き合ってる人とか……?」
「私? 私の恋人は全世界の人たちさ!」
「そうなんですか……」
「限りなく一方通行だがな」
「ははっ、言えてますねえ」
「なにを! お前たちは私を愛していないのか、私はこの身が焦がれるほどお前たちを愛しているというのに!」
「……やめてくれないか」


 口や表情では嫌がっている小兄さんですが、決して本気ではありません。それを知った上で兄さんは大げさに落ち込んでみせ、そして小兄さんはそれを真に受けます。兄さんが大笑いし、小兄さんは激怒し、島さんは苦笑いでなだめ、私は皆さんの賑やかさに笑います。父さんがいれば、もっと大変なことになっていたかもしれません。ですがやはりいないと寂しいものです。
 楽しい時というものはすぐに流れていくもので、もう夜中へ差し掛かってしまいました。兄さんはあくびを噛み殺し、寝ぼけ眼で自分の部屋へ戻っていきました。小兄さんも目を何度も瞬きさせ、眠そうな様子です。


「あ、島さんはどちらで……」
「あー、平気だ。俺の部屋の床に転がしておくから……」
「ええ、ベッドに一緒にいれてくださいよー」
「お前は図体がでかいからダメだ」
「あ、ならお布団用意しましょうか?」
「大丈夫。この男は頑丈だから気にするな」
「そうですか?」


 島さんは小兄さんの友達です。だから小兄さんの部屋に寝るのでしょう。しかし一応はお客様なのでお布団の用意くらいはしたいのですが、いらないというのならばしかたありません。


「じゃあ、おやすみ幸村。夜更かしはするなよ」
「良い子は寝る時間をとうにすぎてますからねえ」
「はい、お二人ともお休みなさい」


 二人が出て行った後、部屋は急に静かになり、また広くなりました。こんなことは慣れているのですが、妙に落ち着きません。テストも終わり、週末だということで少し夜更かしモードなのかもしれません。私の学校の水泳部はのんびりナアナアなので土日はないのです。

 布団に入りしばらくゴロゴロしていましたが眠れる気配はなく、小兄さんから借りたクラシックをかけることにしました。タイトルはガボット、作曲者ゴセック……。知りません。クラシックどころかJ−POPすら疎い私ですから知っているほうが驚きなのですが。
 しかし再生すると、誰もが聞いたことがあると言ってもおかしくないほど有名な曲が流れてきました。軽快なテンポと優しいクラリネット(でしょうか?)の音を聞いているうちに、まぶたが重くなり、睡魔がやってきました。




 冷静に考えれば、CDをつけたまま寝てしまったのが間違いでした。

 突然ふと目が覚め、流れっぱなしだったCDを止めます。どれほど時間が経ったのかと時計を見れば、夜中の二時。三時間しか経っていません。夜中の二時は幽霊が出ると言いますが……、トイレに行きたいので恐る恐る部屋から出ます。ドアの開く、ギイという錆びた音が響きます。
 兄さんたちを起こさないように足音を忍ばせてトイレに向かいます。


「?」


 妙な音がします。泣き声……、人の泣き声のような声です。それから低い囁き。何かが軋むような音。――小兄さんの部屋。
 近寄ってはならない、そんな暗黙の了解があるような気がしました。けれど耳をすませば、その現場を見なくともどのようなことが起きていることを想像がつきます。……私はたしかに子供だ。しかし、なにも知らないわけでは、ない。
 ドアが少しだけ開いています。築二十年近くの古い家だから、ドアノブが緩くなっているので、閉めたと思ってもちゃんと閉まっていないことがあるのです。小兄さんはそのことを知っているからそんなヘマはしません。ですが、島さんが……、島さん、が……。


「……っ」


 嘘だ!

 見たこともない小兄さんの表情。声は聞こえない。ここは家だ。必死に口を押さえいてた。覆いかぶさる黒い影。はらりと肩からこぼれる黒く長い髪。軋むベッドの音。部屋の小さな(オレンジ色の)灯りに照らされる二人。重なり合っている。
 私の知っている言葉では、なにをどう表現したらいいのか、わからない。

 音を立てないようにすぐに部屋へ戻り、布団の中へ飛び込みました。なにかが大きな口を開けて赤い舌を私へ向けているような幻覚。そして私をひと息に呑み込んでしまう錯覚。それらが布団の中で私に襲い掛かります。
 なぜ、体が震えているのかわかりません。どうして体が熱いのかわかりません。風邪をひいたときの、寒気を伴う熱さとは違う熱。ただ、丸まっていないと自分がバラバラにはじけてしまいそうな気がします。

 私に、なにが起こっているのかわからない。

 ……兄さん、小兄さん。私は、ひたすらに怖い。怖い!







09/07