六十億の絶望の中でX人が希望を抱く





「私は現在『アシャ・ワヒシュタ』という名前で修行中の身ですが、兼続殿の最近の凶行が目に余るので連れ戻すためにやってきました」
「……えーと」

えーと。
こういう場合は、俺はどうしたらいいのだろうか。とりあえず、兼続関連のヤツならば父さんや母さんにも見えないはずだから、警察なんてことも言えないな。まあ今さら、という諦めもある。

「ひとつ聞くが……、和名というものは持っているか?」

兼続も持っているし、こいつの顔立ちもやはりアジア系のものだ。あってもおかしくはない。ちなみに、こいつの横文字名前の由来がちっともわからん。兼続のシャンペンハウエルというものは後から考えてわかったが、こいつはいつまで考えてもわかりそうにない。

「あ、はい。真田幸村です」
「真田幸村?」

聞いたことはある。歴史上では有名な人物だ。大阪の陣がどうこうの授業のときに聞いたことがある。少し前に歴史ドラマで真田太平記なんていうものもあった。その真田幸村が、こんなに若い青年だっていうのか?
同姓同名の別人と考えるか、それとも同一人物と考えるか。だが、その真田幸村までもが俺をミツナリと言い、その上敬語まで使ってくる。
……そうだ。前に一度思い出していたではないか。関ヶ原の石田三成を。大阪の陣は豊臣残党を掃討する目的の戦だったか。これは偶然か? 俺が石田三成だと? ばかげている。あれほど手痛く批難したくせに、俺が? 信じがたい。偶然の一致だ。そうにすぎない。だいいち俺はミツナリではないんだ。『俺』は『俺』だ。

「アシャなんたらは言いづらい。幸村と呼ぶが、かまわないか」
「あ、もちろんです!」

素直な男だと思った。ころころ笑うし、嬉しいという感情がありありと伝わってくる。兼続は兼続でよく笑っているが、あいつの場合、どこまでが本当の感情がわからない。
神という存在の性なのか、あいつは自己韜晦的だ。

「で、兼続の凶行が目に余るとは具体的にどういうことだ」

あまり考える気はしなかったが、これは知られざるお上の事情を知る絶好のチャンスだ。兼続はその話題に関しては貝のように口を閉ざしてしまうが、この幸村という男はそうでもなさそうに見える。けして口軽に見えるという意味ではなく、従順そうなのだ。
幸村は少し戸惑いを見せ、言っていいのか悩んでいるそぶりを見せたが、肩に力をいれて喋り始めた。

「実を言うと、兼続殿が人間の世界へやってきたのは完全な独断で、今や上はてんやわんやの大騒ぎなのです」
「ほう」
「兼続殿は皆さんで言う、閻魔大王的な役割も担っているので、亡くなった方々が判決を待っていまやいまやと長蛇の列を作っておりまして、いまや上は死者たちのクーデター鎮圧に骨を折っています」
「……年間世界中で六千万人が死んでいるという。単純計算で一日十六万四千三百八十三人、閏年は例外でだ」
「わあ、さすが三成殿、計算がお早いですね。私はそうもいきません」
「い、いや……、別に」

しかし兼続は閻魔大王でもあったのか。神というものは意外と一緒くたにしてしまっているのだな。それではあいつ、ここにやってきてからゆうに一週間は越えているから百万人以上の人間が判決待ちをしているというのかっ! ……気の遠くなる話だ。不義だなんだと言いながらお前が一番の不義を働いているのではないか?

「しかし、兼続を連れ帰るとこちらにも不備があるのではないか? 本人がそう言っていたのだが」
「それならば大丈夫です。実は……」

それから幸村は、辺りを窺い、膝を進めてきた。俺もつられて内緒話をするように耳を近づける。

「あれは兼続殿の讒言なんです」
「讒言だと?」
「こんなことを言ったら兼続殿に怒られてしまうでしょうけれども、兼続殿は少し盲目的な、猪突猛進な面が多分にありまして、今回のことも然りです。それに今から兼続殿がしようとしていることは――」
「やア幸村! やってきていたのだな!」
「かっ、兼続殿!」

一番いい所で兼続が現れた。いや、一番いい所だからこそ現れたのだろう。舌打ちしたくなったが、いかに兼続がペテン師であったかがわかっただけよしとしよう。
トリニワは相変わらず、兼続に触れようとして触れられないというスリルを楽しんでいる。

「兼続、聞いたぞ。お前が上に戻ったところでなにも問題ないようではないか。それならばお前がやってきたから不義うんたらというのも無論嘘だろう。それにお前、残業がたっぷり残っているようではないか」
「幸村、そんなことまで話したのか!」
「でっ、でも本当に、死者のクーデターが……。文字通り死兵ですよ。彼らは一度死んでいるからか怒りからかはわかりませんが、死を恐れないんです。もう上のひとみんな怒っていましたよ。意味もわからず私も怒られました。兼続殿が勝手なことをしているというのにお前はなぜ呼び戻しにいかないんだ! って。私よっぽど言ってさしあげたかったです。『そもそも上の者は不用意に下へ降りてはいけない』という規律を創ったのはいったいどちらさまでしょうか、って。でもまさか内部でもクーデター起こすわけにはいかないでしょう? だから大人しく兼続殿を探すために降りてきたんですよ。はやく戻ってきてください。それから戦準備です。あの生きた化石どもを化石にしてやりましょう」
「ま、待て幸村、それでは敵が逆ではないか……」
「ともかく、お前らがここにいる理由はこれっぽっちもないわけだ。いい加減帰れ」

兼続がいなければ不義は具現化しない。そうすれば俺も戦う意味がない。
今までの戦いになんの意味があったのか、考えてみてもやはりわからない。おそらく、ミツナリという存在に興味があったのだろう。しかしそれもここまでだ。わからないことはわからないからこそ美しく、魅力的なのだ。
ギャアギャア騒ぐ兼続の声も聞こえない。トリニワのぬくもりが全てである。

この問題はQED、証明終了だ!





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