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「そのとき、確かに私は体の妙な昂ぶりを感じ、自分に怯えていました。そして目が覚めると、夢精していました。……自分が醜くて、汚らしくて、ずっと、小兄さんの顔をまともに見れません。兄さんも、こんな私を、軽蔑しますか。自分ですら認められないこの私を」
言葉にすると、その恥ずかしさが身を引きちぎりそうになります。ですが、それは偽りの無い真実です。いくら婉曲(と、以前兄さんが言っていました)な言い回しをしたところで、それは私を惨めにするだけです。まるで自分をかわいそうと思っているようで、自分が傷つかないようにしているようで、ナルシシズムの自虐行為のようです。
兄さんは顔色も表情も変えず、私の話を聞いています。小兄さんと違い、兄さんはポーカーフェイスがとても上手です。そのことを思い出し、不安になってきました(今さらなんて、愚かすぎる)。
「幸村……、私は、どこで幸村が自分を軽蔑したのか少しわからないのだが」
「……え?」
「別に、年頃の男の子なら普通だろう。むしろ、お前は少し遅かったくらいだと思うが。エロチシズムな夢やシーンを見た朝に夢精など、なにを恥ずかしがる必要がある。……ああ、そうか、精通か。初めてなら、びっくりするだろうなあ。それも島さんと三成じゃあ。私も昔は、三成を見ててそんなこともあったさ。逆もあったんじゃないかな? もちろん、自分を軽蔑もしたかもしれん。……だが、それは自然なことだ。そういう生き物なのさ」
否定されると、思い込んでいました。ですが、それは普通のことだ、と、自分もそんなことがあった、と。その言葉は、どれだけ心に絡みついた重荷を洗いざらい流してくれたことでしょうか。
「誰だって最初は怖いし、驚くものだと思うな。そして『自分はなんていやらしいやつなんだ』とも思うかもしれん。しかしそれは自分では抑えられないものだ。次第に受け入れられるようになるさ」
「……私は、この変化についていけません。まだ、子供です。でも、大人になりたいとも強く思わなくなってしまいました。けれど、体は否応なしに大人へなってゆく」
どれだけ抵抗しても、いずれは本当の大人へとなってゆく体。その体の変化に取り残された私。それでも必死に背伸びして大人になろうとする心と、子供でいたいという心。その全てが緊密に絡み合い私という人間は成長してゆく。
兄さんは笑い、そっと私の肩を抱きます。手は柔く、小さな子をあやすように私の背を叩きます。小兄さんと同じ、シャンプーの香り、ボディーソープの香り。
「『木がただあるように木を書く』」
「木が……?」
「フローベルというフランスの小説家の美学だよ。『木が存在するのは目的があるからではなく、ただ存在するだけである』……、フローベルはリアリスム派か? はたまた象徴主義か? いいや、フローベルにとってはそんなこと、つま先ほど興味もないことだ。小説もまたただ存在するだけである。それがフローベルの美学だ。目的など、必ず持っている必要はない。理由など、どうしても必要なわけではない。ただ、そう、あいまいな現実を享受するだけだよ」
「あいまいな、現実を」
「『文学史においての定説をあまり信じてはいけない』人間も同じことだ。定説に囚われてしまっては、色盲のようなものだ。『実の兄に対し欲情すること』を不義とするのは定説だ。しかし、近親相姦なんて言葉もある。別に悪いことじゃない。男同士でも、女同士でも、親子でも兄弟でも。愛さえあれば。人間は理性と本能で生きるのだから、定説を作るのも無理はないかもしれないが。……怖いことは誰にでもある。誰でも、最初は怖い。しかしそれを人に言うのは恥ずかしいと思ってしまう。……よく言ったな」
肩越しに伝わる暖かさと、その手のひらの温かさにいよいよ泣き出してしまいました。
子供でいたい、大人になりたい、ごめんなさい、ごめんなさい。
そのわだかまりが、一人で悶々と悩んでいたときよりもずっと柔らかくなりました。兄さんはとても、暖かい。小兄さんも。
「ああ、よしよし。泣きたいときは泣きなさい。兄さんの広い胸で受け止めてあげよう。三成も……小兄さんもそうしてくれる、きっと」
