……。
昨晩、父さんが帰ってきて島さんを見て驚いていました。すかさず兄さんが説明を加え、父さんは快く島さんを迎え入れます。今晩は、父さんがいるからあんなこともないはずです。そのことに少なからずほっとしました(私はなにを考えている! 私に二人のことに口出す権利などありやしない!)。
今朝、私は一番に家を出てきました。きっと兄さんや小兄さん、島さんは一緒に大学へ通うのでしょう。島さんに「車があるからついでに送っていきますよ?」と言われましたが、私の学校の時間に合わせるのは悪いと言って断りました。本当は、島さん(と小兄さん)を見ているとあのときのことや、私を思い出すので嫌だっただけです。
結局二人には私が見たことは言えませんでした。それを口にすることは、とても悪いことのようで、それでいて小兄さんと私が以前のように仲良くすることができないような気がしたからです。盗み見をしたことを責められたら、私はなにも弁解できない。次の日の朝のことも知られてしまったら、私は恥ずかしさのあまりもう二度と部屋から出られないかもしれません。兄さんにも『不義』と言われてしまうかもしれない(こういうことを『保身』と言うのだと思います)。
「ふっふーん、わしの勝ちじゃな?」
「そうですねえ……」
「罰ゲームはなんにしてやろうか」
「……ええ」
「……話を聞けッ!」
「伊達、うるさい」
「……すんまへん」
学校に着いてからもそのことばかりを考えています。政宗さんがなにかを言っていたことは覚えているのですが、なにを言っていたかはよく覚えていません。それに怒ったらしい先生が政宗さんを注意したようです(ああ、今は授業中なのですか)。
「……で、聞いてたか?」
「……いえ、すみません」
「賭けじゃ、賭け。理科の新しい先生は男。片倉小十郎。わしの勝ちじゃ」
「……ああ、そうですか」
「そうじゃのう、罰ゲームは……」
そんな賭けをしたことが、ずっとずっと昔の話のことのようです。
実際には木曜日の話ですので、たった四日前の話です。金曜日は普通に学校へ行って、なんの変哲もなく授業を受け部活をして、家へ帰ったら島さんがいた。その日の晩に(実際には夜中の二時頃だったので次の日なのですが)小兄さんと島さんが……。体が妙に熱くて、なにが起きているのかわからず恐怖に震え、そのまま寝てしまい、朝になると……、はあ。それから階段から落ちて、部屋にこもりがちに一日を過ごし、日曜日も同じように過ごし、父さんが帰ってきた。そして今日、学校です。
どれだけ時間を使い、考えてもわかりません。
小学生のときだって保健体育はありましたし、自分に起きたことはある程度はわかっています。ですが、なぜ?……なぜ、小兄さんと島さんのそれを見て?……やはり自分が気持ち悪い。それが罪悪感の正体なのでしょう。
実の兄のそんな姿を見て、寝た結果が夢精だなんて! あんまりだ! 私にはそんな気なんてちっともなかった! 笑顔で「仲が良いっていいですね」と言えればよかった。それなのに、なぜ!
「……ちゅうとこでどうじゃ?」
「え?」
「……お・ま・え・と・い・う・や・つ・は!」
「伊達!」
「……すんまへん」
政宗さんはまた先生に怒られました。片倉先生。怖そうな男の先生です。唇をとがらせて、不満を顔いっぱいにした政宗さんですが、静かなら先生も怒りません。
「で、だな。罰ゲームじゃが。委員長のスカートをめくる、でいいだろう」
「……はい?」
「だから……」
「いや、わかりますよそれは。……私が、そんなことをするのですか?」
「罰ゲームだからなあ」
「嫌です。絶対に。やりません。やりたいならご自分でどうぞ」
「わしは別に見たいわけじゃない! ただ罰ゲームだからお決まりの……」
「伊達ェ!」
「……すんまへん」
以前に兄さんが言っていた『山犬は学習能力がない』とは、今のような状況のことを言うのかもしれません(私の友達を『山犬』呼ばわりする兄さんはすごい)。
ただでさえ、自分の中で妙な葛藤をしているというのに、今はそういうハレンチなことは絶対に避けたいです。やりたいなら自分でやってほしいです。罰ゲームという名目で私にやらせるなんて卑怯です。
「……なにを怒っとる。お前が怒るとは、明日はロンギヌスの槍が降ってくるかもしれん」
「絶対に、その罰ゲームは嫌です」
「今日のお前、少しおかしいぞ」
人の気も知らないで、よくそんなことを……、いや、こんな八つ当たりはやめましょう。誰にも喋っていないのだから知らないのは当然です。知っていたらむしろ、怖いです。
すっかり興が醒めてしまったのか政宗さんは大人しく机に向かい、しばらく授業を聞いているようでした(ですがすぐに机に突っ伏してしまいました)。片倉先生はもはや何も言わず、おしべとめしべの話をしています。ミツバチなどが花粉を運び、受粉させると。黒板に描かれた柱頭の絵……、ばか! 私はなにを考えている! 気持ち悪い!
なんなんですか! この間から、変なことにこじつけて考えてばかり! こんなこと考えているのはきっと私だけです。恥ずかしい。穴があったら入りたい。いつから私はこんな、恥ずかしい人間になってしまったのでしょう……。少し前まで、あの日までそんなやましいことなんて、考えたこともなかったのに!
頭を掻いてみたり、シャーペンを転がしたり、指先に芯を刺してみたり、消しゴムで机をコンコン叩いてみたり、ノートにひたすら「気持ち悪い」と書き続けてみたり、貧乏ゆすりをしてみたり、かと思ったら足を押さえてみたり、手を握ってみたり開いてみたり、意味もなく腕を組んでみたり、ノートの「気持ち悪い」を爪でガリガリと引っかいてみたり、落ち着きのない行動をしている私を片倉先生はひと睨みします。だから私は対象をもっと目に付きにくいところに変えました。口内を少し痛い程度に何度も噛んでみたり、唇を曲げてみたり、髪の先を指でいじくってみたり、下唇を噛みしめてみたり。
ああ、それでも落ち着かない。
考えることをやめようとしても、考えてしまう。
罪悪感は小兄さんと島さんに対してだけではなく、自分に対しても持っていたのかもしれません。こんな、醜い人間になってしまっていた私に。
大人になるというのは、こういうことなのですか?
最近ノドがいがらっぽい。それは、大人になるということなのですか?
自制が利かないというのはまだ子供だということなのですか?
大人になるとは、どういうことですか?……中学生は、まだ子供ですか?
「……やっぱり、お前、変じゃぞ」
そう、私はおかしい。
(返ってきたテストは、意外と良い点数だったのですが覚えていません)
09/07