Paphiopedilum





俺の家には神様が居ついた。
シャンペンハウエルとかいう……、なんだか、変な、気持ち悪い、よく喋る神だ。なんでもこの神が言うことには、俺はミツナリでこの世の不義を討つという選ばれた人間だとかなんだとか。
しかし、散々言ってきたが俺はミツナリではない。
いい迷惑だが、俺でも不義(オッカム)を討つことができたので、意外と誰でもいいんじゃないか、とも思う。確かに昨日は兼続に圧されて意味のわからないことをしたが、一晩寝て出した結論はいたって簡単だ。

俺はばかか。

なにをこんなやつの口車に乗せられているのだ! 選択肢があるうちは自由ではない!(そもそも選択すら迫られなかったが)
それにこやつ、押し入れのなかで寝ているが(青いタヌキか!)、帰らないのか。神ってもしや、暇人なのではないか。
起こして追い出したいのはやまやまだが、果たしておとなしく出ていくだろうか。いいや、無理だ。こいつはひとの話をこれっぽっちも聞きやしない。聞いたとしても、スプーンのように歪曲させてから処理するやつだ。


『不義がひとつだなんて誰が言ったんだい? 世界中の不義があーんなちっぽけなものに収まると思ったら大間違いだ。むしろあれは、中小企業の一角、氷山の一角のようなものだ。お前はこの世の治安と義を守る義レンジャーレッドになってもらうぞ!』


ああ……、これが現実だって?
ブルーもイエローもいないのに、レッドだと?
……というわけで、朝から胃腸薬と頭痛薬に世話になりっぱなしである。不義も腹がたつが、この神とやら、不義以上に腹がたつ。
それにどうやら、単純な人違いではないようだ。不義を討ち続ければ思い出すとあいつは言った。
これは、『少女マンガお約束シリーズ〜生まれ変わったら一緒に幸せになろう……〜』フルコースだな。まだ決まったわけではないが、俺のなかの少女マンガに対する妙な反発がそう告げている。そして前世の俺の名前がミツナリとか? ああ歯痒い。
しかしなぜ『歯痒い』のだろう。歯なんて骨の一部で、痛みもこそばゆさも感じないのに、『歯痒い』? 歯茎ではだめなのだろうか。
飽くまで憶測の域を出ないが、歯はいくら引っかいても痛くはない。だが、歯と歯茎の中間点が妙にむずむずする。しかし歯を掻いてもまったくの無駄だ。だから『手を出している(あるいは逆)のにまったく効果がない』ことが『歯痒い』……などということはないだろうか。後で調べよう。
いやまてよ。
確かこの神は『全知全能』と自称したな。押し入れに放っておくよりも有効に使えそうだが、起こしたくないな。ああ。
そういえば、こんな『歯痒い』ことについて考えているが、昨日は神がやってきたこと意外は特別、言葉遊びをしていないな。普通に朝に起きて、普通に学校に行って、普通に帰ってきて……。

「学校!」

頭から血が噴き出しそうだ。なにも考えずに時計を見て眩暈を覚えた。しかしフラフラしている場合ではない。『歯痒さ』について考える暇があったら時計を見ればよかった! 時間とは無情である。
ともかく部屋着を脱ぎ、ほとんど素っ裸で部屋を駆け巡った(ワイシャツが見つからない!)。

「なんだ三成……」
「!」

兼続が襖を開け、寝ぼけ眼で顔を出した。
なにに驚いたかって。

「きゃっ、ハレンチ!」

スパーン、と音を立てて襖が閉まった(神は神に都合のいいときだけ物理的介入が可能になる)。
俺は無我夢中で襖に飛び付き、こじ開けようと丸い窪みに手をかける。しかし内側から押さえているせいかピクリともしない。

「ワイシャツ! それは俺のワイシャツ! なぜ貴様が着ているのだ!」
「スッポンポンのひとが襲い掛かってくるーたーすーけーてー」
「おちょくるな!」

完全に楽しんでいる。愉快犯だ。
神はひとの世のしくみをどこまで知っているというのだろうか? 俺が八時半までにこの家を出なくてはならないことを知っているとでも? 今が八時十五分だとご存知か?
苛立ちが頂点に達し、大声で叫ぼうとしたその時、部屋のドアがけたたましい音を立てた。

「こんな時間だっていうのになにバタバタギャーギャーしてんだい!」
「かっ……母さん」

母さんだ。とんでもない鬼の形相だ。
俺は母というひとになぜか逆らえない。しかし俺も高校生。今は反抗期真っ盛りだ。

「勝手に部屋に入ってこないでください」
「朝っぱらからそんなカッコで、はしたないわね!」
「変な勘繰りしないでください」
「早く降りてらっしゃい。静かにだよ。朝ご飯はアンタに足りない小魚だからね」

そう言って母さんはドアを閉めた。朝から怒られた。これも全て神のせいだ!

「ほほう、おねね殿ではないか」

襖からひょっこりと顔を出した兼続は、興味深そうに目をしばたかせた(神は都合で物理的概念を破壊する)。
神から母さんの名前が出たことに驚いた。しかも名前を知っているだけではなく、なにやら馴染み深そうな色を帯びている。

「母さんを知っているのか?」
「ふ――、お前はやはり三成だ」
「だから違うと言っているだろう。俺の名は……などと言っているバヤイか! 俺のワイシャツ返せ!」
「ははっ」
「なにを笑っている、バカモノ!」

今度こそ気持ちよく襖を開け、ワイシャツを奪い返し、急いで制服を着込んで部屋を飛び出した。
朝ごはんに小魚が出たが、やはり苛立ちは治まらない。
愛犬のトリとニワの頭を撫でて、ようやく少し落ち着いた。





07/20