「……ありがとうございます。私は、自分のことしか考えていられませんでした」
「他人のことしか考えられない人間なんて、欺瞞さ。……三成のところへ行っておいで」
「はい!」
ぽん、と兄さんは私の背を押します。そのまま私は小兄さんの部屋へ向かいました。しかし部屋にいなかったので、階段を降り、リビングへ向かいます。そこで小兄さんはソファの上で膝をかかえ、ぼんやりとテレビを眺めています。父さんは小兄さんが何も言わないのをいいことに髪の毛を三つ編みにしたり、ポニーテールにしたりとやりたい放題しています。
私は迷わない。偽らない。
「小兄さん」
「ん……、あ、幸村?……なんだこの髪は!」
「やっべ! 俺ァ夕飯作るから失礼するぜ!」
「こらっ、……まあいい。どうした」
先ほどのことを気にしているのか、小兄さんはそっぽを向き、ぶっきらぼうに言います。当然です。私は小兄さんの好意を自分勝手な感情から放り出してしまったのです。
台所から包丁の軽快な音が響いてきます。
「……さっきは、ごめんなさい」
「いや、あれは俺が空気を読んでいなかっただけだ。気にするな。お前にもひとりになりたいときくらい、あることを忘れていた」
髪を直しながらも、私を見ない小兄さんの隣に腰掛けます。小兄さんはちらりと私を見て、それから手櫛で髪を直し始めます。
「……島さんが来た日の晩、私は小兄さんの部屋の中を見てしまいました」
「へっ?」
「正直、とても怖かったのに、朝起きたらしっかりと夢精ですよ。……だから私は小兄さんの顔を見れなかった。そして私はそれを黙っていた。……罪悪感で、いっぱいでした。声を殺しても心は生きています。そんな反応をする自分が許せなかった。けれど自制することもできませんでした。……さっきも、半裸の小兄さんを見て、多分、妙な気持ちになってしまっていました。……本当に、ごめんなさい。私は、決してそんなつもりはないのに、心臓はドキドキしますし、顔に熱が集まってしまう。……そんな目で見るつもりなんてないのに、どうしてかわからない。どうすればいいのかもわからない」
今度は、私は小兄さんの顔を見れない番です。
ただひたすらに自分の手のひらを見つめている。握って、開いて、指をくるくると回して、この緊張をどこかへ逃がそうとしている。
「……ばか正直だな。そんなこと、普通いちいち報告しないだろう」
「……そう、ですか」
「しかし、それが幸村なのかもな。別に俺はそんなこと気にしない。左近とのセックス? なら今度最初から最後まで見るか?……いや、やっぱりやめておこう。しかし、いずれ言うつもりだった。ただ幸村は、まだそういうことには疎いというか、興味がないというか、そういう様子だったから言っていなかっただけだ」
この、妙な気持ち。
(ああ、もしかしたら私は、兄さんも知っていたのに私だけ知らない、知らされていないということに、醜い嫉妬をしていたのかもしれない)
「男なのだから、たとえ相手が女でなかろうとセックスの瞬間を見たら驚くだろうし、多少なりとも興奮するものだろう。AVなんかがいい例だろう?……年頃の子供は箸が転んでも笑うという。なにを見てもエロいだとかいう年頃だってある。そんなこと、特別なことじゃあないだろ」
「……ありがとう、ございます」
良い、兄に恵まれました。兄さんも小兄さんも、私を責めず、それが普通だと言ってくれた。
こんな、素敵な大人になりたい。けれど子供でもいたい(そのあいまいな状況におかれた中学生)。
「大人になるのが怖いか?」
「え?」
「精通や、声変わりは大人になっていっている証だ。しかしそれは体だけ。心は子供のままなのに体はどんどん大人へなってゆく。それが怖いか?」
「……怖い、です」
「それが普通だ。しかし忘れるな。……俺も、兼続も、父さんも、一生子供だ。大人になれる人間など、いないようなものだ」
「……はい」
本当に、『大人になれる』人は、いないようなもの。誰もが、子供心を持っている。ずっと、子供で、大人。
「父さん、夕飯は赤飯にしよう」
「えー?」
「幸村がオメデタだ」
「お、そりゃめでたい」
09/07
(アッサリ)