「行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
「気をつけろよー」
「おー、幸村、今日も一日、ケガをしないように遊ぶんだぞ」


 兄さんや父さんに見送られ、家を出ます。

 あれほど悩んでいたのがマヌケのように、あっさりと身軽な気持ちになりました。自分の思い込みで勝手に深みにはまっていってしまっていた自分が恥ずかしい。十年以上も一緒に暮らしている兄さんたちです。ちょっとやそっとではその関係は揺るがない。そのことを強く感じます。
 兄さんや小兄さんの、誰にでもあることだという言葉にどれほど救われたことでしょう。保健体育の知識としては知っていても、実際にそれが自分の身に起こると、途端に周りの目が気になってしまいます。けれど、それすらも誰にでもありうることだ、と。
 誰かと一緒でいたいとも、他人と一緒は嫌だとも思わない。ただ、この感情を共有している人がいるというだけで、私は自由になれる気がする。それは私の一方通行の解釈かもしれませんが、今の私には、それでいい。


「おーはよ」
「おはようございます、政宗さん」


 清々しいような、また一つ成長(一歩大人に近づくことが)できたような期待と緊張、それと子供であることを忘れてしまうような不安がないまぜの、奇妙な感情の中で歩いていると、政宗さんが声をかけてきました。これはとても珍しいことです。低血圧の政宗さんは、朝から私に話しかけるなんてこと、滅多にしません。
 振り返ると、あくびをかみ締めている政宗さんがのろのろと歩いています。首をコキコキと鳴らして、いかにも気だるそうです。


「憑き物が落ちたみたいな顔しよって……」
「小兄さんが言っていました」
「なにを?」
「『本当に大人である人間なんてほとんどいない。みんな子供だ』って」
「はあ?」


 怪訝な表情で私の顔を覗き込みます(私の顔には別にご飯粒なんてついていません)。
 昨日、政宗さんは私を子供だと言いました。それは真実です。ですが、ちょっとだけ大人ぶっている政宗さんも子供なのです。


「それでいいんですって。子供の心を忘れてしまった大人にはなりたくないって」
「……なんじゃそら。わしは大人になりたいのー」
「片倉先生ですか?」
「……は?」


 図星なのか、左目を見開いて政宗さんは立ち止まります。それに合わせて私も立ち止まります。
 昨日の政宗さんは意味がわからなかった。それは私が今の政宗さんのように立ち止まっていたからです。今ならわかる。きっとそれは恋ってやつなんだと思います。私が小兄さんに抱いた感情とは明らかに違う種類の、恋なんです。


「好きなんでしょう! だから釣り合う大人になりたいって思うんです。けれど、大人も子供もないし、子供だからこその魅力もあるんだと思います」
「あー……? 朝っぱらからわけわからんわ……」
「私もよくわかっていません。でも、それでいいんです。私たちはなにも知らないけれどたくさんのことを知っていて、見えないものを模索し続けるんです」


 自分で言っていて、いろいろと矛盾してきてしまいました。ですが、これが今の私の精一杯。まだたくさんの言葉や感情を知らない私の言葉です(こんな言葉でも、不思議と今の私の感情をこれ以上にないほど表現しているように思えるから不思議なものです)。


「……お前は、お前んとこのニーチャンらみたいに小難しいことばっか言いよって……。わしゃ知らん。あるがままに生きるだけじゃ。それが大人であろうと子供であろうと。だが、大人になり」
「それでいいんですよ! 『木が木であるようにただ木を書く』んです!」
「なんじゃそらあ?」
「早く学校行きましょ」
「……意味プーさんじゃ」


 眉間をぐりぐりと揉み解し、走り出した私を追いかける政宗さんが、なんだか妙におかしく思え、いつのまにか笑っていました(これが、箸が転がっても笑う年頃というやつなのでしょうか)。その私に怒ったのか、政宗さんはカバンを振り回しながら私を追いかけてきます。

 それを必死に避けながら、私たちは校門をくぐりました。







09/07