人を食う劇場





疑問で死に至ることが可能ならば、俺はこれ以上にないほど死んでいる。多分、一度死んでさらに死んでいる。その俺の姿を見た誰かは、「ひととはこれほどまでに『死』を具象化することができるものだろうか」と言ってしげしげと俺を見るだろう。そうしたならば、それを本にすればいい!
しかし実際に疑問で死に至るなど不可能だ。そんなくだらない(かどうかはひとによる)ことで死んでたまるものか。死は与えられるのではなく、自分で作るものだ。

「なぜ、俺がそんなことをする必要がある。全能神シャンペンハウエル? 聞いたこともない」
「それはしかたないことだ。ほんの三十年ほど前に生まれたのだから」
「お前の名はシャンペンハウエルとか言っていなかったか。お前が神だっていうのか?」
「ああ、そうだ。私は神だ」

たまに、ニュースで少年の犯罪についてやっているが、昔に「自分は神だ」と言っているやつがいた。あれこそを選民思想というのだろう。思春期にある人間には、たいていはそういう、自分は超越しているということを考えがちだ。そうなると、周囲のものがなにもかもくだらなく見えてくる。大人の汚職事件なども拍車をかけるし、成長するにつれてやってくるさまざまな束縛に不当だと感じる(誰にでもそうなる資質は持っている)。
もし、この兼続という男がそういった類の人間であったならば、実年齢は三十を越えていて、世の中の多くに失望しているということなのだろう。不義を討て、というのはそういう『人間』を殺せということか! しがない少し気難しいだけの高校生に、犯罪を犯せと! 一体なんの義理があって!

「神だと! お前が? 笑わせてくれる。神は死んだ!」
「おお、よく知っているな」
「は」
「実を言うと九十年ほど前に、ヴィルヘルムという名だった神が死んだのだよ」

そういえば、世界史の授業でそんな名前の人間も出てきたということを考えた。もちろん、別人ではあると思うが。
この男は本格的に仮想の世界に陥ってしまっているのだろうか。
父さん、母さん、できることならば今すぐに俺の部屋に来て欲しい。言うこともちゃんと聞く。夕飯も残さない。生意気な口も利かない。横柄だといわれる性格も改善する努力をしてみよう。だから警察を呼んでくれ。

「六十年間、空白であった神の座を埋めるために、私たちは神様試験というものを実施し、それに合格した者たちで知力、体力、時の運を勝負したのだ。神様試験というのはともかく大変だった。全ての問題を解くのに七日間はかかる。もちろん、カンニング防止のためにその間はどこへも行くことができない。しかしそれを乗り越え、あまつさえ高得点を得てようやく神の座をかけた勝負に出る権利を得るのだ。私も実際には知らなかったのだが、あそこというものは本当に実力主義でな。しかし皆、私の敵ではなかったよ。六十年にも渡る戦いの後、私はようやく神シャンペンハウエルとなったのだ!」

警察。警察。ついでに救急車も頼みたい。いや、精神科は救急車を出してくれるのか?
世話になったことがないからわからないが、こいつが早急な治療を必要としていることは一目瞭然だ。

「神が不在だった六十年、人間界はさぞ大変であっただろう。無益な戦争に、爆発的な高度成長、そして崩壊。今は私の治力でなんとか保っているがな! そして三成、お前を迎えに来たのだよ。しかしその前に、この世の不義を討ってほしい。お前がそういった働きをすれば、皆お前を認めるであろう」

だから俺はミツナリではない! 気が狂う!

「さあ三成、この世の不義を討とうぞ! シャンペンハウエルに祈るのだ!」

そうっと、そうっと。変に刺激してはいけない。

こういったディオニュソス的な人間をむやみに否定しては、どんな行動を起こすかわからない。盲信とはかくも恐ろしい。
調子を合わせるのだ。なんだか上手く洗脳されているような気がするが、俺は俺だと強い心を持て。そうすれば、表皮の俺はこの男に従順だが、核の俺は無事だ。いいか、心を強く持て。
ところで、俺は生まれてこの方、神に祈ったことなどない。さっきこいつは、両手を合わせて祈りの体勢へ、と言ったが、キリスト教的な、ジーザスクライストに祈るような、典型的なものでいいのだろうか(そもそも、信じてもいないものに対してなにを祈ればいいのだ)。

「こうか?」
「おお、三成! ようやくその気になってくれたのだな。私とお前がいれば怖いものなど存在しない。そうだ、そのまま、もう少し前傾姿勢に」
「わかった」

しかし、ミツナリという人間はこの兼続の妄想に同調していた人間なのだろうか。こうやって間違えるくらいなのだから、きっと似ているのだろう。俺と似た人間が、俺とは相反することをしているなど、気に入らない。
だが今はそれよりも、この男の処理のほうが問題だ。

「さア、魔法の呪文を!」
「……魔法の呪文」
「そうだ。心に浮かんだ言葉をそのまま、素直に音にするのだ」

こういう展開のアニメを、昔見たことがある気がする。こんな茶番には付き合ってられない、とも思ったが、俺になんの変化もなければこいつとて諦めるに違いない(そもそも、変身など非ィ科学的だ)。
心に浮かんだ呪文っぽい言葉を探すが、真っ白だ。そもそも呪文って。俺の素直な心? ああ混乱する。

「皆死ねばいいのに」

なぜ、こう口走ったかはわからないが、確かに俺はうっすらとそう感じたのだろう。ほんの少し、ひとに嫌われやすいただの高校生になぜこのような理解しがたい現実が必要なのだろうか。間違っている。
そもそも、これほどまでにこの兼続は大きな声で語り、楽しげに笑っているというのに、父さんや母さんが気付かないのはなぜだ? 俺には独り言をする癖などないし、部屋に電話の類はない(ケータイも)。だから、息子の部屋から変な男の声がすることは異常事態であるのだ。
これは、今慌てて考えるに、ふたつの仮定ができる。一に、この男は俺が見ている夢、あるいは幻覚であり、ミジンコほども実在しないということ。次に、この男が本当に神(あるいは幽霊や妖怪)であり、俺にしか姿は見えず、声も聞こえない。

できることならば前者であってほしい、という願いは当然のものであると思う。ひとは常に、自分の理解できないものを目前にすると保守的になるのだ。


「さすがだ、三成! 魔女っ子に変身したぞ! さすがだ三成、お前にはその格好がよく似合う!」


前者であるのか後者であるのか未だに判断つかないが、俺は確かに変身していた(これはなんというか、恥ずかしい格好だ。ああ、有り体に言うとすれば、こんな格好、なにかのコスプレでない限りしないだろう。俺は高校生だ。せめて、美少女戦士なんたらみたいに、制服をモチーフにしてくれればよかったのに!)。


(皆死ねばいいのに。で、変身してしまったのだが、人生とはなにが起こるかわからない。夢ならばいいのだがまだわからない)





07/18