ディオニュソス的殺人予告
ウロボロスの悪循環を続ける――。
現代の若者よろしく、俺には決まった正義という定義を持っていない。たしかに不義のせいで腹痛はするわなんだだが、結局自分本位な存在だ。
だが、それでも、俺は『ひとに害をなす不義』というものはたしかに排斥したくは思う。コダラックマのような不義(と仮定する)は、ひとと相容れることのできる存在だ。つまり俺が言いたいことは、あの、オッカムだとか、おとぎ話具現化しました不義のような形の不義はひとを傷つける。それは、俺がこの手で討つ。現におれは、もう数えるのを諦めるほど出動した。
惑わされるな……。そうだ、俺はいつも、不義を目の前にすると容貌に目を奪われる。結局、当面の利益しか見ることをしない(純粋な意味の)不義を生み出している人間となんらかわらない。
……不義。
歯痒いがどうとか考えるまえに、この俺の意味のわからんジレンマをどうにかしよう。
いや、正しい答えなど誰も持ってはいない。
なにが義でなにが不義かは結局、誰もが断定できない。だが実際に不義が形となって現れている。いったい『誰』が不義を形にしたのだ?
そうだ、どう考えてもこれはおかしい。どうして、あいまいにしておいた?
誰が――神だ。兼続だ。
何度訊いても、あいつははっきりと明言しなかったが、やはり兼続が独断と偏見で本当に不義を形にしたのではないか? それとも俺のそもそもの断定が間違っているのか?
不義ではない?(幸村)不義を討て?(兼続)不義を討てばわかる?(兼続)讒言?(幸村)
ならあれはなんだというのだ。
…………。
どれほどか不義を討ったのに、まだ答えが見つからない。
そうだ、意味がわからない。どうして俺は、関ヶ原の戦いなどに詳しいんだ。そんなの、授業でやったことがある程度ではないか。どうしてあれほど詳しい? 教師がそのようなことを言っていたか?
「三成、三成。遅刻だぞ、遅刻」
「そうか」
「いいのですか? 三成殿、遅刻大嫌いじゃないですか」
「そうか」
兼続がなにか話しかけてくる。ええい、お前の言ったことで俺はうだうだ考えているというに。
結局不義ってなんだ。義ってなんだ。言葉。そうだ言葉だ。『遅刻』や『欠席』、『皆勤賞』となにも変わらない言葉……。
遅刻、皆勤賞、欠席。
「大変だ! 俺の皆勤賞!」
「遅刻だ遅刻」
「なぜもっと早くに言わなんだ!」
多分、歌舞伎かなんかの衣装チェンジのように俺は早かった。兼続と幸村が手伝ってくれたおかげか少し時間短縮に成功した。
急いで階下へ降りていき、朝の挨拶をして(両親はこういうことにうるさい)、朝ごはんもそこそこにバイクに跨った(幸村はいつも留守番だ)。
学校に到着すると、例のごとくコダラックマがのっそりと立っている。少し緊張してその隣を走りぬけ、チャイムぎりぎりに教室に飛び込むことが成功した俺は、ようやくゆっくり息をつくことができた。
「ギリギリだな。これも義の力だ」
なんでも義の力か。
他のひとには兼続の姿は見えないから、俺は心の中でそっと思った。いきなり独り言を言い始めれば、くのいちやそこらに散々からかいの的にされることは目に見えている。放っておくと兼続は退屈して家に帰ってしまう。
そこで頭の中をしきりなおして、今朝の続きを考えることにした。
義と不義について。
兼続といると、本当に義と不義とはいったいどんなものなのか、さっぱりわからなくなる。あいつは必要以上にそのふたつの言葉を使いたがる。多用されるとそれが多様な意味を持っているように思えてきて、結局それはどういうことなんだ、となる。
兼続は俺になにを求めている?――ミツナリだ。あいつは俺じゃなくて、ミツナリを必要としている。ミツナリとは兼続の唱える不義に同調して、やはりあの不義の塊たちを討つのだろうか。
結局、俺は兼続にとってよけいなものを取ってつけたミツナリではないのだろうか?
俺は俺であることを求められていないのだ。
それでも、俺はきっと、不義(と仮定したなにか)を討つだろう。
俺が俺ではなくなるような感覚が増してくる。兼続に洗脳されている。
怖い! そうだ、恐怖だ!
なぜだ! どうして『俺』はミツナリと呼ばれることに抵抗を感じない!
なぜ! 俺は、日に日に、不義に憎悪を募らせる!
なぜ……、俺は愛犬の名を思い出せぬ!
なぜ、なぜ、俺は、クラスメイトを思い出せない。
おれはどこで道を間違えたのだ。そうだ、兼続の言うことなんか、初めから無視していればよかったのだ。そうすれば、なんの力もなく、ただ己の無力さに嘆いて、アンニュイな気持ちにひたっているだけの、生温いおれでいられたのに。問答のとき、無理にでも吐かせればよかった。あのときはまだ、引き返せたはずだ……、いや、無意味だ。引き返せるはずはない。おれはもう、この兼続の喜劇のなかに放り込まれた道化にしかすぎない。
『俺』はどこへ行った! 『俺』を返してくれ! 『俺』を……、『俺』が……!
『俺』の名前は……、『俺』の名前は……、なんだ。
そうだ、俺は常々考えていたではなかったか。『絶対』という言葉ほど信用ならないものはないと。殊更精神的な分野においては、絶対的なものなどありはしないと。エピメデスのパラドックスだ! 俺は相対主義を気取っていながら、相対主義のパラドックスにまんまと陥っていたのだ! 『俺』も絶対的な存在ではないのだ。器の問題ではなく、『俺』という、考え、思考し、五里霧中を暗中模索し、手探りでなにかを掴み取ろうとして手放した、『俺』すらも、『絶対的』ではない。
お前は誰だ、誰なんだ!
頭にちらつく影が頭をついてはなれない。誰だお前は、教えてくれ。
恐怖と気付いたとき、叫びださないように必死に唇を噛み締めていた。
目をそらし続けた代償だとでもいうのか!
07/26