残酷をねだるイノセンス





「不義には大きく分けてふたつの分類がある。空想の象徴である『ミュトス』と論理の象徴である『ロゴス』」
「なんだそれは。『カワイソス』と似たような使用方法か?」

ロゴスは強そうだが、ミュトスはかわいらしい印象だ。カワユスとやらだ(言語の乱れ? ほっとけ)。どちらにせよ、ファンシーな展開に俺は少しついていかれん。
しかし、どこかで聞いたことがあるような言葉だ。なんだっただろうか。

「れっきとした由緒正しい言葉だ。今までの不義はすべてロゴスであったが、今回はミュトスだ。強いぞ」

トリニワがキャンキャン吠えている。今が人通りの少ない時間でよかった。不義によってマスコミが群がり大人の暇つぶしに利用されるのは許せん。
なるほどな、ミュトスとやらが空想を象徴としている。だから幾何学的な出で立ちなのか。しかしそんな知識はいらぬ。ちっとも役に立たないではないか。もっとこの状況で役に立つ知識、たとえば、あいつの弱点とか。

「この不義は、不義であって不義あらざるものだ」
「どういうことだ」
「イソップ物語には教訓としてさまざまな不義と義が姿を変え形を変え現れる。イソップ物語に限らず、グリム童話や寓話など、さまざまな物語には必ず義と不義が入り組んで現れる。彼はひとびとの誤った認識や解釈により生まれし不義だ。例えば単純に悪役を排除しようとする、心なき悪意を一面に受けた、物語たちの悲鳴、逆に悪意を持ちひとを陥れる物語の不義なのだ」
「物語の不義だと? 無機物に義も不義もあったものか」
「八百の神、どんなものにも神が宿る。物には心が宿るのだ」

要約すると、あの幾何学的不義は人間そのものの不義ではなく、人間に悪意を持たれた物語の人間を怨む不義の気持ちの塊である、ということか。そんなものまで討っていたら、俺は死ぬまでコイツとヨロシクしなくてはならないではないか。
考えれば考えるほどおかしな話だが、そうも言っていられん。トリニワがひどく興奮している。さっさと倒してしまおう。

「三成、チャージ1だ!」
「ふん、言われるまでもない」

義ビームを不義に向け、一発撃ち放った。見るからに鈍足そうなヤツだから、避けられることもないだろう。

「油断するなっ」

兼続の掛け声がなくば、俺は大怪我をしていただろう。なんと、俺の撃った義ビームが、どういった理由でかはわからぬが光の屈折のように跳ね返ってきたのだ。当たるか当たらぬか、スレスレのところでサイドに飛び込み、取り返しのつかない事態は免れた。

「あれは……、真実の鏡だ。ビームを撃ちかえされてしまった」
「ならば直接攻撃あるのみだ」
「あ、待て!」

チャージ2については説明されているからなにも問題ない。しかもどうやら、説明漏れで特殊技1、2と通常攻撃なるものがあるらしい。神とは意外といい加減なものだ。
近づけば近づくほど気味の悪い容姿だ。まさしく、不義、悪意の象徴にふさわしい。これこそが不義である。以前の二件は少しおかしい。間違っている。不義なら不義らしく、もっとそういう姿をしていればいいのだ。
扇をきつく握りなおし、ダッシュ攻撃を加えるが、手ごたえがない。空振りしたわけではないが、まるでゼリーかなんかに跳ね返されるような、そんな弾力性を持っている。
そのとき、不意に奇妙な問いかけが俺の頭に浮かんだ。なぜこの状況で浮かんだのかはわからない。しかし俺は、その問いかけを口にしたくてしかたがなくなった。真実の鏡、真実の鏡?

「鏡よ、この世でもっとも醜悪なるは、誰であるか」
「いかん! ママハハコンプレックスだ!」

誰が答えてくれるとも知らないのに俺はその答えを待った。ジッと不義を見ていると、腹のあたりからボコボコとおぞましい音を立てて、なにかが生えてくる。矢印のようだ。その矢印は俺を指している。
これには少しばかり頭にきた。

「ふん、ばかが! ひとは美醜を兼ねそろえているのだよ!」

この距離ならばチャージ2も可能だ。扇を地面に滑降させる形で不義の足元をすくい上げ、天高く打ち上げる。追い討ちをかけるごとく俺も飛び上がり、扇を回転させ、その回転力で肉をそぎ、生まれた旋風で不義を地面へとたたきつけた。
俺が地面に着地するかしないかのところで、いきなり足をなにかに引っ張られ、しりもちをつく。一瞬、喉がつまり呼吸を忘れた。

「あれはウサギとカメ症候群! 強きに出会うと鈍足ながらもせせこましい反抗にでるのだ!」
「……兼続、お前はもしや、解説以外では全くの無能なのではないか」
「なっ、なに……っ」

図星だろう。兼続はショックを受けたように、ふらめき、「そんなことはない」と口の中でもごもごやっている。生身の、それも特化された能力のない人間にこんなことをさせて高みの見物とは、神とはまったくいいご身分だ。
そもそもおかしいのだ。俺の攻撃のレベルアップシステムといい、いきなりぼこぼこと毎日のように現れる不義といい、俺が少しレベルアップしたのを見計らって強くなっていく不義といい、まるで示し合わせているようではないか。でもいったい誰が? なんのために? 誰が、という問いには兼続という答えしかないが、なんのためにという問いには俺は答えを持ち合わせていない。
実際問題、物事には理由を明確に説明できるものというのは多くないだろう。いや、理由というものは後からいくらでも、微にいり細にいりでこまごまと説明できる。だからそのぶん、本質というものは、実は、誰も知らないのではないだろうか。ならば、この状況の理由も暗澹に消え去っているというのだろうか。いいや、これは、明確な意思が働いている。おかしいのだ。俺がこうして戦っていること自体が!
いったい、どういう謀りを働かせているのだ! 俺が戦う意味は、ミツナリと俺の関連性は、不義の正体は、義不義の定義は、世界はどうなっている!

「私は並み居る強豪を打ち負かして神の座についたのだ。まさか、無能だなんてそんなばかな!……私が戦わないのは、それではミツナリが気になっていることを知ることができなくなってしまうだろう」
「最初に言った、『不義を倒せば思い出す』……か。後で言及する。俺が納得する答えを用意しておけ」
「む。わかった。しばらく解説はできないぞ」
「素直に真実を吐けば楽なものを、嘘を連ねると身を滅ぼすぞ」
「話していいこととダメなことを、ふるいにかけるだけだ」
「どれだけの真実がふるいに落とされるのやら」

せめてアイツの弱点を知りたいのだが。

「アイツは寓話だ、おとぎ話だ。それを忘れるな」





07/26