タブロイド思考





しかし困った。左近を両親になんと説明したらいいものか。チワワが人間になりました。なんて言ったらどんなことになるのか、想像がつくような、つかないような。あんなに可愛かったチワワがおっさんになった! と、大騒ぎになりそうだ。散歩にもつれていけるようないけないような。
でも一応は二足歩行しているし、監視しながらなら連れて行けないこともない。
現実と非現実は隣り合わせだ。

「ばふっ」
「……よしよし」

おっさんと言えど一応は犬なので頭を撫でる。うーむ。危ない趣味を持っている人間みたいだ。
兼続は今、幸村に連れられどこかへ行ってしまった。どういう討論が行われているのか想像がつくような、つかないような。しかしよもや俺には関係ない。
培養槽に浮かぶ脳、俺の見ているものすら『俺の目』が見ているかもわからない。俺の見ているものは、“見せられた”幻覚なのかもしれない。もはや『俺』は自我のみの存在かもしれない。その自我すらも薄れているのかもしれない。
体の自由がきかない。俺の体はもう、水槽の中の脳に乗っ取られた!(そもそもこの体はもともと俺のものだったのだろうか?)
虚偽記憶かもしれない。『俺』の記憶は誰かに植え付けられたもの? 誰が、なんのために? 世界は、実は五分前に始まったのではないか、という無意味な仮説と変わらない。
『時間は無限、物質は有限』循環するのだ。無限にある時間のなかをひとは有限に生きる。そしてまた、同じことをくり返す永劫回帰。
そうだ、永劫回帰なら! 永劫回帰なら俺は、兼続の前提を覆すことができる!
この二〇〇七年某日十七時二十分、『俺』は『俺』を失う感覚に囚われる。左近を眺めながら、ひたすらに俺は、悪循環する。次の瞬間に俺が死んだとしても、俺はまたこの二〇〇七年某日十七時二十分、『俺』は『俺』を失う感覚に囚われる。左近をながめながら、ひたすらに俺は、悪循環する。次の瞬間に俺が死んだとしても、俺はまたこの二〇〇七年某日十七時二十分、『俺』は『俺』を失う感覚に囚われる。左近をながめながら、ひたすらに俺は、悪循環する…………。
『俺』は『俺』が生まれたときから『俺』でしかありえない! 誰かの生まれ変わりだとかそんなものではなく、『俺』は『俺』としてずっと、『俺』の生をくり返すのだ! 寸分の違いもなく、ひたすらに。ビデオテープをくり返し見るように、『俺』は『俺』をくり返すのだ!
『俺』の人生を否定してはならない、然り!

同一性すら失われていく。
俺ならば考えないようなことも平気で考える。脈絡のない言葉が現れる。
心身二元論は嫌いだ。俺の心と体は一体のはずだ。俺の心は、体が死んだときに死ぬ。それだけで十分ではないか。
因果的閉鎖性の沈黙。神の介入。『奇跡』。
奇跡はけして、誰にでもプラスになるようにできているものではない。

「『俺』はいったい、どうしたのだろう」

ち、違う! これは『俺』の言葉ではない! 誰だ、誰が喋っている!

「さア……」
「俺はひとりの人間のすべてを奪ってまで帰ってくるべき存在であったのか?」
「少なくとも、直江殿にはその価値があったのでしょう」
「あいつはばかだ。盲目だ。めくらだ」

『俺』はお払い箱だ。
つまり、兼続が望んだ三成はすでに存在するのなら、俺はもう、本当に、誰にも必要とされない存在だ。そうだ、『俺』という存在は、形はそこにあるのに、中身がすっかり違うのだ。シュークリームの中身が外からではわからないように!

「これが『義』だと? 生への冒涜だ」
「しっかしまア、おもしろい展開ですな。殿そっくりの人間に殿自身の記憶と意志が入り込んだ。それ以前の『彼』はもはや肉体の支配権がない。だが殿自身もまだ、承諾していないから肉体の支配権を持つに至らない。神というものは本当に、絶対的な人間の支配者だ。マ、存在なんて信じちゃいなかったんですけどねえ」
「お前も自分を見ろ。随分おかしな展開になっているぞ。まさか犬になっていようとはな。しかも俺そっくりの人間に飼われていたのだ。まあ、見かけは少し……、ああ……」
「濁さないで下さいよ。はっきり言ってもらったほうがまだマシです」

勝手に話している。
永劫回帰の話は保留にして、輪廻転生というものについて考えよう。
俺が三成の肉体的な生まれ変わりだとして、兼続にとって『俺』はいらない存在なのか? 俺自身が三成であるということにはならないのか? 『俺』では、だめなのか? 『俺』を殺さなくては三成にはなりえないのか?
『俺』はなにを求めている!
なぜ人間はステロタイプにならないのだ。それならば、どれほど簡単だったか。しかしなにもかもがステロタイプならば俺はこんな情況下にはいないだろう。そして俺自身もこんなことを考えたりはしないだろう。
絶対的な幸福など存在しない。存在するものは相対的な幸福のみだ。

「いやだ、いやだ! 左近、どうにかしてくれ」
「どうにかって言われても、左近は元は犬ですから」
「このままでは頭がおかしくなりそうだ。どうして俺はここに存在する? 死んだはずなのに。ここには守るべきものもない。俺にどう生きよというのだ」
「なら、神の束縛から逃れるべきでしょ。それで全てがよくなるかは想像もつきません。しかし神が支配しているかぎり、この事実は覆りません」
「丁か半か、か。『俺』に悪いことをしている。もっと悪いことをするかもしれぬ」
「おやー、四百年もの間に丸くなりましたね」
「俺は筋の通らないことが嫌いなだけだ。よし、決めた。『俺』に『俺』を返すために、俺はこの体をしばし借りよう」
「なんだか混乱する文ですなア。しかしま、『俺』以外に言いようがありませんな」
「俺は一発兼続を殴って、踏みにじって、歯をすべて抜かなくては気がすまない!」

つまり、俺は今から『俺』になるのだ。





07/26