「あー……、終わった……」
回収されていった答案用紙が、いったいどんな点数を載せて返ってくるか未知数ですが、私はやれることはやりました。もはや悔いることはありません。
一日で全ての教科――五教科のテストを終え、みんな疲れきった顔をしています。前の席の政宗さんはというと、机に突っ伏したまま動きません。それほどこのテストに力を注いでいたのでしょうか。シャーペンの先で突いてみますがピクリとも反応してくれません。
「まーさむねさーん」
「あー……? なんぞボケェ〜、わしはもう寝る」
「部活は行かなくていいのですか?」
「落研なんてものはな、幽霊部員の掃き溜めよ。行っても誰もおらんのがオチじゃ」
「落語だけに!」
「……」
政宗さんはため息すらつかずに黙りきってしまいました。アホなことを言った自覚はもちろんありますが、せめてなにか一言でもいいのでツッコミが欲しかったです。
私が荷物をまとめ、「また明日」と声をかけても政宗さんはひとつも動きません。反応が無いというものはとても寂しいです。しかしまた、そこまでテストに打ち込める政宗さんはすごいです。まだ部活をやる気力のある私は、テストに対する誠意が足りていないみたいです。
「あ、幸村」
「なんですか?」
諦めて教室を出ようとした途端、政宗さんが平静な声音で私を呼び止めました。振り返ると先ほどまでの無気力さは嘘のように、シャキンと背を伸ばして座っています。表情はいたって真剣で、何を言われるのか少し緊張します。
政宗さんはすぐに話を始めず、教科書もなにも入れていないスカスカのカバンを肩にかけて近寄ってきます。どうやら昇降口へ向かうついでに話すつもりのようです。なにか深刻な相談なのでしょうか。表情を見る限りは、それほど重要な相談をするそぶりはありませんが、政宗さんはこれといっておもしろいことを言うタイプの人でもありません。
「どうかしましたか?」
「なんてことはない。新しい理科の先生が男か女か、賭けるか?」
「新しい理科の先生?」
「聞いておらんかったのか? 今の理科の先生、一身上の都合とやらでしばらく来れないと言っておったろうが。で、代わりの先生は男か女か、賭けるのか賭けないのか?」
「なにを賭けるんですか? お金はいやですよ」
「わしも金はいやじゃ。勝ったほうが、負けたほうに罰ゲームっちゅうんはどうじゃ?」
「んー……、あまりひどい罰ゲームはいやですよ?」
「お、なら決まりじゃ。ほれっ」
政宗さんの指先から、十円玉が飛びます。くるくると回って、それは政宗さんの手の甲に落ち、ぺちんと上から手を被せます。随分慣れた手つきです。でも、どうしていきなりこんな賭けをする気になったのでしょうか。政宗さんは気まぐれです。
「これが表だったらどっちにする?」
「男の先生」
「……残念だったな。裏じゃ。わしが男に賭け、幸村は女に賭ける。文句は?」
「あっりませーん」
「次の理科が楽しみだな」
「望むところです!」
それからテストの手ごたえについて話し合っているうちに下駄箱に着き、昇降口を迎えました。私はこのままプールへ向かい、政宗さんは家へ帰ります。政宗さんは「テストは平気だった」と自信満々でしたが、中学最初のテストということで少しだけ不安があるようでした(それはまったく口にしませんでしたし、私がそう感じただけです)。
また明日、と、政宗さんと別れプールへ走っていきます。コンクリートの衝撃を足の裏に感じながら部活のことを考えます。一週間もやっていなかったので水に体が浸る感覚があいまいです。
どれくらいの冷たさだったっけ? 水中の浮遊感ってどれくらい気持ちよかったっけ? 泳ぎ方を忘れてはいないでしょうか?
今日も小さい子用の浅いプールでひたすら浮いていると思います。私の学校のプールは、休日や夏休みに一般解放しているらしく、小さい子も遊べるように浅いプールがあります。夏休みに兄さんたちと遊びに来てみたいと思います。この学校は三年前に出来たばかりの新しい学校で、兄さんたちはもう少し遠い中学校まで自転車で通っていたそうなので、この学校が出来たときはすごく悔しそうでした。図書館も市立図書館と通路でつながっていて、生徒はもちろん、一般のひとも自由に使用できます。このことも特に、兄さんたちが悔しがった理由だと思います。
部活のことを考えたら、政宗さんに『萌え』のことを言うのを忘れていたことを思い出しました。しかし私自身、使いどころがいまいちわからないし、どう説明したらよくわかりません。ですからちゃんと説明できるようになったらお話しようと思います。
プールにたどり着き、更衣室の中を覗きます。水の音がするので、もう先輩たちは部活を始めているようです。
*
「ただいまー」
久しぶりの部活で、重い体を引きずり家に帰ったころには六時近くにもなっていました。部活が終わるのは五時十五分なのですが、こんなに遅くなったのは帰り道にタンポポを見つめていたせいでしょう。まだタンポポが見れるのかと少し嬉しくなってしまったのです。
家の奥からドタドタと足音がします。きっと兄さんたちです。
「おっかえりー! 幸村ァ!」
「遅かったな」
「で、テストはどうだったのかね?」
兄さんたちだけかと思ったのですが真っ先にやってきたのは父さんでした。兄さんたちを両脇に抱えるようにしてやってきました。もう大学生の兄さんたちを軽々と抱えてしまう父さんのゲンコツは、本当に痛いんだろうなと思います。
「えっと、テストはまあまあ、です。来週に返ってくると言っていました」
「そーかそーか。そりゃご苦労さんだ。あ、夕飯はモチだからな。安倍川といそべだぜ!」
「父さんはまた加熱モノをだな……。俺は熱いものが嫌いなのにな……」
「まあまあ、幸村、テストお疲れさん」
「あ、ありがとうございますっ」
父さんの夕飯のチョイスに小兄さんは文句を言い、兄さんは宥めながらも私をねぎらってくれました。たかが私のテストに大げさだとも思いますが、お疲れ様と言われて嬉しくない道理などありません。結果がこれでサンサンタル(小兄さんが使っていた言葉)残念な結果だとしても、努力したという事実があればとりあえずはいいらしいです(しかし努力に結果がつかないのも寂しい話ですが)。
自分の部屋へ向かい、制服をハンガーにかけてすぐにリビングへ向かいました。そこではすでにテーブルについた父さんと兄さんたちがいます。いつもの席――父さんの隣に座り、手を合わせます。
「いただきまーす!」
モチです。
09/07