もっと自由で、もっとも不自由なものを探している





世の中には、理屈や義不義、論理に定理では解決できない問題がたくさんある。前に言ったポアンカレ予想や双子素数予想などその類は未だに証明しきれていないし、ジャックザリッパーの事件だって百年は経つのにちっともだ。ガラシャはなぜ俺をああも目の仇にするのかだって知らないし、くのいちがどうしてああもおちゃらけているのかだってわからない。
しかし、フェルマーの大定理がついぞ証明できたなんていう問題などたいしたことでもない出来事が現在進行形で起きている。

コイツら、帰らない。

人間原理という言葉がある。宇宙が自然定数を特定の値を“奇跡的に”とり、太陽や地球ができるのに適した環境であり、さらにその地球で人間という生き物が生きることに都合のいい環境ができたのはまったくの偶然なのか? という問いに対する答えがこの人間原理だ。この人間原理とは『宇宙が人間に対しいいようにできているのは、そうでなくば人間は存在せず、宇宙を観測することはないからである』というへんてこな理屈だ。
神とその部下みたいな男ふたりが『奇跡的に』俺の部屋に同居しているのは、ここに俺が存在するからであり、俺がここに存在しなければふたりは他に知覚されない。だから存在しえない、そういうことになるのだろうか。いや、喩えたところで事実は変わらない。俺の頭が拗ねるだけだ。
神ってなんだ。神っていったいなんなんだ。
たしかにここにいる男は神を自称するが、本当に神なのか? きつねかたぬきに化かされているのではないか?
神……、そうだ、俺は神の存在なんて端っから信じてはいなかった。成り行きで信じざるをえないことになったが、やはり疑う方法はいくらでもある。

「お前ら……どういう理由でここに居座っているのか聞いていいか?」
「うむ。私は目的を達成するまでここにいると決めたのだ」
「すみません、私は、兼続殿を連れて帰らないとあわせる顔がありません……」

カント(の勅令……すまん、世界史的なボケに挑戦してみた)という人間が、純粋なんたら批判とかいう本で、神の存在証明を四種類にして提示したのを、流し読みしたことがある(俺はなんでも読むのだ)。

「目的とはなんだ。俺に言えないことならばどこかへ行け。俺は嘘をつくやつは嫌いだ」

カント曰くの神の存在証明には大きくわけて四つある。目的論的証明、本体論的証明、宇宙論的証明、道徳論的証明。この六字熟語は強敵である。

「嘘……、確かに嘘をついたな。それは悪いと思っている。だが、上のことをおいそれと話すわけにはいかないのだ」
「すみません、こればっかりは三成殿のお頼みでも……」
「うむ。三成、共に不義を討とう! お前もわかってくれるはずだ!」
「……」

目的論的証明とは、世界の食物連鎖などなどの巧妙さは神が創ったものだから上手くできていてあたりまえだ、という話だ。――この、神が、か(でもコイツの話では神というのは死ぬことが可能らしいので、何度か変わっているのだろう。しかし神も地に堕ちたというかなんというか)。

「兼続殿、私はやはり、その話、納得できません」
「なに? どうした幸村? 熱でもあるのか?」
「あっ、ありませんよ!」

本体論的証明は属性がウンタラ。
宇宙論的証明とは、物事すべてには原因と結果があり、その根本原因が神であるというものだったか。一番てっとり早く神にたどり着く『結果』はここにある。俺の頭痛だ。神がいつまでも俺の部屋に居座るから俺は頭痛がする。たったひとつ遡っただけで神にたどりついてしまった。俺はきっと、稀有な高校生に違いない。もうひとつ、幸村の発熱も神が『原因』の『結果』だ。

「熱があるんだったらさっさと帰れ。その神も連れてな。いいか兼続、俺はお前に言われるがまま不義を討ち続けた。その結果俺にどういう利益があったのだ。ストレスで胃薬と頭痛薬と友達になったことを幸せに思えとでも言うのか?」
「利益だけで物事を考えるなどお前らしくもないな」

最後に、道徳論的証明だ。道徳に従うと、つまり、いいことをたくさんすると幸福になるのは神がいるからだという。

……ふざけるな! そうだ、俺が一番主張したいのはこの道徳論的説明だ。わざわざあやふやで自信のない記憶を引っ張り出してまでも、この証明を論破する必要があると思ったのだ。
つまり道徳に従うイコール、『神が不義を討てと言っていることに従う』ということになる。そうすると俺が『幸せ』になる。それは『神』がいるからだ。そんなばかな! 俺の頭痛と胃痛が幸せだと! なにも説明されないままうやむやに従うことによって得る幸せだと! 神はいつもなにも説明なく、なにかをすることを強制する! カント、お前の時代はいったい誰が神だったのだ! 少なくともこの男じゃなかっただろうな!

「うるさい。そうなりもする。そもそもから質問するが不義っていったいなんなのだ!……と聞いてもどうせはぐらかすのだろう。わかっている」
「そう出鼻をくじかれるとは思ってもいなかった。せっかくたくさん用意していた理由が台無しではないか」
「ふん」
「兼続殿、三成殿はもう」
「ゆきむらア! そうだ、散歩に行こうか! 三成のご機嫌も斜め四十五度だしな!」
「ぐぼっ」

そう叫ぶなり、兼続は幸村にラリアットをくらわせるような格好で窓からすり抜けて行ってしまった。幸村から奇妙な音が聞こえたのが少し心配だったが、まあ神とその部下だし、死ぬということもないだろう。
俺が気にすることは幸村の安否ではない。幸村の意味深な言葉の続きである。兼続の様子からして、明らかに俺に知られたくないことがあるのは火を見るよりも明らかだった。
俺に知られては困ること。単純に考えて散々言ってきていた『お上関係』が怪しいが、幸村は「三成殿が」と俺の名前を口にした。だから俺に関係する、俺に言えないことだ。
つまりミツナリ関連、(明言はしていないが)前世関係、あるいは俺自身について、というそういったものになるだろう。
いったいあの言葉の先にはなにがあるというのだろうか。そもそもの背景が理解できないからよそ……、まて。

普通になしだ。まて、待て(please stop!)。

俺はさっき、なんと言った?
「幸村は『三成殿が』と俺の名前を口にした」? 違う、俺の名前はミツナリではない!
俺の名前……、俺の名前……。
俺は誰なんだ。俺はいったい、誰なんだ!


帰ってきた兼続と幸村に、不義がどうこうの件について承諾した旨を伝えると、予想通りきつねに抓まれたような顔をした。





07/26