夕飯を食べ終え、家族でテレビを眺めながらふとさっきのことを思い出しました。
「小兄さんの初恋って、本当に兄さんなのですか?」
「ああ、そうだよ。まあ私のこの男らしさに惚れない人間など男だろうが女だろうがモグリだな、モグリ」
「ぶっ」
「三成、きったねえぜ?」
三点倒立のときと同じようにツバを噴いた小兄さんは、うらめしげに兄さんを睨みつけます。そういうのってやはり、「将来ママと結婚する!」という子供心なのでしょうか。双子で生まれたのですし、なにか特別なつながりがあったりするのかもしれません。私は年が離れていますし、どちらかといえば兄さんたちは憧れの対象です。
しかし、モグリとはなんのモグリのことなのでしょうか?
「お前な……、俺の名誉を貶めるのもほどほどにしろ」
「事実だからしかたがない。忘れもしない中学生のころ……、お前は俺に、愛とはどういうものかとやたら聞いてきてな。『もしや俺はお前を愛しているのかもしれない』とまで言ったのだからな!」
「ばっ……、ちょ……、ばか! もう寝る!」
「ははっ、若いっていいねえ」
顔を真っ赤にして怒った小兄さんは、大きな足音を立てて二階へ上がって行ってしまいました。兄さんたちが中学生のころといえば私は小学校低学年です。兄さんたちが愛というものについて考えている時期に、私は鼻を垂らしてそこらじゅう駆け回っていました。私が缶蹴りをしている間に兄さんたちは悶々と悩み、私がブランコから落っこちている時、兄さんたちはあれこれ話し合っていたのかもしれません。そう考えるとなんだか妙な気持ちになります。しかし結局はどうなったのでしょう? 二人は『愛し合って』いるのでしょうか? よくわかりません。
父さんも兄さんも自分の部屋へ戻る動きを見せたので、私も部屋へ戻り、テスト勉強でもしようかと思います。
「幸村にはまだわからなかったかな? しかしもう中学生だからな。そろそろそういう時期だろうな」
階段を上りながら、兄さんは楽しげに話しかけてきました。
兄さんは『義』と『愛』という言葉をよく使います。だから『愛』に関しては達人の知識を持っているのだと思います。しかし何度聞いても答えを教えてもらった覚えがありません。『それは自分で考え、見つけるものだ』と言います。
「中学生になると『愛』っていうものについて考え始めるのですか?」
「ふむ……、時期は人によって違うだろうし、『愛』について考えるとも限らん。まあ、それは幸村次第だ」
「それがテストに出たら困ります」
「ははっ、そんなものは出ない出ない。小中高の勉強なんて自慢にもならん教養を詰め込むだけのところだからな!」
「?」
自慢にもならない教養? なんのことでしょう。学校の勉強なんて誰もがやっていて、自慢することなんてありえません。だってみんなが知っていることを同じように学んでいるだけですから。
「大学の勉強は、狭隘に知識を詰め込み、それを知る自分に満足するようなところがほとんどだ。そして上っ面を撫で回すようなことしか学ばない」
「キョーアイ?」
「わからなかったら自分で調べなさい」
「わかりましたー」
兄さんも小兄さんも、最初から答えはくれません。自分で調べることが私の力になるからだと言っていました。だから私はいろんな言葉を知っています。けれど兄さんたちが使っていた言葉を知ったからといって、すぐに使うのはなんだか知ったかぶりみたいで恥ずかしいので、ちょっとずつ使うようにしています。
キョーアイの言葉の意味がわかれば、兄さんの言いたいことが少しはわかるかもしれません。数学の勉強の前に辞書を引かなくては。
「なんだ幸村、お前、明々後日からテストではないか。勉強しているのか?」
なぜか私の部屋から顔を出した小兄さんが、数学の教科書を眺めながら言いました。そうです。いつの間にか明々後日に迫ってきています。
兄さんや小兄さんは私の部屋によくやってきます。これはプライバシーの侵害というものらしいのですが、兄さんたちと話せるのは楽しいので気にしていません。それに、周りの友達から、あまり兄弟仲が良くないという話を聞くのでこうしていろいろなことを話せる兄弟というものは本当に素晴らしいと思います。
「なにっ、テストか。よし、勉強するか、幸村」
「え? 教えてくれるんですか?」
「兼続、幸村は文系だ。お前の出る幕はない。さ、数学でわからないことがあったら俺に聞け」
「数学は大丈夫です」
「おや、珍しいな」
「政宗さんに今日、みっちり教えていただきました!」
「……伊達のとっちゃん坊やか」
政宗さんと聞くと兄さんは苦い顔をします。面識もないのにどうして知っているのでしょうか、そしてなぜ苦手なのかと不思議に思って小兄さんに聞いたら、『あのガキは幸村をいじめてばかりいるからだろう』と言っていました。私はいじめられているつもりなどないので、あんまり政宗さんを悪く見ないで欲しいものです。もちろんちゃんと説明しましたが、やはり、苦い顔をするのです。
そこで小兄さんは数学の教科書を置き、理科二分野の教科書を取り出しました。
「あ、二分野も大丈夫です。植物のお話なので」
「む……、おしべとめしべか?」
「あと、光合成とか、裸子植物とかです。おしべとめしべは小学生の頃にもやったので平気です」
「ふ……、三成、残るは英語だが」
「英語は……苦手です」
兄さんはにんまりと笑い、小兄さんに向かって手のひらを見せます。とても不服そうな顔をした小兄さんは、しぶしぶ兄さんの手のひらを叩き、バトンタッチを表現しました。
小兄さんが英語が苦手だったなんて知りませんでした。なんでも出来る(特に理数系が得意)というイメージがあったのですが、やはり誰にでも苦手なことはあるのです。
「英語なら私のほうがいつも点数が良かった。三成はいつも八十点くらいだったからな!」
苦手ではあっても、出来ないということではなかったようです。ただ兄さんのほうが得意で、点数が良かっただけのようです(八十点でも充分だと思うのですが……)。これは兄さんたちにみっともないところは見せられません。私も頑張って勉強して、良い点数を取れればいいです。
「ふん……、うるせ」
「さ、どこから教えればいいのかな」
「ええっと……、be動詞と、疑問文です」
「ああそれなら簡単だ。beは日本語の助詞みたいなものと考えればいい。『〜は』の、『は』。『he is』は『彼は』。beは主語によって単体であればis、複数ならばareになる。疑問文は『what』から文を作ればだいたい大丈夫」
「え……っと、……はあ」
「……そんな説明でわかるやつがいるか! 幸村、やはり俺が……」
「なにをっ、文法など勉強したところで意味がない。こういうのは現地に行き、耳で聞いて覚えるのが一番なのだ」
「ここは日本だ!」
なんだかよくわかりませんが疑問文は多分、be動詞を前に持ってくるとかそんな方法だったような気がします。
09/07