今日は金曜日。部活が終わって家に帰ってくると、知らない人がいました。私から見て右――本人から見ると左の頬に傷があって、睨まれたら心臓が止まりそうな怖い顔をした大人の男の人です。もみあげがふさふさで顎のあたりまであります(なにかのアニメを思い出しました)。髪はとても長くて、一部分を後ろで(女の子みたいに)まとめた、おじさんです。多分私からすればおじさんと言っても大丈夫でしょう。それくらい年上に見えます。
見た目の年齢的にも父さんのお友達のように見えるのですが、意外なことに小兄さんのお友達だと兄さんが教えてくれました(なぜ小指を立てたのでしょう?)。大学にはいろいろな人がいるっていうのは本当のようです。
「幸村? なぜ突っ立っている。こっちに来ないのか?」
「あ……、えーと、すみません。びっくりしまして」
リビングに入ろうかそれとも部屋にいようか悩んでいると、小兄さんが不思議そうな顔でこちらを見ていました。そのおじさんの顔を真正面で捉えたとき、やはりこの人は怖いと思いました。ソファに腕を乗せて、とてもくつろいでいる格好だったのでそれもまた怖さを増しています。
後ろから兄さんが私の背中を押し、その怖いおじさんの目の前に突き出しました。なんという鬼畜の所業でしょうか!
「ははっ、幸村は島さんを見たことがないからな。驚いているのだろう」
「お……、おじさんは島さんというのですね。はじめまして、弟の幸村です……」
「おじ……」
「ぶっ」
私の言葉におじさん――島さんはぽかんと口を開けたまま私を凝視してきます。小兄さんはなにがおかしいのか隣で口を押さえ、噴いています。振り返ると兄さんも笑っています。父さんは……、いません。そういえば今日と明日明後日の土日は出張だと今朝聞いたような気がします。
島さんは目を細め、眉間にしわを刻み、あごを撫でながら私をじろじろと見ます。……まるで取って食われてしまいそうです。怒られるのでしょうか……。しかし私から見たら、やっぱりおじさんです。
「言ってくれますねえ」
見た目どおり、低くて迫力のある声です。しかしどこか軽さを含んでいて、あまり怒っているというようには聞こえません。できるならば怒っていないことを祈ります。
「まっ、声変わりもしてないジャリからしたら左近はおっさんですわな」
「む、俺の幸村をジャリなどと言うな。怒るぞ。叩くぞ。噛むぞ。つまむぞ」
「なあに、幸村はもうすぐ声変わりするさ。もう中学生になったのだからな」
「声変わり、ですか?」
同級生の中にも、もう声変わりをした人がいます。政宗さんもちょうど今頃声変わりしてきているようで、声をガラガラ言わせています。先輩たちもほとんど声変わりしています。身近に感じてはいたのですが、それがいざ自分に降りかかる日が来るなんてあまり考えていませんでした。だからとてもその発言に驚いてしまいました。
兄さんたちも、昔はもっと声が高かったような気がします。今のように低くなったのは、いつからでしょう……。そしてこの島さんという人にも、声が今の私のように高かった時期があったのでしょうか(ちょっと信じがたいです)。
「わっ、私も声変わりしたら、兄さんたちのようにカッコよくなれますか!」
「ああ、なれるとも! いやお前は声変わりなどしなくとも充分かわいいぞ」
「んー……、そうですねえ。幸村さんはどちらかったら三成さん寄りの顔ですよねえ? 目の形とか」
「小兄さんですか!」
「いやだ、幸村は私の顔!」
「ふん、兼続。こればかりはどうしようもないな」
小兄さんはキレイな顔立ちです。顔は細くて、鼻筋が外国の人のようにスッと通った、切れ長の目です。兄さんもやっぱり鼻筋がよく通っていて、唇が厚く、小動物のようなかわいらしい目をしています。私はまだ子供なので顔もぷにぷにしていますが、声変わりをしたらだんだん大人の体つきになっていくはずです。大人に育つ自分を想像して、とても緊張してきました。大人になるのが待ち遠しいです。
兄さんと小兄さんがまた言い合いを始めました。本当にケンカするほど仲がいいです。しかし、ケンカをしないからといって私と仲が悪いわけではありません。
楽しげに二人の言い合いを見守っている島さんを見て、一番気になっていたことを聞いてみました。
「……で、島さんはどうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
「……あ? ああ、ほんとは三成さんが俺ん家に来る予定だったんだが、父親が出張でいない。兼続さんと弟を二人っきりにしてはならん。家が火事になるってんでねえ……。それなら俺は来る必要もないんですが、三成さんも家事はできんと。で、お前が来いということで、お邪魔させていただいております」
「夕飯なんて、お弁当でも買ってきますのに……。それに火事になるほど料理ができないこともないですよ?」
「んー?……まあ、弟がかわいくてしかたがないんでしょ」
バチコン、という音が聞こえたような気がします。島さんは笑顔を浮かべてウィンクをしました。そのとき、怖い人という印象は間違いだったんだなと気付きました。とってもお茶目な人です。しかも違和感があまりないところがすごいです。私も将来、こういうダンディな大人の男になりたいものです。
兄さんと小兄さんはようやく決着をつけたのか、こちらへ戻ってきました(精神的な意味で)。小兄さんは島さんの隣に腰かけ、兄さんは頬を掻きながら私を台所へ連れて行きました。
「なにが食べたい?」
「ある物で大丈夫ですよ」
「いやいや、島さんに料理をしてもらうのだから」
「なら、島さんが得意なもので」
「あいわかった。島さーん、得意のアレ、よろしくお願いするぞー」
「……あーい……」
台所からの呼びかけに島さんはダルそうに返事をしました。島さんの得意料理はなんでしょうか。楽しみです。
兄さんに連れられ、島さんと入れ替わりで台所から戻ってきた私たちは小兄さんのいるソファに腰掛けました。小兄さんはなぜか頬が真っ赤です。それに眉間にしわを作っています。もしかして、島さんの得意料理というものは、肉料理で加熱したものなのでしょうか?
「ははっ、お楽しみのところ悪かったな」
「楽しんでなどおらぬ。まったくあいつは……、幸村がいるというのに……」
「なにかあったのですか?」
「あ、ああ、いや……、なんでもないさ」
小兄さんは嘘をつくのがとても下手です。だからこの「なんでもない」が嘘なのも私にはすぐにわかりました。しかし、私には言いたくないことだということもわかったので、それ以上は聞かないことにしました。『世の中、知らなくていいことなどごまんとある』と兄さんも小兄さんも言っていたのです。
しかし、島さんが小兄さんをいじめていたのだったら許せません。大好きな兄さんと小兄さんをいじめる人は、どんな人間であろうと許しません。ですが、小兄さんは怒っても哀しんでもいないようなので、いじめられてはいないようです。
「さて、左近の料理が出来るまでなにをしていようか」
「この時間はテレビもつまらないしなあ……。トランプでもしてるか」
「あ、なら、ポーカーがやりたいです!」
「ポーカー……、三成はべらぼうに強いからなあ」
「なに、これは左近が強いのだよ」
この間、ポーカーのやり方を教えてもらったばっかりなので、まだルールは少しあいまいですが、兄さんたちとやるトランプは楽しいので好きです(テレビゲームはあまりやりません)。
09/07