もう大丈夫、僕が君を巣食ってあげるよ!
そういえば、俺は妙に潔癖な人間のようだ。自分はかれこれこういう人間だと主張する人間にろくなやつがいないと聞いたことがあるが、その通りかもしれない。
どうにも、不正だとか、不当な悪口のように筋の通っていないものを見ると、腹が痛くなる。昔にかき氷を食べたあとにラーメンを食べたら、ひどい吐き気と腹痛で一日入院したことがあるが、あのときと似たようなものを体験する。
ところが俺の許せないところは、そうは思っても実際にたいした行動に移せないという卑怯な点だ。学校生活のうちならばまだ糾弾は可能だが、テレビによって教えられる不正にはなにも手が出せない。
これは情報の歪曲を恐れているにほかならない。
実際にニュースとして流れる情報がどれほど正確なのか、受け手は知ることができぬ。アナウンサーの読み上げ方や、言葉の選び方、映像。情報は、どれもがもっともらしい嘘だ。
できれば俺は、自分の目と耳で確認し確信した後、真正面から糾弾したい。しかしそれは、できないのだ。できるはずなのに、しない。なぜしないのか。むだなのだ。ただの高校生である俺が調べるには限度もあるし、こんな有権者ですらないこどもの言うことなど、寝耳に水、馬の耳に念仏だ。
そうやって、できない理由をあれこれ考えるつまらない人間だ。そうだ、俺はどこにでもいるつまらない人間だったのだ。
その俺が今、非ィ現実的な存在となっている。奇天烈な服を来て、やたらに大きく重たい扇を手に、この世の不義と対峙しているのだ! 間接的にしろ、有権者の税金で豪遊するあそこらへんの人間や、たかだか体育祭の色分けクジでズルをする学生や、一に利益、二に利益のつまらないテレビをつくるあっちの方の人間の業を、不義をこの手にかけることができるのだ!
これは素晴らしき優越感だ。俺がこんなことをする立場になろうとは!
ミツナリであろうが俺であろうが問題はない。兼続はじきに思い出すと言ったし、前世などどうでもいい。俺が実際に、俺の腹痛の原因を滅することができるのだから!
少し俺は気難しく考えすぎていたようだ。考えても聞いても答えは出ないのだから、ただ待てばいいのだ。短気な俺にどれほど待つことができるかわからないが、できうる限り待とう。
「現れるぞ、不義の塊が」
ふん。ここは決闘の場に相応しい。夕暮れ時の海辺なんて、不義もなかなかオシャレだな。
兼続の緊迫した物言いに息を呑んだ。兼続は波が永遠のやりとりをする海を見ている。不義は海から現れるのか。
「いいか、不義が現れたら迷わずチャージ1だぞ」
「義ビームだな」
このドデカイ扇の使い方はあらかじめ聞かされている。待っていろ、この世の不義畜生ども。俺のストレスと腹痛と被害者の怨みが尋常ではないこと、思い知らせてやる。
そうして緊張すること、十分は経った。不義は現れない。もしや、俺はこの男に 担がれたのではないだろうか。しかし変身も空を飛んだことも事実だ。
「おい、本当に不義は来るのか」
「今ちょうど大陸棚に差し掛かったところだ。あともう十分もすれば現れるだろう。気を抜くな。油断した瞬間、お前の負けだ」
「ふん」
大陸棚は、ちょうど地面が緩やかに深くなりはじめるところだったな。水深二百メートル程度で、プランクトンが豊富だったか。
しかし不義はなぜ海からやってくるのだ。確かに、最初の原始生物は海のブラックなんたらという場所から生まれたという説が有力のようだが、不義はひとから生まれるものではないか。ならばもっと都会の喧騒であるほうがよっぽど自然だ(しかしこの格好ではとてもとても)。
もしや、不義は不義でも魚の不義っ? 俺は魚の世界など知らんぞ、俺に魚の不義を討てというのか!
「来たぞ!」
兼続の掛け声に気後れしながら、義ビームを発射しようと標的を見定める。どうやら俺が予想していたよりも小さい生き物らしく、どこにいるか探すのに手間取った。
ようやく見つけた標的・不義の全貌が明らかになる。
「ちっ」
「ち?」
「チワワっ!」
不義とは愛くるしいものだったのか。海から現れた不義は巷で人気のチワワであった。
今からでも遅くない。言っておこう。
俺はチワワが大好きだ。
チワワ・イズ・ラブリー。イフ・ゼア・イズ・チワワ・ア・ウォーズ・ダズント・ハペン。
最初見たときは、なんだこのガイコツと思った。しかし、この腕に抱いて初めてその小さな体に秘められた偉大さを知ったのだ。俺の家にもチワワが二匹いる。
いくら不義であろうと、チワワは討てぬ。むしろ、俺はチワワを見ると駆け寄りたくなる習性がある。
「待てっ、三成! 悪しきものは大概、善良で悪意のかけらもない偽りの姿を、側面を持っているのだ!」
「チワワを悪く言うな」
「考えてもみろ!」
チワワを抱き上げながら、振り返る。地面にひざをついたせいで濡れてしまったが、あまり不快に感じなかった。
「そのチワワは日本海溝を越えたのだぞ! 徒歩で!」
「!」
日本海溝、聞いたことあるぞ。深いところでは八千メートル近くもあるという、あの、深海魚がたくさんいそうな恐ろしいところだ。
「ばかを言うな。チワワにそんなことできるわけないだろう」
「チワワではない、不義だ! さあその不義を捨てろ!」
「お前にはっ、このチワワのうるうる目が見えぬのか!」
「!」
チワワは一時期、CMでとてつもない人気を博した言わば時の犬だ。人気を得るということはそれなりの魅力が必要であり、多くのひとが魅了された。この男がその型に当てはまらない理由があろうか? いいや、ない。
俺の家もトリとニワも、その計り知れない愛くるしさからよく俺を再起不能にさせる。
「? どうした、オッカム」
「もう名前をつけているのかっ」
オッカムの様子がおかしい。日本海溝を渡ったせいだろうか、ぶるぶる震えている。深海は太陽の光が届かないから、寒くて暗いらしい。そして独自の生態系を築いている。
そんな世界をこのチワワ一匹が歩んできたなんて……、不義というもの、まっこと許すまじ。
「バカナリッ! さっさとそいつを捨てろ!」
捨てる前にチワワが俺の胸から飛び出して、なんだか頬がピン、とした妙な痛みを訴えた。
07/20