倫理撲滅
今さらだが、この兼続という男の外見について触れておこう。近頃の若い男子に多い、あるかないかの瀬戸際という流行りの眉に対し、この男の眉はしっかりとほどほどの濃さと太さを持っている。それも手入れをしていないぼさぼさではなく、几帳面に整備された品の良い眉だ。いい男というものは、眉と目の幅が狭いほどりりしく、また好青年に見えるわけだが、この男はまさにそれだ。対して俺は、もとから憧れの眉とは正反対に、細い上に薄く、吊りあがったいまどきの眉だ。
眉だけで随分語ってしまったが、俺は兼続のような太く、精悍な眉に憧れている。
そして兼続は、華奢な体とは言いがたいが、その体からは不釣合いな低い声をしている。声というものは、細身であるほど呼吸も細く、声は少し高いものになる。訓練をすれば色々な幅の音も出るであろうが、まさか、『神様』がそんなことをするなんて。
ともかく、華奢とも筋肉質と言えない中間の体型にしては、妙に声が低い。
身長は少し俺よりも高い。俺は低いほうではないが、けして高いほうでもない。しかし、まだこれから成長するのだ。それに対して兼続は最低でも九十年は生きているのだから、もう成長の見込みはないだろう。いずれ俺が越えるだろうな(しかしそれほど長い付き合いをする予定は毛頭ない)。
顔のパーツの配置も悪くはない。人並みか、それの少し上くらいか。きれいな逆三角形の輪郭で、鼻筋は通っているし、少しはれぼったいアヒル口はなかなか魅力的に見えるだろう。しかし俺の好みの顔立ちではないからこれといって興味はない。変な意味ではなく、同性であるぶん、同性の顔立ちにはやたら敏感になるのだ。
髪型は、前髪は額の真ん中でわけてあり、盛り上がっている。左右に垂れる髪は耳の下あたりに几帳面に切りそろえられ、なにか喋るたびにパサパサと揺れる。後ろの髪は長いらしく、女子高生のようにお団子にしてあった。
しかし一番興味を引くのはやはり、その奇妙な格好だった。全体に白を基調とした目立つ格好だ。なんと例えればいいのか、そうだ。時代劇というには派手すぎるが、上に羽織っているものの中には確かに甲冑らしきものが装備されていて、手の甲までを籠手のようなものが覆っている(背中の肩甲骨あたりまでの短いマントにでかでかと『愛』と赤字で書かれていたことはあえて記憶から削除した)。
顔や髪型、声までは普通の人なのに、格好だけが奇天烈なのだ。マンガやゲームだとか、そういう世界からひょこっと出てきただけのような、そんな浮いた存在だ。
そういえば、世の中にはオタクという種類の人間がいて、行きすぎたオタクとなると好きなキャラのコスプレをして、そのキャラになりきって行動し、警察沙汰にまで持ち込んだ事例が何度かあったと聞いたことがある。もしや、こいつはその類で、俺に似た顔のミツナリも同類で、そんな穴があったら入りたいようなことを俺の顔をして平気でしているのだろうか!
だが、その不安もたった今なくなった。この現実が本当に現実ならば、これは夢か兼続は神だ。だから、これはまったくの虚偽であるか、あるいは新しいストーリーのプロセスなのだ。
「お、おい。本当に変身したぞ」
だが、これは夢だ。そうでなければ変身などしない。こんな荒唐無稽な夢を見るなんて、俺の脳内はよほどストレスでパンパンらしい。
神なんているものか。それも、こんな、あまりにも人間ではないか。
変身しなかったならば、兼続はただの妄言を吐く頭のおかしいやつであり、警察を呼ぶだけのことだが、事実俺は変身した。だからこれは夢だ。
「あたりまえだ。私がレインボウな能力を与えたのだからな」
レインボー? 七色?
この夢はいつ終わるのだ。しかしここまで、これは夢だと言い続ける根拠はあるのか? いいや、ない。しかし同時に、兼続が神であるなどという根拠もない。生きているうちに根拠のあることに出会えるなど、そうそうないことと思ってはいるが、根拠がほしい。これが夢であるという根拠が。
「俺は夢を見ているんだ。はやく目覚まし時計が鳴らないだろうか」
ここで、俺の変身後の格好についても触れておこうと思う。
ひざ下までの長いマントみたいなマント(マントだな)。ノースリーブをひざ下まで伸ばして、前をぱっくり、コートのように開いた白いマントだと言ったら、少し想像できるだろうか(マントよりコートのほうがしっくりくるな)。
袖は鮮やかな赤よりピンク味の強い着物の袖だ。俺もいったい、どういう構造になっているのか理解しがたいのだが、胸元を見ると二重の黒い、これはなんというのだろうか。着物の前の部分。衿、とも違うのだろうか。ともかく着物っぽい(俺は着物とは無縁だ)。
そしてそこまでならばまだ、まだ許せようが、下が問題なのだ。
黒、赤、白という鮮やかなトリコロール柄のどてっとしたズボン!
これは、おとぎ話の王子様のかぼちゃズボンに白タイツや、クラシックバレエの男優の下半身にも引けをとらないほどの衝撃的な格好だ。
こんな柄のズボンをはいて、どこへ行けというのだ!
「夢? なにを言っているんだ。すべて現実だ。それに、前に言っていたではないか。『俺はあまり夢を見ても覚えていないたちだ』とな」
兼続のその台詞は俺の興味をそそるのに十分な要素を孕んでいた。
「なぜ知っている?」
「お前本人から聞いたのだが」
俺とこいつは完全なる初対面のはずだ。それにこいつは根底を間違えている。俺はミツナリではない。
偶然の一致ということも考えられるが、難しい。
夢に関して違ったように解釈している人間は意外と多い。夢というものは、ひとが眠りにつけば必ず見るものだという。それを起きたときに覚えているかいないかだ。覚えていれば「今日は夢を見た」と言い、忘れていれば「今日は夢を見なかった」という。だがそれは違うらしい。
夢というものは誰もが必ず見る。
だから俺は、『夢を見ないたちだ』とは言わずに『夢を覚えていないたちだ』と言う。
こんな奇妙なこだわりを持っているやつなど、あまり多くはいないだろう。俺の我の強いこと。
ミツナリは俺と似たような思考をしているか、あるいは、俺は『俺』ではなく、『ミツナリ』という存在なのではないか、という俺の根幹を揺るがす疑問すら湧いてくる。
「まあ、おまえ自身がそう言っていたのだよ」
「腑に落ちんな」
「だが、事実だろう」
「さあな」
「まあ夢と思い込むのもひとつ。夢ならば夢で、パッとやってもいいだろう? さあ、不義を討とう!」
夢であろうが現実であろうが、俺はこの男と少し行動を共にせねばならないと思うと、気分と肩が重くなった。
07/20